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V9の編集履歴

2019-05-31 10:03:00 バージョン

V9

ぶいないんぶいきゅう

V9(ブイナイン、ブイきゅう)は、川上哲治監督の下、1965年から1973年までセリーグ及び日本シリーズを 9年連続で制覇した、読売ジャイアンツの黄金時代である。

歴史

V9前史Ⅰ(1956~1960)

1950年に2リーグ制になってから、1955年までの6年間で4度のリーグ優勝・日本一に輝いていた巨人

(1950年松竹ロビンス1954年中日ドラゴンズが優勝。)

水原茂監督(1956年~1960年は「水原円裕(のぶしげ)」)の下で第2次黄金時代を築くが、1956年日本シリーズ三原脩率いる西鉄ライオンズに敗れ、初めて日本シリーズ敗退を味わい、さらに1957年1958年も日本シリーズで西鉄に敗れた。特に1958年は先に3連勝しながら、稲尾和久の前に第4戦から4連敗する屈辱で、この年を以って川上哲治が現役を引退した。

1959年も優勝しセリーグ5連覇を果たしたが、今度は南海ホークスに4タテされた。

続く1960年は三原率いる大洋ホエールズにリーグ優勝をさらわれ、水原はその責任を取り辞任した。


V9前史Ⅱ(1961~1964)


1961年より川上が監督に就任する。川上は長嶋茂雄王貞治を中心としたチームに整備し、就任1年目にしていきなりリーグ優勝。日本シリーズでも南海を破り6年ぶりの日本一に輝いた。

続く1962年は王が一本足打法で本格的に覚醒するが、ペナントは阪神に奪われた。(阪神はこれが2リーグ制になって初の優勝。)

1963年は2年ぶりにリーグ優勝。日本シリーズは56年から3年連続で敗れた因縁の西鉄が相手だったが、西鉄に初めて勝利し、2年ぶりの日本一。

日本中が東京オリンピックに沸いた1964年は王がシーズン55本塁打を達成。(2013年ウラディミール・バレンティンが49年ぶりに記録を塗り替える。)しかし、またしても阪神に優勝を奪われた。


このように、川上政権前半の4年間は日本一と阪神優勝を交互に繰り返していたが、昭和40年代に入ると不滅の黄金時代に突入していく。


V10ならず、そして新たな時代へ(1974)

中日ドラゴンズの1954年以来20年ぶりの優勝が決まり、川上は14年間務めた監督業を退くこととなった。

皮肉にも中日を率いていたのは、1961年に川上によって巨人を放出された与那嶺要であり、結果的に元同僚に引導を渡される形となった。

10月14日の中日戦を以って、長嶋茂雄が現役を引退することとなり、川上の後任となることが決定した。


「わが巨人軍は永久に不滅です!」


V9と世相

V9が始まった1965年から1973年はちょうど日本の高度経済成長期と重なり、V9の終わりがオイルショック(石油危機)に重なることから、時代を象徴する出来事にもなっている。

当時の流行語は子供達の好きなものとして、「巨人・大鵬卵焼きという言葉が出来た。


9年間の日本シリーズは、9年間すべてストレート勝ちはなかったが3敗もしなかった。

9年間の通算勝敗数は36勝13敗である。


主な選手

投手






捕手


内野手





外野手





関連タグ

読売ジャイアンツ

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