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浅香光代

あさかみつよ

日本の剣劇女優。(1928年〈昭和3年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉12月13日)

概要編集

東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田)出身。血液型はB型。


10歳ぐらいの頃、浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」に入団、森静子の森をとって芸名「小森昭子」をもらう。1944年(昭和19年)、座長の浅香新八郎が急逝し新生国民座は解散する。1945年(昭和20年)、阪東鶴蔵一座に入り「富士龍子」の芸名をもらう。その後「浅香光代」と名乗り自分の一座を結成する。浅香光代一座はやがて浅草や新宿などの芝居小屋で専属など長期興行を張る中堅人気劇団へ成長した。


1987年(昭和62年)、第3回浅草芸能大賞を受賞。


2006年(平成18年)、武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授に就任。


2008年(平成20年)、文化庁長官賞を受賞。2009年(平成21年)、旭日双光章を受章。


2020年12月13日午前1時47分、入院先の東京都内の病院にてすい臓がんのため92歳で死去。


ミッチーサッチー騒動編集

野村沙知代に剣劇を教えたことで交流があり、舞台でも共演していたものの、『大沢悠里のゆうゆうワイド』の降板前最後の回(1999年3月31日)において、沙知代を「あんな人はもう嫌。引っ叩いてやりたい」、「何が代議士よ。挨拶もろくにできないのに何考えてんだ。税金の無駄遣い。笑わせるんじゃないってんだよ!」、「テレビの若い人や運転手を『馬鹿野郎』と怒鳴りつけるなど弱い者いじめが過ぎる。あんな女を番組に起用するから増長する」などと痛烈に批判したことがきっかけとなり、沙知代の逮捕(公職選挙法第235条(虚偽事項の公表罪)違反の疑いと脱税の罪)まで続くミッチー・サッチー騒動へと発展。連日に渡り民放各局のワイドショーで取り上げられた。

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