豊橋鉄道
とよはしてつどう
概要
愛知県豊橋市を中心とした東三河地域で鉄道・軌道事業を行う鉄道会社で、名古屋鉄道(名鉄)の連結子会社である。
かつてはバス事業も行っていたが、現在は子会社の豊鉄バスへバス事業を分離している。
以前は名鉄の中古車両を走らせていたが、90年代末期以降は乗客数の増加に伴い、通勤用車両を東京急行電鉄から購入し走らせている。
車両
渥美線
- 1800系
元東京急行電鉄7200系。3両編成10本が在籍。
東急時代は電装品のメーカーごとに車番が異なっていたが、豊鉄移籍後は特に車番が区別されていないが、編成ごとに電装品のメーカーは揃えられている。
第10編成は1編成中2両が上田電鉄からの譲渡車である。
東田本線(市内線)
- 780形
元名古屋鉄道780形。7両が在籍。
名鉄600V線区の廃線に伴い名鉄から譲渡され、現在市内線の主力車両として活躍。名鉄時代には連結運転を行うために連結器が装備されていたが、豊橋移籍後は撤去されている。
豊橋鉄道初のVVVFインバータ制御車両である。
- 800形
元名古屋鉄道800形。1両が在籍。
こちらも名鉄600V線区廃線に伴い譲渡された。譲渡後しばらくはほぼ名鉄時代のカラーリングで運行されていたが、現在はパトカーと同様の塗装に変更され、「とよはし安全安心号」として運行中。
近年はT1000形運休時の代走で姿を見せるのみで、毎週木曜日に動いている姿を見られる。
名鉄で3両製造され、残り2両は福井鉄道で活躍中。
豊橋鉄道にとって1925年以来、83年ぶりの自社発注車両としてデビュー。愛称は「ほっトラム」。
製造はアルナ車両。国産の狭軌用の100%低床車としては日本初の車両である。1編成しか存在しないため、毎週木曜日は検査運休し800形が代走する。
- 3200形
元名古屋鉄道580形。3両が在籍。
3201号は名鉄時代、台車の形式が他の車両と異なり、豊橋移籍後も長くそのままだったが、2005年に他の車両と同じ台車に交換されている。
- 3500形
元都電7000形。4両が在籍。
後述する大改造の末に入線している。
- 3100形
元名古屋市電1400形。
最盛期には9両が在籍したが、冷房化改造の対象から外れた2両が90年代に廃車され、残った7両は2006年3月までに780形に置き換えられて全車が運用を離脱。
現在は3102号のみ在籍し、イベント用車両としてマルーン一色に塗装し直され、イベント列車や貸切運転などで使われたが2011年2月に運用を離脱。現在は赤岩口車庫の一番奥で留置されているが、時折留置線内を走行する姿も見られる。
ただし検査を通していないために本線は走行できず、運賃箱もmanaca対応タイプに更新されていない。
余談
豊橋鉄道の奇跡
地方中小私鉄の例に漏れず、豊橋鉄道も一時期は自動車普及による鉄道離れにより、経営状況は芳しくなかった。
ただでさえ愛知県はトヨタと三菱自動車という2大自動車メーカーの「お膝元」であり、自動車志向が高く、中小どころか最大手の名古屋鉄道でさえアクロバットのような経営を強いられているのが実情である。
かつて存在した貨物輸送が、1984年の国鉄貨物縮小合理化の煽りを受けて廃止されたこともそれに拍車をかけた。
特に輸送力増強と給電設備統廃合を狙った1997年の渥美線1500V昇圧工事が裏目に出て、実施後から経営危機に陥っていた。
一時は鉄道・軌道線全路線廃止も視野に入れていたという。
このパターンで多くの地方鉄道が姿を消していった。
だが豊橋鉄道の判断は違った。
どうせ廃止しかないのなら最後に大バクチを打とう
そう経営陣は腹をくくった。
縮小傾向をやめ、渥美線の日中15分ヘッドパターンダイヤ化という、見ようによっては暴挙としか思えないダイヤ改正を実施したのだ。
するとどうだろう、減少の一途をたどっていた利用者数は一転、増加に転じたのだ。
あまりラッシュを考慮していない2扉の元名鉄車では輸送力に限界が生じ、東京の東京急行電鉄から3扉車を調達しなければならなくなるまで増加したのだ。
さらに12分ヘッドへの短縮を目論んだが、乗務員と整備員の人数不足が生じたため、15分ヘッドに戻さざるを得なくなったほどだった。
現在も渥美線は豊橋鉄道の稼ぎ頭として、経営危機にまで陥った地方中小私鉄とは思えない豪華設備で運用をしている。しかも、ワンマン運転を実施していない(全列車に車掌が乗務)。
この事実は豊橋鉄道の奇跡として、地方中小私鉄ファンに知られている。