概要
石原慎太郎は、日本の政治家、作家。元東京都知事。自民党→太陽の党(元たちあがれ日本)→日本維新の会を経て次世代の党代表。
1932年(昭和7年)9月30日神戸市生まれ。デビュー作の「太陽の季節」が芥川賞を受賞し、映画化もされる。
作家としては代表作にあるように奔放な若者のインモラルな生き様を描く等物議をかもした。
(「太陽の季節」は賛否両論で物議を醸し、「太陽族」なる若者も出てきた。)
また、「スパルタ教育」という教育論を執筆して奨励したのも彼である。
俳優の石原裕次郎(故人)は実弟。石原良純、石原伸晃、石原宏高、石原延啓は息子。
本人曰く、三島由紀夫は友人と言っているが、当の三島本人は否認していた。
立川談志とは、友人関係ではある。
あの麻原彰晃が尊敬する人でもある。
1968年に参議院議員として初当選し政治家転身。以後運輸大臣等閣僚も経験するが、1999年より東京都知事として就任、以後4期務めた。
2012年10月25日に都知事を辞任。たちあがれ日本のメンバーとともに新党を結成し次の衆議院議員選挙に出馬する意向を示し、太陽の党を結成したもののすぐ日本維新の会に合流し、同選挙で当選し国政に復帰した。
そして2014年6月26日に次世代の党を結成し、最高顧問に就任。同年12月の衆議院選挙に臨むも党の状況は厳しく、石原自身も82歳という高齢に加えて前年に脳梗塞を患う等体調が既に万全でないこともあり既に引退を視野にいれ、比例のみでの出馬にも関わらず自らの比例名簿順位を下にしていた。そして12月14日、次世代の党は大敗北を喫し石原自身も議席を失った。
これを受け、石原は12月16日に政界引退を表明した。
都知事時代は一週間に2日位しか出勤しない怠け者だった。
また親族企業に便宜を図るなどの問題も多い。
余談
非常にアクの強いキャラクターで、放言癖があるため好き嫌いの強く別れる政治家の1人。
息子から「ハチャメチャな人」と言われている。
特に漫画・アニメ方面では、東京都青少年健全育成条例などの関係で、pixivなどネット上での反発が強く、アンチも多い(珍太郎などの記事などに詳しい)が、対立候補の弱さや支持基盤の強さ等も手伝い選挙には強い。
最近のマスコミでは「暴走老人」などと呼ばれているが、本人もこの二つ名を気に入ってよく使っている。
オウム真理教が宗教法人になるきっかけを作った人物でもあり、四男の石原延啓は、オウムの幹部でもあった。