ローマ皇帝
ろーまこうてい
『ローマ軍最高司令権限保持者兼元老院調整』 のち欧州の帝王観念となる 厳密に言うと『ディオクレアヌス元首』から『皇帝化』してゆき、『バシレイオス2世』の頃が『絶頂期』を迎える
逝け・逝ってしまえ・逝ってよし
IMPERATOR CAESAR AVGVSTVS 略 IMP
紀元前27年に元老院より
なぜ、ローマ皇帝のことを『元首政治』とか分けなくてはならないか、
初代アウグストスの頃から別にやろうと思えば、
反抗する人間を『消すこと』ができたしやったこともある。=これを権力という。
ディオクレアティヌスローマ元首を『神に匹敵』する位と宣言する。
それまでは元首はさまざまな『役職』の人間と協議して決めることが多かったが、
これからは完全にローマ元首本位で決まるようになった。
『反対意見』を言う物は『生きていられなくなった』
ローマニアの人々は元首がと通る時は『跪かないと』いけなくなったという。
一応行列を横切ると無礼討ち、である
しかしまだ地位の世襲はディオクレアヌス自身は『認めていなかった』
コンスタンティヌス1世 偉大なる絶対元首 中世の君主
コンスタンティヌス1世はキリスト教を崇拝したローマ絶対元首として有名である
ギリシア語: Βασιλεύς; Basiléus バシレウス
ギリシア語の君主の称号。
元は「王」を意味するギリシア語であり
古代ギリシア世界ではラテン語の "rex" にあたるものであった。
中世~現代ギリシア語では「ヴァシレフス」。
古代ローマ帝国後期においては
「インペラトル、カエサル、フラウィウス、アウグストゥス」が皇帝の称号であり、
初期の東ローマ帝国でもそれが引き継がれていた。
ギリシア語版の勅令でも
アウトクラトール(支配者の意。インペラトルに相当)
「Αύγουστος アーグストス」
(ないしは、同じ意味のギリシア語であるセバストス)
と記されていた。
バシレウス号に
東ローマ帝国首都コンスタンティノポリスヘ凱旋し
ローマ皇帝へ即位したヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)は
「キリスト信者のバシレウス」とだけ名乗った。
その後の東ローマ皇帝も
「アウトクラトール、カイサル、フラウィオス、セバストス(またはアウグストス)」といった伝統的な称号も復活し併記されるようになったが
以後Βασιλεύςバシレウスが
東ローマ帝国における皇帝の称号として定着することになった。
ラテン語圏消滅
ローマ帝国の支配領域から離れてしまっており新設された
官位などもギリシア語の名称を使用するようになっていた
当然当時のローマ帝国もギリシャ語が普通だと考えるようになった。
このことはローマ帝国の