概要
1944年2月8日生まれ。
高校時代は甲子園優勝投手として名を馳せ、1961年10月19日に投手として読売ジャイアンツに入団。同年は0勝2敗に終わり「投手失格」の烙印を押された。このため強肩俊足を活かし外野手に転向するとともに、左打ちにも取り組み、日本初のスイッチヒッター(両打)となる。
1963年には5月末から中堅手、一番打者に定着、打率.258(18位)ながら高木守道に次ぐ43盗塁を記録する。
1965年は4月末に故障欠場、2ヶ月を棒に振るが無事に復活した。この年に巨人は日本シリーズを制覇し、ここから1973年までセ・リーグと日本シリーズの双方でNPB最長の9連覇(V9)を達成することになるが、柴田は長嶋と王に並んで、この全期間を通じて野手のレギュラーポジションを維持した3人の一人となった。
1966年には初の盗塁王を獲得。1967年は打撃にも進化が見られ、打率.287(11位)、本塁打18本と好記録を残し、初のベストナインに選出された。
1972年は自己最高の打率.293(6位)を記録する。同1972年には45盗塁を記録して盗塁王を獲得。
1980年限りで現役引退することを決意していたが、1981年もコーチ兼任として現役を続行した。
引退後
引退後は巨人で二軍打撃兼外野守備コーチ(1982年)、一軍守備・走塁コーチ(1983年 - 1985年)を務めた。
その後はフジテレビ(1986年 - 1995年)・ニッポン放送(1986年 - 1993年)→ラジオ日本(1998年 - )の野球解説者を務める。また、巨人OBという立場ながら阪神中心のデイリースポーツの評論家を2004年から2006年まで務めた。