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観阿弥

かんあみ

南北朝~室町時代に活躍した能役者、能作者。 田楽に押されがちであった猿楽の芸を魅力的に一新させ、能興隆の基礎を作った人物。

概要編集


南北朝時代に活躍したの能役者、能作者。芸名観世。

大和の古い山田猿楽の家に生まれ、のちに結崎座を創立する。

若年期の多くは判明しておらず、正慶2年(1333年 鎌倉幕府滅亡)生まれで、大和の山田の美濃太夫という猿楽者の養子の三男として記録されている。

長兄は宝生太夫となり、次兄は美濃太夫直系の生市(しょういち)として継承した。


観阿弥が役者として活動し始めた頃は、大和猿楽の座として自身が所属していた結崎座(のちの観世座)、外山(のちの宝生座)、円満井(金春座)、坂戸(金春座)の4つが鎬を削っていた。


一忠(南北朝期で活躍した田楽能の役者)や賀歌女の乙鶴(女曲舞の名手)なども師事し、謡の改革能の作品構造にも着手し、能の基本的な要素を成立させた。


芸風は息子の世阿弥曰く「十体(多くの人の風体)を極め、写実的な演技やセリフの面白さに長け、貴賤問わず多くの人に受け入れられた」、「大男ながら女能は美しく細々としていて、鬼能も力強く凄まじかった」と残すほど役者として非常に優れていた。

また能作家としても「卒塔婆小町」や「自然居士」などを制作。

興行も京都などで多く行い、公家や寺社のスポンサーを獲得し、ファンを増やして、世阿弥と共に当時18歳ごろの足利義満の庇護を取り付けており、経営者としてもやり手だったよう。


この10年後、駿河静岡浅間神社の興行後亡くなる。

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