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概略

美濃のマムシ」の異名を持つ、下剋上で成り上がった戦国武将の典型例。正式な名前は「利政(としまさ)」。

その出生と前半生は謎が多く、明応3年(1494年)の生まれと言われる。

僧侶であったが還俗し、油商人となって成功。美濃岐阜県)の小守護代・長井長弘に見込まれて武士に転職し、長井氏家臣の西村家を継いで、「正利」と称した。

守護の弟・土岐頼芸の信頼も得て頭角を現し、主君を守護に擁立して実権を握り、その後は長井家を継いで「規秀」を名乗った。そして天文7年(1538年)、領内の混乱に乗じて美濃守護代の斎藤利良の病死後、その名跡を継いで「斎藤利政」を名乗った。

事実上の美濃国主となったが、追放された土岐家に協力した尾張の織田家や近江の朝倉家と争いを続け、土岐家が滅ぶと利政は織田家と和睦。天文17年(1548年)に娘の帰蝶(後の濃姫)を織田信秀の嫡男・織田信長に嫁がせた。当初は信長をうつけ者と見ていたが、会見の際の信長が正装していて、鉄砲を有する軍備を目にして驚いた。

天文23年(1554年)、家督を息子の斎藤義龍に譲って出家し、名を「道三」と名乗って隠居した。

ところが義龍の弟に家督が変わる可能性が高まって親子は不和となり、義龍は弘治元年(1555年)に弟を殺害して挙兵。

弘治2年(1556年)、劣勢であった道三は敗れ戦死した。この時道三は義龍を無能者と見下していたが、その評価が誤っていたことを認めたという。

人物像

下剋上を生きた戦国武将の代表格であり、狡猾な性格と時代の先駆者というイメージが強い。

残されている肖像画は坊主頭でを生やし、絵の具合のせいで色黒の印象が多い。

実は、一般に知られている道三の生涯は一代によるものではなく、父親・長井新左衛門尉との父子二代による経歴(油商人の父が武士となり、息子の道三が長井家を継いだ)が一代にまとめられたという説が有力視されている。

司馬遼太郎小説国盗り物語』に登場する、油屋からのし上がって戦国大名になった道三像が広く定着している。

各メディアにおける斎藤道三

信長の野望シリーズ

初期より登場しているが、武将風雲録のみプレイヤーが斎藤家を担当していない場合は開始数分後に謀反が起こって道三が死亡する事が多い。

覇王伝PK以降の一部作品では土岐家に仕えてる事が多く、現在のシリーズでは1542年頃になると土岐家を滅ぼして斎藤家が登場するイベントが実装されている。

戦国無双

武器:刀剣 声:戸北宗寛(1) 藤本たかひろ(再登場の3Emp以降)

「気をつけよ・・・美濃の蝮の毒は致命的ゆえ・・・」(3Emp特殊セリフ)

美濃の戦国大名斎藤家の当主。 蝮と呼ばれた梟雄であり、織田信長の妻・濃姫の父。『1』から登場しているが、濃姫の回想シーンとして登場したのみで戦場に登場したのは『激・戦国無双』より。2では登場しなかったが、3Empにて再登場。

『3Empires』ではやや息子・義龍や濃姫と会話イベントがあり、斎藤家の家風が毒や牙、蛇に例えて語ったり、宇喜多直家、松永久秀といった梟雄大名と会見して誰が一番悪に相応しいかを決めるイベントまで実装されていた。

『4』では特殊モブで登場。織田の章における濃姫の回想シーンでしか登場しないが、流浪演武にも登場しておりパートナー武将として使用可能。

殿といっしょ

かなり色黒であり、禿げ頭には戦傷が残る。超がつくほどの親馬鹿で、娘・濃姫の事を溺愛しているものの、嫡男である義龍は名前すら覚えていないほど乱雑に扱っており、「オマエちょっと怪我病気してくんない? そしたらお濃帰ってくるじゃん」と無茶振りを行うほど。

性格の悪さは娘にも受け継がれ(すぎて)おり、いつも濃姫からは裏をかかれている。

信長の忍び

こっちも超親馬鹿。裏切りのスペシャリストである松永久秀、暗殺マニアの宇喜多直家と共に戦国三大梟雄の一人とされている。

キャラ立てのために首にはペットシマヘビ「マム郎」を巻いている。

「うつけ」と言われる信長を侮っていたが、やがてその実力を認めていくこととなる。息子・義龍の謀反により城を追われると、側近(義理の)の明智光秀を逃がし、死を覚悟して最後の戦いに挑む。

遺言状には「美濃は娘婿・織田信長に一任する」と記され、その壮絶な死は帰蝶はもとより、生前懐くことの無かったマム郎の眼にもを流させた。

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斎藤道三の編集履歴2017/02/05 21:17:54 版