概要
福岡県出身。広島の広陵高校から2006年高校生ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに指名されて入団(田中将大の外れ)。ドラフトの同期は糸数敬作、長野久義(指名拒否、現巨人)、今浪隆博、植村祐介ら。
北海道日本ハム・斎藤佑樹投手、巨人・坂本勇人内野手、ロサンゼルス・ドジャース・前田健太投手らと同じ1988年生まれのハンカチ世代のひとり。広島東洋カープ・野村祐輔投手、読売ジャイアンツ・小林誠司捕手は広陵高校の1年後輩にあたる。
ルーキーイヤーとなった2007年は5月17日に一軍初昇格。この時八木智哉、金村曉が離脱していたためその穴を埋める形でそのまま先発ローテーションに定着。この年4勝を挙げ、日本シリーズでも稲尾和久・堀内恒夫・石井一久に続く高卒新人先発登板を果たした。
しかし2008年はわずかに2勝どまりで交流戦前に二軍降格、以降一軍に上がることがなかった。2009年からも本来の実力を発揮できず白星を挙げられなかった。
ダルビッシュ有がメジャー移籍した2012年は、この年新たに監督に就任した栗山英樹に発破をかけられながらオープン戦で好投。これまで苦しんでいた制球難を克服しエース格として14勝(5敗)、防御率1.71の記録を残す。結果パ・リーグMVP、最優秀防御率のタイトルを獲得する活躍を見せた。それ以降も先発の柱として期待されるが、好不調の波が大きく首脳陣の信頼を完全に得ることはできなかった。
2016年のシーズンオフに、交換トレードにより読売ジャイアンツへ移籍した。日本ハム時代につけていた背番号「34」は、金田正一の永久欠番であったことから「21」に変更。さらに2019年には岩隈久志の加入に伴い、背番号を前年に引退した山口鉄也がつけていた「47」に変更した。しかし、6月26日に交換トレードにより古巣の日本ハムに移籍した。巨人移籍前につけていた「34」は既に堀瑞輝がつけていたため、背番号は「56」になった。