経歴
弟のクリスチャン・デムーロも騎手であり、また父ジョヴァンニも元騎手、姉で調教師のパメラも元騎手であった。
1994年、15歳で騎手免許を取得。1995年にはイタリアの見習騎手リーディングに、1997年から2000年までは4年連続でイタリアのリーディングジョッキーに輝いた。
1999年に初来日。この当時から騎乗センスは非常に評判が良く日本の関係者からの厚い信頼を得ていた。
2003年にはネオユニヴァースで皐月賞と日本ダービーの二冠を達成。外国人騎手による初の日本ダービー制覇を成し遂げる。
観客から「ミルコ」コールが送られたこの時について、後に「サッカーのナカタになったような錯覚に陥った」という感想を述べている。
2011年にはそのネオユニヴァース産駒であるヴィクトワールピサでドバイワールドカップを優勝し、日本馬によるドバイワールドカップ初優勝を成し遂げた。
天覧競馬となった2012年の天皇賞(秋)ではエイシンフラッシュで優勝。
下馬して天皇皇后両陛下に恭しく敬礼するポーズ姿は歓声を呼んだ。
(ただし、本来は検量室まで下馬してはいけないという決まりであったが、JRAは意を汲んでか咎めることはなかった。)
2015年にはJRAの騎手試験に合格し、同時に合格したクリストフ・ルメールと共に通年免許を取得。JRA初の外国人騎手の一人となった。
同年、ドゥラメンテで皐月賞と日本ダービーの二冠を12年ぶりに達成している。
2020年から、所属は栗東のまま、活動拠点を美浦に移した。
人物像
とにかく「和」を好み、通年免許取得後は京都に住み、家に和室を3つ置き、日本食も食し、神社にもよく参拝する。
競馬開催前日に全騎手が入室を義務付けられている調整ルームでも和室を選んで泊まり、納豆を持ち込んで食べている(同期のルメールは納豆が苦手)。
ちなみに、本人は納豆が好きだが、二人の娘は関西(栗東トレセンは滋賀県)暮らしが長かったせいか納豆嫌い。
情熱大陸の取材では、しきりに娘に納豆をすすめるデムーロに対し、「(納豆の)箱を食べるか中身を食べるかって聞かれたら箱を食べるわ」というパワーワードを残している。
少し茶目っ気のある面もあり、ウイニングランなどでは両手を広げる「飛行機ポーズ」をたびたび披露。ただし、2007年12月2日の中日新聞杯(サンライズマックスに騎乗)ではゴール前にやって制裁を受けた。
余談だが、この飛行機ポーズの元ネタはかつてセリエAのサッカーチーム、ASローマにて活躍した元イタリア代表FWのヴィンチェンツォ・モンテッラのゴールパフォーマンスである。
デニーロ本人は生粋のロマニスタ(ASローマのファンの愛称)であると公言しており、中でもこのモンテッラのゴールパフォーマーがお気に入りとのこと。前述のミルココールに対する反応もロマニスタが故の反応だと推測できる。
主な騎乗馬
'03皐月賞、'03東京優駿
'08JC
'10有馬記念
'12天皇賞(秋)
'15皐月賞、'15東京優駿
'16エリザベス女王杯
'18大阪杯
'18ホープフルステークス
'19NHKマイルカップ
'19優駿牝馬
'20大阪杯
'20NHKマイルカップ
'18〜'21東京大賞典、'19帝王賞
'21優駿牝馬
'21阪神ジュベナイルフィリーズ
関連動画
2003年第70回日本ダービー
2012年天皇賞(秋)での敬礼
関連イラスト
関連タグ
クリストフ・ルメール:同時にJRA通年騎乗免許合格した外国人騎手