土蜘蛛とは――
- 天皇家に服従しなかった土豪たちの蔑称
- 上記民族をモデルとした蜘蛛の妖怪
概要
土豪としての「土蜘蛛」
天皇家に従属しない、各地の豪族やその一門を指す言葉。
『古事記』『日本書紀』、また『風土記』など、古来の書物に頻繁に登場する。
主に摂津国・陸奥国・越後国・常陸国・豊後国・肥前国など、当時まだ辺境とされた各地の文献にその名を残している。
中でも大和国・大和葛城山に存在した土蜘蛛が知られ、彼らは神武天皇によって討伐された。また彼らはその体から尾が生えていたとか、全身から光を発することができたなど、まるで人外のであるかように記述されている。
現在でも地元の一言主神社の境内に『土蜘蛛塚』という塚が存在し、彼らが怨霊として復活しないように五体をバラバラにして封印しているのだという。
こうした反政治的な地方豪族の存在は、当時の朝廷にとって目の上の瘤であると同時に、自身らの政治基盤を揺るがしかねない危険因子でもあった。
そのため、そうした民族たちを鬼や土蜘蛛と呼び、警戒していたという。
なお、土蜘蛛の語源として「土隠(つちごもり)」とする説があり、彼らが古来からの穴式住居に住む民族であることの暗喩と見るものがある。
妖怪としての「土蜘蛛」
様々な異伝が存在し、以下有名なもの二つを挙げる。
土蜘蛛草子
あるとき源頼光が四天王・渡辺綱を連れて洛外にある北山へ赴く最中、空飛ぶ奇怪な髑髏に遭遇する。不審に思った二人はこれを追跡し、一件の古びた屋敷に辿り着く。そこから無数の妖怪たちが出現し、頼光たちを襲撃。夜を徹しての一大決戦となり、頼光たちを苦しめた。
明け方になり、女の妖怪が登場して目くらましを仕掛けてくるも、頼光はこれに屈せず女に一太刀を浴びせる。するとたちまちに妖怪たちは姿を消し、女の妖怪も姿を消した。しかし、白い血が地面に落ちていたため、これを辿ると今度は大きな洞穴に行き当たる。そしてその洞穴の中にたのが蜘蛛の化け物(土蜘蛛)であり、頼光たちを苦しめた元凶であった。
頼光たちは決死の激闘を演じ、頼光が土蜘蛛の首を刎ねて勝利を収める。
その後土蜘蛛の体を解体すると、腹から無数の子蜘蛛が現れ、それをかき分けていくと頼光たちが最初に見かけた「空飛ぶ髑髏」と思しき20の頭蓋骨が出てきたという。
平家物語
ある時、頼光は熱病を患って床に臥せってしまう。
そんな中、彼の病床に身の丈七尺(2.1m)の奇怪な僧侶が現れ、彼を縄で絡めて連れ去ろうとしたという。頼光は必死の抵抗で枕元に置いてあった膝切を振るい、その一太刀が当たると僧侶は僧侶は逃げ去っていった。
翌日、病の体を押して僧侶の血の跡を追った頼光と四天王は、北天満宮に行き着き、その裏手にある塚で全長四尺(1.2m)もの大蜘蛛を見つける。頼光たちはこれを捕え、河原に鉄串で全身を突き刺して晒しものにすることとした。
それから間もなく、頼光は病から快復することができたという。
なお、この土蜘蛛は前述の大和葛城山の土蜘蛛の怨霊とされる。
この話は、後世で能の題材にも取り入れられた。
怨霊・土蜘蛛
このほか、頼光伝説を由来とした土蜘蛛の痕跡は京都の各所に存在する。
有名どころでは、京都市北区の上品蓮台寺にある『源頼光朝臣の塚』で、かつてこの塚を土蜘蛛の巣食っていた塚だとして、その近くに植えられた木を切ろうとしたものが病死したという言い伝えがある。
また上京区一条通にも土蜘蛛の塚があり、ここで見つかった灯籠を貰い受けた人の家はたちまち傾いてしまったため、蜘蛛灯籠と呼ばれて恐れられ、今は上京区観音寺門前町の東向観音寺に奉納されている。
関連タグ
土蜘蛛と関連の深いキャラクター
『ぬらりひょんの孫』の土蜘蛛
羽衣狐率いる京妖怪軍団の幹部。
5m以上はあろうかという天を衝くような筋骨隆々とした巨躯、般若の面のような顔に伸び放題になった赤い髪、六本の腕という異形の妖怪。煙管を持ち歩いており、暇な時にはこれで一服している。
作中でも最強の妖怪の一体であり、花開院秀元曰く「絶対に立ち向かってはいけない妖怪」。
彼の保有する"畏(おそれ)"は自らに向かってくる一切の"畏(おそれ)"をことごとく破壊する『百鬼夜行破壊』であり、集団戦を肝とするぬらりひょんにとっては、まさに天敵の如き存在。
性格は豪放磊落で、根っからの喧嘩馬鹿。
自分を負かすことのできる相手を探し続けており、羽衣狐に加担しているのも、彼女の生み落とす鵺との戦いを望むが故である。
関連タグ
黒谷ヤマメ
詳しくは該当項目を参照。