概要
六道とは仏教において悟りを開くために修行する人間たちが輪廻し、彷徨い続けると言われている六つの道(世界)の事。その神秘的なイメージから、創作、とりわけ和風ファンタジーの題材や人名に良く使われる。
歴史的な起源はインド・バラモン教の五趣(五道ともいう)輪廻思想にある。人は信仰の度合いに応じて天界・人間・畜生・餓鬼・地獄の五つの状態(五趣)の間で転生を繰り返すから、信仰を深めて天界への転生を目指せというのである。これに対して仏教では、この考え方を発展させ、修羅を追加して六道とする(ただし後述するように初期仏教は五道だった)。また、天界に転生しても、やがては寿命が来て様々な苦しみを伴って死ぬ(天人五衰)と教える。かくして、宗教の目的を六道輪廻から解脱して如来や菩薩の住む仏界に往くことにおいた(『NHK趣味Do楽 籔内佐斗司流 ほとけの履歴書 仏像のなぞを解きほぐす』)。
もっとも長い歴史と多くの分派を持つ仏教での六道解釈は一つではなく、六道を悟りを開こうとする者達の内面で絶えず変化する精神状態の事として表すこともある。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。
また、六道には変化する精神状態においてプラスの状態の三善趣と、マイナスの状態の三悪趣に分けられる。だが、宗派や解釈においては修羅・畜生・餓鬼を三悪趣と見なしたり(その場合、地獄道は外道と混同されていることが多い)、逆に修羅を加えて四悪趣とする場合もある、
因みに、初期の仏教では修羅道であるアスラが天部の一神として扱われていたため、修羅道が存在せず五趣六道と括られる事もある。
が、ここでは一般的な三善趣・三悪趣に分けて紹介する。
※三善趣と三悪趣の違いは、三善趣は「自分の意志で行動出来る」世界、三悪趣は「自分の意志で行動出来無い」世界である点。
六道一覧
三善趣
天道
精神状態=一時の「幸福」や「快楽」を感じている状態。
天道とは、神々や天人が住まうとされる世界の事である。
天人は人間より優れた存在とされ、寿命は非常に長く空を飛ぶ等の神通力が使え、苦しみも極めて少なく、享楽のまま生涯を過ごすという。
しかし、天人達も所詮煩悩に囚われた存在であり、また仏教が存在しない為、解脱する事も出来ない。
また、天人は不老長寿であるが不死ではなく、天人が死を迎えるときには先述の五衰と呼ばれる恐ろしい苦しみが待っている。
人間道
精神状態=平常心だが善にも悪にも傾きやすい。
人間道とは、我々人間が住む世界である。
四苦八苦という自らの思い通りにならない8種類の苦しみに苛まれる、苦しみの大きな世界である。ただ、苦しみばかりではなく努力次第で楽しみも得られる世界でもある。
また、人間道は欲にかられて悪道に堕ちる恐れもあるが、唯一自力で仏教と出会える世界なので、解脱し仏と成る救いもある。
修羅道
精神状態=自分の正義に凝り固まり、慈悲の心を失った状態。
修羅道とは、修羅が住まうとされる世界の事である。一般に、果報が優れていながら悪業も負う者が死後に阿修羅に生る。
修羅達は怒りのままに常に戦い続け、争いが絶えない世界である。しかし地獄の様な所ではなく、その苦しみの原因は全て自らに帰属する。
その為、なぜ怒りなぜ争うのかという事象に疑問を抱く事で、他の世界へ輪廻することができる分まだ救いのある世界でもある。
人間より下の世界だが、「寿命」「物質」「快楽」の3点で人間に勝る。また、修羅の食事は天界と同じ上等なものが目の前に現れるのだが、最後の一口が口の中で泥に変わってしまうので、やはり人間に劣る。
修羅の特徴として、自分と他者を比較し、常に他者より優れていたい「勝他の念」を強くもっていることが挙げられる。他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、油断と慢心を起こして他を軽く甘く見、驕慢に振舞う。そして、他者の方が優れていても、他者を尊敬できない。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって媚び諂う。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい謙虚なそぶりすら見せることもあるが、内面では自分より優れたものに対する嫉妬や怒りの炎が渦巻いている。
修羅とは正義の心ではあるが、自分の正義に凝り固まるあまり、相手を許すことが出来ず、善心を見失い妄執の悪となる。
店員に土下座を強要する、モンスタークレーマーやあおり運転が良い例である。彼らは「自分を不当に扱った相手を許せない、罰したい、懲らしめたい」と怒りに燃え、暴走してしまうのである。
三悪趣
悪行を重ねた者が死後に「趣く」といわれる苦悩に満ちた3つの世界
畜生道
精神状態=正常な判断力を失って思考停止に陥り、動物的本能のままに行動する状態。
畜生道とは、畜生すなわち「人間以下の動物」への転生であり、その種類は極めて多く、犬猫の様な身近な動物から魚や虫の他、龍と言った伝説の動物に転生する事もある。
一般に悪業を造り、愚痴不平多くして感謝報謝なき者や、恥知らずな者が堕ちるという。
お釈迦さまの『涅槃経』には「慚は人に恥ず、愧は天に恥ず、これを慚愧と名づく、無慚愧は名づけて人とせず。名づけて畜生とす」とある。
しかし、六道を本来の転生ではなく心の状態とみなすなら、畜生とは動物ではなく本能のままに行動し、思考停止に陥り考える事も無くただひたすら使われ続ける哀れな人間の他、ニートやヒモといった、親や他者に養われている、自立出来ていない甘ったれた人もまた「畜生」と言える。
畜生道(畜生界)は強い生き物が、弱い生き物を食べる弱肉強食の世界。
獣でも魚でも虫でも、畜生は常に自分より弱い、食べ物にする生物を探し、自分より強い捕食者に狙われている。
知性が発達しておらず、後先を考え荒れない為、食欲や性欲といった本能的に欲のままに生きている。
この一瞬を全力で生きようとするので、弱くて美味しそうな生き物を追いかけ回す、刹那的な、快楽主義の生き方をしています。
獲物を探すという事は、逆に自分も常に捕食者に狙われているので、心が休まる時が有りません。常に死の恐怖が付き纏います。
猛獣に生まれても、人間に撃ち殺されたり、魚に生まれると、人間に釣られたり、網で捕獲されて食われます。
馬や牛、豚などに生まれると、鼻に穴をあけられてつながれたり、顔や背中に馬具をつけられて重い物を乗せられたり引かされたり、ムチで打たれて一生涯タダ働きさせられます。
そのあげく、ある日、鉄で脳を打ち割られて屠殺され、出荷されて食われることもあります。
畜生道には龍や蛇に生まれ変わった者が受ける「三熱」と言う苦しみが有る。
・熱風や熱砂に身を焼かれる
・悪風が吹いて住居・衣服を奪われる
・金翅鳥(ガルーダの事)に捕食される
餓鬼道
精神状態=満たされない欲望により、心身ともに苦しむ状態。
餓鬼道とは、餓鬼たちが住まうとされる世界の事であり、物おしみをし・貪り、嫉み・妬んだものが墜ちる、強欲で非情な人間の成れの果ての姿とされる。餓鬼道に生まれ変わった者は食べ物を食べようとすると火となってしまい、水を飲もうとすると蒸発してしまい飢えと渇きに苦しみ続ける、食の自由で畜生に劣る世界である。
一般に、生前、布施の精神が乏しく、ケチで、他人のものを盗んだり、金銭や食べ物、楽しみ等を自分だけ独占しようとする「強欲」の心によって餓鬼道に堕ちるという。
一口に餓鬼と言っても、地獄に近い苦しみを受けている餓鬼、人間と同じ世界に住み人間に悪戯をする餓鬼、天界に行って遊んでいる餓鬼、などいくつか種類があり、その数は甚だ多く、一つとして同じ姿の餓鬼は居ないという。
餓鬼は餓鬼道に住む餓鬼と、人間と同じ人間道に住む餓鬼がいる。人間道に住む餓鬼は「昼に寝て夜に活動する」という、人間と逆の生活パターンを持っている。
人間が体験する心霊現象や幽霊の正体は餓鬼であるとされ、心霊体験が夜に多いのは、夜に活動する餓鬼を見たり、存在を感じ取ってしまうからである。
餓鬼の寿命は、人間の一ヵ月を一日として五百歳なので、人間界の時間に換算すると、約1万5千年。
地獄道
精神状態=生きる事自体が辛く苦しい、この世の全てを不幸に感じる状態
地獄道とは罪を償わせる、快楽の無い苦しみだけの世界である。六道では最も最下層にある世界とされ、亡者たちは生前犯した罪により服役すべき地獄が決まり、想像を絶する責め苦を想像を絶する長い年月に渡って受け続けなければならない。
また、犯した罪が複数有る場合、一つの罪を償い終えてもまた別の地獄に生まれ変わり、罪が償えるまで、責め苦を受け続ける。
最終的に罪が償えなかった亡者は、存在そのものを消されるという。
例え罪を償い終えても、まず人間に生まれ変わる事は叶わず、ほとんどは餓鬼や畜生と言った世界に転生してしまう。
仮に人間が地獄の光景を目にすると、恐怖のあまり魂まで一瞬で凍り付いて死んでしまうという。
詳細は地獄。
修羅を加え、四悪趣として扱う場合において地獄は黒がイメージカラーとなっている。また、餓鬼が赤、畜生が黄色、修羅が青のイメージカラーとなる。これは、この3色を混ぜ合わせると黒くなるから起因している。これは仏教と親密性のある陰陽道から用いられ、赤鬼、黄鬼、青鬼の3色の鬼もこのトリビアから由来したものである。
六道をモチーフにした作品と人名等
ALIPROJECT→六道輪廻サバイバル ※Psychedelic Insanityに収録されている楽曲の一つ。
そらのおとしものf→主人公の開発した技
鬼灯の冷徹→本作では天道=極楽と見る俗説をそのまま採用している
サムライスピリッツ:風間火月(羅刹)および炎邪が使用するロマン技、六道烈火
関連イラスト
ここでは六道をモチーフとしたイラストのみ表記させていただく。