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目次
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  • 1 逝け・逝ってしまえ・逝ってよし
  • 2 ローマニアIMPERATOR CAESAR AVGVSTVS
  • 2.1 東ローマ帝国Αυτοκράτορας Καίσαρας Αύγουστος
  • 2.2 ビザンツ帝国Βασιλεύς
  • 3 IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS 略 IMP
  • 3.1 アウグストゥス(AVGVSTVS)の尊称を授与されたオクタヴィヤヌス本人と、
  • 3.2 この尊称を帯びた彼の後継者をさす。
  • 4 なぜ、ローマ皇帝のことを『元首政治』とか分けなくてはならないか、
  • 4.1 しかしローマ人自身が『君主』という存在を毛嫌いするのである。
  • 4.2 アウグストスの身分も一般市民とも変わらないので。
  • 4.3 ず~と内閣総理大臣をしていても、おかしくないようにふるまっていた訳で。
  • 4.4 あまり似ているとは言いたくないがアメリカの大統領にシステムが似ているといわれる。
  • 5 ローマ元首の皇帝化 絶対元首政治
  • 5.1.1 ディオクレアティヌスから
  • 5.1.2 ローマ元首を『神に匹敵』する位と宣言し。
  • 5.2 ローマニアの人々は『跪かないと』いけなくなった。
  • 5.2.1 ローマ帝国が東西断絶を起こす前ぐらいからで東ローマ帝国
  • 5.2.2 時代にはいってからだそうだ。
  • 5.2.3 この頃になるとだれしも皇帝の御前になると跪つかないと首が飛ぶようになった。
  • 5.2.4 ただ、東ローマ皇帝は
  • 5.2.5 最初にかいたアウグストスの『やろうと思えば消せる』の権力を使えるようになったにすぎない。
  • 6 Αύγουστος アーグストス
  • 7 ギリシア語: Βασιλεύς; Basiléus バシレウス
  • 7.1 バシレウス号に
  • 7.2 以後Βασιλεύςバシレウスが
  • 7.3 東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。
  • 8 ラテン語圏消滅
  • 8.1 公用語のギリシア語化「ローマ帝国のギリシア化」を象徴するものとされている、が
  • 8.2 『ペルシャ帝国』の君主の肩代わり説
  • 9 『キリスト教を滅する地獄の魔王』から~『神の代理人』へ
  • 9.1 ローマ皇帝こそが『地上における神の代理人』であり
  • 10 ローマ皇帝は『地獄の軍団レギオンこと』ローマ帝国軍最高司令官
  • 10.1 ローマ帝国軍最高司令官であるから。
  • 10.2 ローマ皇帝に楯突くことは『神への反逆』すなわち『死』を意味した。
  • 10.3 『墓穴が不足しておるのか』
  • 10.4 ローマ皇帝自身が『神の代理人』である以上権力は無限にある
  • 10.5 逆鱗に触れた正教会の教会は焼き払われたり
  • 10.6 罪のない住民を巻き込み町ごと殲滅されたそうだ。
  • 11 関連
  • ローマ皇帝

    ろーまこうてい

    『ローマ軍最高司令権限保持者兼元老院調整』 のち欧州の帝王観念となる 厳密に言うと『ディオクレアヌス元首』から『皇帝化』してゆき、『バシレイオス2世』の頃が『絶頂期』を迎える

    逝け・逝ってしまえ・逝ってよし

    ローマニアIMPERATOR CAESAR AVGVSTVS

    東ローマ帝国Αυτοκράτορας Καίσαρας Αύγουστος

    ビザンツ帝国Βασιλεύς

    IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS 略 IMP

    紀元前27年に元老院より

    アウグストゥスAVGVSTVS)の尊称を授与されたオクタヴィヤヌス本人と、

    この尊称を帯びた彼の後継者をさす。

    ローマ皇帝というひとつの職位があるのではなく多くの重要な職位を一人が集中して兼任した状態のことをいう。

    初代のローマ皇帝とされるオクタビヤヌスは実際に様々な官職や権限を

    一身に集め彼の後継者に同一の権限を与えた。

    歴代ローマ皇帝アウグストゥスの正式名である

    Imperator Caesar Augustus

    を自分の名前に付加することで権限を集中した兼任者(つまり皇帝)が誰であるかを明確にしていた。

    ただしAVGVSTVSの名には何も権力は無い

    なぜ、ローマ皇帝のことを『元首政治』とか分けなくてはならないか、

    初代アウグストスの頃から別にやろうと思えば、

    反抗する人間を『消すこと』ができたしやったこともある。=これを権力という。

    しかしローマ人自身が『君主』という存在を毛嫌いするのである。

    彼自身は仕事の仕方では『執政者(首相)』と変わらないようにしていた

    当のアウグストス自身も後代の元首ローマ元首)も

    『元老議員』であることには変わりなく、

    アウグストスの身分も一般市民とも変わらないので。

    悪い遺族がたまに『下々の民』とか禁句だったのだろう。

    ローマ皇帝がそれを言えるようになるのはディオクレアヌスぐらいから

    当然

    元首が元老院に行く際も仰々しく言ってはいけないわけで

    一議員・執政官としてぐらいの優遇しかされなかったのだろう。

    日本で比べると

    ず~と内閣総理大臣をしていても、おかしくないようにふるまっていた訳で。

    実際は古代は民衆に支持されないから辞めるという習慣が無いから

    超然とした境目は会ったのだろうけど。

    あまり似ているとは言いたくないがアメリカ大統領にシステムが似ているといわれる。

    ローマ元首を『神に匹敵』する位と宣言し。

    ローマニアの人々は『跪かないと』いけなくなった。

    コンスタンティヌス1世にかけて

    ローマ帝国が東西断絶を起こす前ぐらいからで東ローマ帝国

    時代にはいってからだそうだ。

    この頃になるとだれしも皇帝の御前になると跪つかないと首が飛ぶようになった。

    ただ、東ローマ皇帝は

    最初にかいたアウグストスの『やろうと思えば消せる』の権力を使えるようになったにすぎない。

    東ローマ帝国

    Αύγουστος アーグストス

    通称東ローマ帝国(ビザンツ帝国

    ギリシア語: Βασιλεύς; Basiléus バシレウス

    ギリシア語の君主の称号。

    元は「王」を意味するギリシア語であり

    古代ギリシア世界ではラテン語の "rex" にあたるものであった。

    中世東ローマ帝国においてはローマ皇帝の称号となった。

    中世~現代ギリシア語では「ヴァシレフス」。

    古代ローマ帝国後期においては

    インペラトル、カエサル、フラウィウス、アウグストゥス」が皇帝の称号であり、

    初期の東ローマ帝国でもそれが引き継がれていた。

    ギリシア語版の勅令でも

    アウトクラトール・カイサル・フフラウィオス

    アウトクラトール(支配者の意。インペラトルに相当)

    Αύγουστος アーグストス

    (ないしは、同じ意味のギリシア語であるセバストス

    と記されていた。

    バシレウス号に

    629年にペルシアサーサーン朝に勝利し

    東ローマ帝国首都コンスタンティノポリスヘ凱旋し

    ローマ皇帝へ即位したヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)は

    「キリスト信者のバシレウス」とだけ名乗った。

    その後の東ローマ皇帝

    アウトクラトール、カイサル、フラウィオス、セバストス(またはアウグストス)」といった伝統的な称号も復活し併記されるようになったが

    以後Βασιλεύςバシレウス

    東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。

    ラテン語圏消滅

    当時ゲルマン人などの侵入によってラテン語使用地域の大半は

    ローマ帝国の支配領域から離れてしまっており新設された

    官位などもギリシア語の名称を使用するようになっていた

    当然当時のローマ帝国ギリシャ語が普通だと考えるようになった。

    このことはローマ帝国

    公用語のギリシア語化「ローマ帝国のギリシア化」を象徴するものとされている、が

    具体的になぜこの時期にヘラクレイオスが急に称号を変えた

    (即位時には伝統的な称号を使用していた)のかは定かではない。

    『ペルシャ帝国』の君主の肩代わり説

    一説によればそれまで

    「バシレウス」は

    諸王の王シャーハンシャー、ギリシャ語では「バシレウス・バシレオーン」)」

    と称していたペルシャ帝国サーサーン朝の君主をさす用語であったものだったが

    サーサーン朝を降したことによって

    ヘラクレイオスが新たな「諸王の王」であると宣言したとも言われている。

    本来「王」を示すバシレウスが皇帝を示す用語に変わったことから

    東ローマ帝国では他国の王を示す言葉として

    が使用されたという。

    『キリスト教を滅する地獄の魔王』から~『神の代理人』へ

    東ローマ帝国では西ヨーロッパのように

    神聖ローマ皇帝』と『ローマ教皇』が並立せず

    ローマ皇帝こそが『地上における神の代理人』であり

    コンスタンティノポリス総主教等の任免権を有していた。

    しかし正教会において教義の最終決定権はあくまでも教会会議にある。

    聖像破壊運動を終結させた第七全地公会も

    主催はローマ女帝エイレーネーによるものの、

    決定したのはあくまで公会議である。

    ローマ教皇のような一方的に教義を決定できる唯一の首位を占める存在といった

    システムが正教会にそもそも無い以上ローマ皇帝

    ローマ教皇のように振舞える道理は無かった。

    ローマ皇帝は『地獄の軍団レギオンこと』ローマ帝国軍最高司令官

    が、現実に有する軍事力=ローマ皇帝は『地獄の軍団レギオンこと』

    ローマ帝国軍最高司令官であるから。

    ローマ皇帝に楯突くことは『への反逆』すなわち『死』を意味した。

    『墓穴が不足しておるのか』

    ローマ皇帝自身が『神の代理人』である以上権力は無限にある

    逆鱗に触れた正教会の教会は焼き払われたり

    罪のない住民を巻き込み町ごと殲滅されたそうだ。

    おそロシア・・・あれ

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