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石平(評論家)の編集履歴

2017-05-25 03:18:05 バージョン

石平(評論家)

せきへい

石平とは、日本の評論家である。中国系帰化人で、親日派として有名。

概要

中華人民共和国四川省成都市出身の評論家であり、2007年に日本国籍を取得して日本帰化した。


1980年に北京大学の哲学部に入学し、卒業してから4年後の1988年4月に日本へ留学して日本語学校入学した。

1995年には神戸大学大学院で文化学研究科博士課程修了(学位は未取得)し、民間の研究機関に勤務していた。

日本国籍を取得した後の2008年4月からは、拓殖大学の客員教授も務めている。


2002年の初頭に中華人民共和国反日感情をレポートした書物を出したことから論壇デビューし、それ以来『正論』『Voice』『WiLL』など日本保守系オピニオン誌で論考を寄稿するようになり、日中関係や中国問題などを論じている。

また、大手テレビメディアの中国関連ニュース番組・討論番組ではコメンテーターも務めている。


経歴・人物

1962年(昭和37年)に生まれ、1966年に文化大革命の最中で教師であった両親が大学から追放されて農場へ「下放(国民を地方に送り出す政策)」されてしまったため、四川省の農村部で漢方医であった祖父によって養われた。

祖父とは彼が11歳の時に死別したが、医師となり跡継ぎとするべく密かに論語を教えられていたという。


中学校時代にゴミ拾いの貧しいお婆さんが近所に住んでいて、いつも笑顔で「勉強頑張ってね」と声をかけられていたが、ある日突然に姿が見えなくなり、後に「反革命分子」として共産党政府に逮捕されていたことを知る。

その数日後、ゴミ拾いのお婆さんはトラックに乗せられ、町中の市民に姿が解るよう見せるため一巡された後、処刑場に引きずり出され銃殺により処刑された。


処刑された理由というのが、なんと「ゴミ捨て場から拾った新聞紙(毛沢東の顔写真を印刷されていた)で大根を包んでいたから」というものであり、それだけでお婆さんは「反毛主席」の大罪人とされてしまったのである。

こうした経緯もあって、彼は大学卒業後に毛沢東暴政の再来を防ぐため、中国の民主化運動に情熱を傾けていた。


しかし、上述した文化大革命および1989年に勃発した天安門事件における中国共産党の政党・党派の利益しか考えない悪逆非道ぶりへの憤怒絶望感から、「この国にはもはや用がない、何の愛着も義理も無い」と祖国との精神的決別に至ったという。


そのために、1988年に留学先として出向いた日本において、文化孔子論語思想など、祖国の中国では既に失われてしまった古き良き文化思想が、日本文化や日本の精神の中で守られ発展し、今だに生き続けていることに感激し、以降は日本の素晴らしさに魅了され、「愛日主義者」へと傾倒して行ったという。


しばき隊・SEALDsからの人種差別

石平氏は、左派系市民団体SEALDsの代表者である奥田愛基氏の、安倍晋三首相に対する的外れな非難に対して、Twitterにてその点を指摘する批判を行った際、SEALDsの支持者及び対レイシスト行動集団(前:レイシストをしばき隊)』が、石平氏に対して「この浅薄な中国人」という人種差別的な書き込みを行って話題となった。


詳細⇒石平氏に対するSEALDs・しばき隊関係者の人種差別発言


著書一覧

  • 私はなぜ「中国」を捨てたのか』(WAC)
  • 「全身病巣」国家・中国の死に方~蝕まれた虚像の大国が悲鳴を上げる~』(宝島社・宝島SUGOI文庫)
  • なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)
  • なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか~中華秩序の本質を知れば「歴史の法則」がわかる~』(PHP新書)
  • なぜ中国はいつまでも近代国家になれないのか』(PHP新書)
  • 韓民族こそ歴史の加害者である』(宝島社)
  • なぜ中韓はいつまでも日本のようになれないのか~わが国だけが近代文明を手に入れた歴史の必然~』(KADOKAWA)

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放送法遵守を求める視聴者の会…賛同者の一人。


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