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F-86の編集履歴

2019-03-17 23:26:01 バージョン

F-86

えふはちじゅうろく

1947年にアメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発した第1世代ジェット戦闘機

概要

アメリカ合衆国ノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機。愛称は「セイバー」。

対戦闘機戦を重視して開発され、1949年よりアメリカ空軍に配備。

第1世代ジェット戦闘機であり、朝鮮戦争における活躍でその名を世に知らしめる。世界で初めて空対空ミサイルで敵機を撃墜した戦闘機でもあり、総生産数は9,860機。

その後アメリカは戦闘機のマルチロール性を重視するようになり、格闘戦戦闘機の血統は途絶えた。

日本航空自衛隊も主力戦闘機としてF-86F、全天候型戦闘機としてF-86Dを採用。F-86Fは初代ブルーインパルスの機体としても知られる。航空自衛隊による日本名の愛称は旭光(きょっこう)だが、一般にはハチロクと呼ばれ親しまれた。


開発

もともとF-86は、アメリカ海軍向けに開発されていたXFJ-1の陸軍型である。

1945年1月1日、アメリカ海軍はノースアメリカン社に、P-51の胴体をジェットエンジン搭載に変えた艦上ジェット戦闘機、XFJ-1の開発を発注した。

1945年5月23日、アメリカ陸軍航空軍(1947年よりアメリカ空軍)もXFJ-1の陸上型XP-86の開発を発注した。

1945年6月、ノース・アメリカン社は降伏したドイツから後退翼の実験データを得た。これを基にXP-86の設計を後退翼を装備したものに変更した。

1947年10月1日、XP-86が初飛行。

1949年には最初の量産型であるF-86Aがアメリカ空軍に配備された。

単発単座で、主翼・垂直尾翼・水平尾翼に後退翼を採用し、主翼は低翼配置。GE社製のJ47-GE-27ターボジェット・エンジンが胴体を貫くように配置され、機首のエアインテーク周辺にブローニングM3 12.7mm機銃6挺を集中装備している。


朝鮮戦争への投入

F-86は1950年6月25日からの朝鮮戦争ではじめて実戦に投入された。

ソウルを奪還した国連軍の前に、新たな敵が立ちはだかった。10月19日に鴨緑江を渡り朝鮮へ侵入した中国の義勇軍(中国人民志願軍)である。その実態は義勇軍ではなく中国人民解放軍であった。(このあたりは中国国内の政治事情、戦争拡大派と穏健派の政争による)


中国義勇軍にはソ連よりMiG-15が供与されていた。

MiG-15は国連軍のレシプロ戦闘機やジェット戦闘機を圧倒し、太平洋戦争末期に猛威を振るった爆撃機B-29も機銃掃射1回で撃墜されてしまう有様であった。

アメリカ空軍は配備されたばかりの新型戦闘機、F-86(F-86A)の投入を決定する。高高度での性能や上昇力ではMiG-15に劣るものの、低高度での性能や急降下能力に優れ、レーダーの性能やパイロットの技量の差もあり優勢となった。

双方とも改良型を送り出し激しく鎬を削ったが、最終的にF-86のMiG-15に対する撃墜:被撃墜比は4.1:1となった。


F-86セイバーvsMiG-15ファゴット 【戦闘機ワンドロ4】


空対空ミサイルによる初戦果

台湾空軍に採用されたF-86にはアメリカから供与された空対空ミサイルAIM-9サイドワインダー)が装備された。

1958年9月24日の金門砲戦では中国人民解放軍空軍の殲撃五型MiG-17のライセンス生産)と交戦し、世界初の空対空ミサイルによる戦果を挙げた。


日本におけるF-86

1955年、発足間もない航空自衛隊はF-86F 180機をアメリカから供与される。

1956年から三菱重工によるノックダウン生産が始まり、続いてライセンス生産も始まった。

最終的に480機のF-86Fを配備したが、作りすぎて使われなかった45機はアメリカに返納したため、実際の運用機数は435機とされる。


1958年より、機首にレーダーを装備したF-86Dセイバードッグを122機導入。在日米軍が使用していた中古品で、一部は部品取り用であった。

高温多湿な日本での運用のため故障が相次ぎ、10年程度の運用年数だった。

1961年、新たな主力戦闘機F-104導入に伴い余剰となった18機を、偵察型に改造したRF-86が1979年まで運用された。

運用部隊が減るに伴い邀撃機から支援戦闘機とされるが、1977年には新たな支援戦闘機F-1の部隊配備が始まり、1982年の入間基地の機体を最期に全機退役となった。


ブルーインパルス

航空自衛隊のアクロバットチーム「ブルーインパルス」の初代機体として採用された。

高い負荷がかかる曲技飛行を行うため、オーバーG(機体に設定されている重力加速度超過)を経験していない機体が選ばれ、スモーク噴射装置などを搭載する改装を受け、「ハチロクブルー」の愛称で親しまれた。

スモークにより東京オリンピック開会式で五輪大阪万博開会式でEXPO70の文字を描いた。


86戦1964年10月10日


主な派生型

F-86(P-86)

F-86A

最初の生産型で、朝鮮戦争に投入された。

最初期の33機(F-86A-1)は空気抵抗減少を狙い、機銃口に電動式ドアが設けられたが、故障が多くプラスチック製の蓋(機銃の初弾で突き破る)に変更され、これも後に廃止。

F-86A-5は主翼に5インチHVAR(ロケット弾)用ハードポイントを追加した。


YF-93(F-86C)

戦略空軍の「侵攻戦闘機計画」向けに試作された。

機首にレーダーを搭載するため、エアインテークを胴体側面に移している。

通常のエアインテークは胴体から「張り出し」を作るのに対し、1号機では空気抵抗を抑えるため、胴体にその分の「凹み」をつけている。これはNACAが考案した「平滑型」という形式だったが、試験飛行で迎え角が付きすぎるとエンジンに空気が行かなくなる事が発覚した。

2号機からは通常のエアインテークとなり、1号機も最後は改修された。

試作と同時に生産型も発注されたが、朝鮮戦争の戦訓からB-36が役に立たないのが分かったため「侵攻戦闘機計画」は中止された。

後に夜間戦闘機としても発注されたが、これもF-86Dに統合されて消滅した。


YF-95A(F-86D)

F-86をベースに、脅威を増しつつあったソビエト爆撃機に対抗するために開発された迎撃戦闘機。

朝鮮戦争に伴う出費でアメリカの国家財政が悪化し、予算獲得のため機体の型番がF-86Dに変更されF-86の派生型に擬装された。実際にはほぼ別物で、75%は新規設計。

単座戦闘機なのに操縦とレーダー操作を同時に行うため、操縦が難しい。レーダー手を同乗させると重量増で性能が低下するためそのままになった。

機首下面にMk4 FFAR マイティマウス(ロケット弾)の24連装ランチャーが内蔵され、自動制御により斉射できる。

イタリアでもライセンス生産され、フィアットG.91開発に大きな影響を与えた。


F-86E

F-86Aに続いて朝鮮戦争に投入された制空戦闘機。

操縦系に人工感覚装置を取り入れ、超音速へ対応するため水平尾翼を全遊動式としたもの。

超音速になり、翼面から衝撃破を発生させるようになると、尾翼後端の舵面はほとんど空気のない場所で「空回り」してしまうことになる。そのため、尾翼全体を舵面として超音速での安定性・操縦性を確保し、「困ったときは急降下で逃げる」というF-86の運用法が確定した。


F-86F

シリーズにおいて最も多くが製造された戦闘爆撃機型で、2,239機を製造した。

生産中から前縁スラットを廃止し、付根で6インチ・翼端で3インチ拡大して境界層板を付けた「6-3翼」が適用されるようになり、空戦能力は向上した。これは既生産機にも適用されている。

F-86F-25以降は戦闘爆撃機となり、増槽以外に爆弾も搭載できるようになった。中でもF-35は核攻撃用の低高度爆撃システム(LABS)を装備し、F-40では6-3翼から境界層板を廃止し、スラットを復活させて翼端を延長している。この主翼は6-3翼で高くなってしまった失速速度を元に戻すためのもので、のちに6-3翼装備機にも適用された。

F-86F-1の6機とE-10の4機は、M3 12.7mm機銃をM39 20mm機関砲(4門)に換装したF-86F-2となり、1953年初頭から「ガンバル(Gunval)計画」として7機が金浦に配備・テストされたが、戦闘中に機銃の発射煙を吸いこんでエンジン・ストールを起こし、2機が墜落している。

F-86は搭載力が小さく、朝鮮戦争中はP-51F4Uといった、旧式ながら搭載力や信頼性に優れた戦闘爆撃機の方が活躍している。


F-86H

本格的な改良型戦闘爆撃機。

エンジンはJ73に換装され、機首が153mm大きくなった。胴体も太くなり燃料搭載量が増えている。

F-86H-5以降は機銃がM3 12.7mmからM39 20mm機関砲(4門)に換装され、H-10からはF-40仕様の主翼に変更された。LABSを搭載し、核攻撃も可能。


F-86K

F-86Dの輸出専用型で、電子機器の性能が落とされ、Mk4 FFAR マイティマウスの代わりにM24A1 20mm機関砲が4門装備されている。

イタリアではこの機をライセンス生産した経験を活かし、フィアットG.91を開発した。


F-86L

F-86Dの近代化改修型。

SAGEシステムへの対応や、F-40翼への換装も行われた。


FJ(海軍型)

FJ-1

1944年から設計が始まり、1945年にアメリカ海軍の発注を受け、1946年9月に初飛行。P-51から主翼・尾翼などの設計を流用し、エンジンは胴体を貫くように配置されていた。空軍仕様よりも設計は早い。しかし性能は期待を満たすものではなく、後退翼の採用がなければこのままボツにされていた凡作。


FJ-2

F-86の海軍型。

主翼の折り畳み機構や着艦制動フックを装備し、武装を20mm機関砲に変更した他はF-86に準じる。重量増加により性能は低下した。

着陸装置(車輪)に難があったため、海兵隊で運用されるに留まる。


FJ-3

FJ-2で問題になったパワー不足をエンジン換装で解決した型。


FJ-4

大規模な改設計を受け、ほぼ新作同様となった。

戦闘機型FJ-4は海兵隊で、海軍では戦闘爆撃機として強化したFJ-4Bを運用。FJ-4Bは主翼ハードポイントが6か所となり、核爆弾の搭載も可能。


海外生産分

CL-13(通称:カナディア・セイバー)

朝鮮戦争でF-86の生産が間に合わず、カナダのカナディア社でライセンス生産されることとなった。


セイバーMk.1~Mk.6までの型があり、それぞれA-5やE-1、E-10に相当する。Mk.4では独自の「オレンダ」エンジンを搭載してテストされ、このテスト結果をもとに、更に6-3翼を導入した型がMk.5となった。のちに前縁スラットを復活させ、エンジンをチューンアップした型(Mk.6)も生み出された。

一部はF-86E相当としてアメリカ向けに輸出されている。


CA-27(通称:エイボン・セイバー)

オーストラリアでライセンス生産されたF-86E。

エンジンにホーカー・ハンターなどに使用されたロールス・ロイス「エイボン」RA.7(33.4KN)を採用し、これに合わせて胴体も少し太くなっている。

武装はADEN 30mm機関砲2門。


その後のノースアメリカン社

F-100スーパーセイバーの制式採用から後、ノースアメリカン社の経営は振るわず、開発した機体も軍民問わずに不採用・不採算が相次いだ。1967年にロックウェル社に吸収され(存続会社はノースアメリカン・ロックウェル)、ノースアメリカン社は39年の歴史に幕を閉じた。

ロックウェル傘下に入ってからは、B-1スペースシャトル人工衛星宇宙ロケットのエンジンなどを製造した。


フィクションにおけるF-86

1956年の映画空の大怪獣ラドン』では怪獣ラドン相手に奮戦した。


着色コラボ


関連リンク

アメリカ空軍 戦闘機 ノースアメリカン 朝鮮戦争 MiG-15

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