概要
1970年生まれ、大阪府出身。
PL学園高校出身で、立浪和義・片岡篤史・野村弘樹らの1学年後輩にあたる。
同志社大学卒業後、プリンスホテルに入り社会人野球でプレーしたのち、1994年ドラフト2位でヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。同期には稲葉篤紀(3位)がいる。
ルーキーイヤーから一軍に出場。当時は二塁手の守備固めとしての出場が多かった。その年の日本シリーズには全試合途中出場を果たしチームの2年ぶりの日本一に貢献。
1997年には池山隆寛から遊撃手のレギュラーを奪取しチームの2年ぶりの日本一を奪回した功績により初のゴールデングラブ賞を受賞するが、翌年にプロ野球脱税事件に関与し執行猶予付きの有罪判決を受ける。そのため1998年は開幕から出場停止処分を受けてしまう。
ちなみに球団はこの時、宮本の代役として野口寿浩との交換トレードで城石憲之を獲得している。
1999年以降は再びゴールデングラブ賞を受賞したり、4年ぶりの日本一となった2001年にはシーズン世界記録となる67犠打をマークするなどスワローズの中心選手として活躍。
また2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選ばれ、銅メダル獲得に貢献している。2006年にはWBC日本代表に、2008年には北京オリンピック野球日本代表に選出されている。
2008年途中からは三塁手にコンバート。2011年には3年ぶりの打率3割をマークしベストナインに選ばれた。
2012年5月4日で通算2000本安打を達成。大学・社会人経由では先輩の古田敦也に次ぐ2人目の快挙を成し遂げた。ちなみに、同期の稲葉も宮本の6日前の4月28日に宮本と同じ1976試合目で2000本を達成している。
また、2000本安打達成者では犠打数が最も多い。
なおそれより3日前には通算100エラーも達成し、つば九郎から「おめでとうございます、100エラー!」と祝福(?)を受けている・・・が、宮本の名誉のために言っておけば、この失策で連続守備機会無失策は257で途切れたが、これは三塁手としての日本記録であり、宮本ほどの守備機会の多さで通算100エラーはむしろ少ない方で、守備の名手としての勲章でもある。
2013年シーズンをもって現役を引退することを表明した。野球解説者として活躍後、2017年シーズン終了後にスワローズのヘッドコーチ就任したが2019年限りで退団。
なお、野球人生で一番嬉しかったこと幸せだったのは何ですか?と彼に尋ねると「母校日本一、リーグ優勝、日本一、WBC世界一よりもPLの2年生になれたことが人生で一番嬉しかった」と真顔で応えた。
関連動画
現役時代の応援歌
(旧歌詞)※上記動画はこちらの歌詞
どんな打球でもそらさない 慎也のショートは日本一
(新歌詞)
球道極めたその技で 慎也よ導け日本一
この応援歌の原曲は「我らの指揮者」である。(1:22ごろから)