概要
ベネズエラ出身の元野球選手、監督。
フルネームはアレクサンダー・ラモン・ラミレス・キニョネス。日本帰化後の日本名はラミレス・カプリレス・アレクサンダー・ラモン。
ベネズエラ北部の小さな町、ピニャンゴ・デ・ジャレに生まれる。
5歳の時に野球を始め、8歳でリトルリーグ所属。18歳でアメリカのマイナーリーグにスカウトされる。
クリーブランド・インディアンズ、ピッツバーグ・パイレーツ、日本のヤクルトスワローズ及び東京ヤクルトスワローズ・読売ジャイアンツを経て2012年から2013年まで横浜DeNAベイスターズに在籍し、2014年にはBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスの1年プレイしたのちに現役引退。同年10月より群馬のシニアディレクターに就任。2015年6月からはオリックス・バファローズの巡回アドバイザーを兼任したが、どちらも同年10月に退任し、直後にベイスターズ1軍監督に就任。大洋ホエールズ時代を含め球団初の外国人監督となった。
2016年には横浜ベイスターズ時代を含めて球団初のCS出場を果たす。これにより12球団が全てCS出場した事になった。
2017年も2年連続でCS出場を果たした。CSを勝ち抜いた事で1998年以来の日本シリーズ出場も果たしたが、2勝4敗で福岡ソフトバンクホークスに敗れた。
2018年には日本への帰化を申請。書類の不備で手続きが遅れるも2019年1月に日本国籍取得が認められた。
2020年シーズンをもって監督を退任し、退任当日にYoutubeチャンネルを開設した。
陽気で豪快なプレースタイルとは異なり、本人はメモ魔で常に相手チームや選手の分析を行なっている。これは選手時代はもちろん監督になってからも同様で、チームメイトらが明かしている。
尊敬する人物として、ヤクルト時代の最初の監督若松勉、同僚で監督も務めた古田敦也、巨人時代の監督原辰徳の名を挙げている。また、来日当初チームに馴染めるようにパフォーマンスを教えた度会博文にも感謝の念を述べている。
日本野球に馴染む為に様々な努力をした事、その際に前述の人物達からアドバイスを貰った事をしばしば語っている。
ラミレスは来日当初はパワーで引っ張るタイプのタイプだったが、三振が続き悩んでいた時に若松監督から「日本の投手は思い切った内角攻めをしてこないから、センターから逆方向へ打つ事を意識してみると良い」とアドバイスを貰い、そこから日本野球に順応できるようになった。また、自身の調子が悪くても、辛抱強くレギュラーとして出場させてくれた事で若松監督に絶大な信頼を寄せており、監督と選手の信頼関係の築き方を学んだと横浜の監督就任後に明かしている。
古田からは、日本ではメジャーリーグと違い捕手がリードするから捕手の動きに注目すると良いとアドバイスを受け、捕手の配球を分析するようになった。
監督になりたいと思い始めたのは巨人移籍後で、原監督を独善的な「ボス」ではなくチームを牽引する「リーダー」としての監督の理想像だと考えるようになったと、同じく横浜監督就任後のインタビューで語っている。
また、巨人時代及び横浜選手時代は試合前にしばしば原監督及び中畑清監督のいる監督室を訪ねており、監督とはどうあるべきかといった監督像を聞いたり、チームは今こういう状況だという報告等をしていたと原や中畑が語っている。
余談だが、中畑は横浜監督時代にラミレスが怠慢走塁でアウトになった際、試合終了後に監督室にラミレスを呼び、「ラミちゃん、監督になりたいんだよね?ああいうプレーをする選手を使いたいと思う?」と質問すると、ラミレスは即座に「思いません。」と答えたと明かしている。
それが関係しているかは定かではないが、監督になってからのラミレスも全力プレーを選手達に求めており、怠慢プレーを行なった選手を懲罰交代させた事もある。
背番号
背番号 | 使用年 | 所属チーム | 備考 |
---|---|---|---|
61 | 1998年〜2000年 | クリーブランド・インディアンズ | 選手 |
61 | 2000年 | ピッツバーグ・パイレーツ | 選手 |
3 | 2001年〜2005年 | ヤクルトスワローズ | 選手 |
3 | 2006年〜2007年 | 東京ヤクルトスワローズ | 選手 |
5 | 2008年〜2011年 | 読売ジャイアンツ | 選手 |
3 | 2012年〜2013年 | 横浜DeNAベイスターズ | 選手 |
3 | 2014年 | 群馬ダイヤモンドペガサス | 選手兼任打撃コーチ |
80 | 2016年〜2020年 | 横浜DeNAベイスターズ | 1軍監督 |
実績
2013年終了時点で本塁打王2回・打点王4回・首位打者1回を獲得している強打者。2007年に右打者シーズン最高安打数を記録した(2010年にマット・マートンが更新。ちなみにマートンはラミレスと同じ誕生日(10月3日)である)。
2013年4月6日に古巣神宮球場で2000本安打をホームランで達成した。
NPB通算安打数は2017本(このほかにヤクルト入団前にMLBでも86安打しているが、名球会加入条件の2000本安打には含まれない)。
かなりフレンドリーな性格でひょうきんなイメージが強いが、MLB時代は選手会のストライキに反発して、ファンのために強行出場した男気も持つ。
パフォーマンス
選手同士で「アイーン」をやり合う姿を目撃した際、当時内野手だった度会博文に「お前もやってみたら」と勧められ、試しに練習中に子供たちの前で披露、大ウケだったことから始めた。メジャーリーグでは挑発行為とも取られた為、通訳に相談したが、「日本では問題ない」と言われたのでやり始めたと後に語っている。
宮本慎也からお笑いDVDを貰って練習したり、ファンから募集したりとレパートリーは増え続けている。
また、志村けんをはじめとした元ネタの芸人ともこの事がきっかけで交友関係を結び、2000本安打達成の際には彼らから祝福の声が寄せられている。
ダンディ坂野の持ちネタである「ゲッツ」を多用した結果、ダンディがゲッツをしたところ、事情を知らない子供に「ラミレスのネタ」と指摘されたことがあるらしい。後に坂野は2018年にDeNA主催試合のイベントで始球式に登場したが、打者ラミレスに投げた球を打ち返されてしまう。それでもその直後にラミレス一緒にゲッツをし本人は良い思い出だったと語っている。
関連動画
応援歌
かっとばせラミレス かっとばせラミレス
ホームラン ホームラン ホームランラミレス
↓
光輝く明日を見せる その広い背中
おぉラミレス おぉラミレス おぉ誇り高く
↓
目の前にいる敵を 一撃で蹴散らせ
飛ばせ遥か彼方 見せつけろラミレス
ホームランで2000本安打達成
相手投手は石川雅規。
ラミレスさんファミリーお誕生日会
トイザらス公式動画より。再婚後に生まれた長男・剣侍くんの誕生日会の動画。彼がダウン症患者であることも公表している。
YouTube「ラミちゃんねる」へのリンク
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