※本馬をモチーフとした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘についてはダイタクヘリオス(ウマ娘)参照。
概要
1987年4月10日生まれ。父ビゼンニシキ、母ネヴァーイチバン。
ビゼンニシキはシンボリルドルフと同期でライバルと言われた。
馬名は馬主・中村雅一の経営する大拓(株)とギリシャ神話の太陽神ヘリオスを組み合わせたもの。
通算35戦10勝(GⅠ2勝)。獲得賞金6億8995万2400円。
短距離、マイルを中心に活躍し、大逃げを得意とした。
岸滋彦騎手の代表的騎乗馬。
主な競争歴
1989年
- 10月7日、京都競馬場の3歳新馬戦でデビュー。
- 10月29日、3歳新馬戦で初勝利。
- 12月9日、さざんか賞で優勝。
- 12月17日、阪神3歳ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)2着。
1990年
- 3月25日、スプリングステークス11着。
- 4月14日、クリスタルカップで優勝し、重賞初制覇。
- 11月18日、マイルチャンピオンシップ17着。
- 12月16日、スプリンターズステークス5着。
1991年
- 2月24日、マイラーズカップを5馬身差で圧勝し重賞2勝目。
- 5月12日、安田記念2着。
- 7月7日、高松宮杯(現在の高松宮記念。当時は芝2000mのGII)でダイイチルビーの母子3代同一重賞制覇を阻み重賞3勝目。
- 10月26日、スワンステークス9着。
- 11月17日、マイルチャンピオンシップでGI初制覇。
- 12月22日、有馬記念5着。
1992年
- 3月1日、マイラーズカップは60kgのハンデを背負いながら5馬身差で連覇し、重賞5勝目。
- 5月17日、安田記念6着。
- 6月14日、宝塚記念5着。
- 10月11日、毎日王冠はレース前に騎手を振り落とすなど暴れたが、レースはレコードタイムで逃げ切り重賞6勝目。
- 11月1日、秋の天皇賞でメジロパーマーとの逃げ争いの末失速し8着。超ハイペースに巻き込まれたトウカイテイオーは7着に終わり、初めて掲示板を外した。
- 11月22日、マイルチャンピオンシップで史上2頭目の連覇。
- 12月20日、スプリンターズステークス4着。
- 12月27日、連闘で臨んだ有馬記念では再びメジロパーマーと共に逃げ12着。メジロパーマーは1着。これが引退レースとなった。
引退後
2008年9月に種牡馬を引退し、青森県の牧場で功労馬として余生を過ごす。12月に21歳で死亡。
余談
- パドックでイレ込んだり、レース中にかかりまくってバタバタしている方が好走した。
- 1番人気で惨敗、人気薄で1着というパターンを繰り返し「オッズを見る馬」と呼ばれるなど、何かとネタにされる人気馬だった。1番人気で勝ったのは1989年のさざんか賞のみ。
- 常に大きく口を割って走ることから、「笑いながら走る馬」とも言われた。
- 現役時代は気性難で厩務員を手こずらせたが、引退後は一転して非常に温厚になり関係者を驚かせた。
- 1991年の安田記念や高松宮杯などで対戦した牝馬ダイイチルビーとは5勝3敗で、マイル戦線を中心にライバル関係を築き、漫画『馬なり1ハロン劇場』でも題材にされたり、ゲーム『ウイニングポスト』でも架空の産駒であるファーストサフィーが登場したが、現実では夢の配合は実現しなかった。