アウグストス
あうぐすとす
それにしても、あの方の朗読は、なんて下手くそなんだろう。一本調子の棒読みだ。
IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
一番問題なのはカリスマが無かった・・・
- 彼自身美男だったそうだが。色気を感じさせるような美男ではない。(別に美少年とかではない)
- 性格は繊細で男女ともにもてても長続きせず、あらゆる諸事が苦手だった。
- 病気のせいで食事がままならないことが多かった。
- 剣技・軍団指揮や政治での演説・才能も苦手だった(というかできなかった・・)全てがカエサルに劣った。
- カエサルと違うところは、『何を考えているか解からない』ように出来た様で。
- 感情の感じをさせない美男子が冷淡に議論・政論をしているのを考えると。なんだか気味の悪い存在感=たぶんこれがローマ皇帝の覇気・オーラぽく見えたんじゃないか。
- 大久保利通タイプに近いように見えるようである。
- 彼は『聞き上手』だったらしく、聞いているときの姿勢が一番『皇帝』ぽかったようだ。
- 『熱く演説』出来ないから下手くそに見えたのであると思う。(全てが『棒読み』であった)
- 仕事をしていても『熱』を感じさせない様な仕事ぶりぽい(進むのだが)
名前 オクタウィアヌスおよびユリウス・カエサル(3世)
役職 | 古代ローマの元老議員。ローマ軍武官。執政者。護民者。最高司命令者。最高神祇官 |
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本名 | ガイウス・オクタウィアヌス |
変名 | ユリウス・カエサル(3世) |
皇帝名 | インペラートル・チェザル・デェフィ・フィリクス・アウグストス |
ローマ字 | IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS |
世没 | 紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日 |
期間 | 紀元前27年1月16日 - 紀元14年8月19日 |
廟号 | Imperator Ceaser divi Firius Augustus ,Pontifex Maximus,ConsulⅩⅢ,ImperatorⅩⅩⅠ,Tribuniciae PotestatisⅩⅩⅩⅦ,Pater Patriae |
訳 | 護民官権限・執政官13回・インペラトール歓呼21回・国父・大神祇官 |
綽名 | AVGVSTVS=尊厳者 |
IMPERATOR(命令権)から
IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
意味「カエサル神の息子(後継者)がアウグストォスが命ずる。」
- FILIVS=息子
- CAESAR=シーザ・カエサル
- DIVI=神
- IMPERATOR=命令
ヨーロッパの始皇帝 AVGVSTVS=『偉大な者』
19歳で執政に就任以来76歳で亡くなるまで57年間『政治を指導』した。
最終的に誰も地中海世界では太刀打ち出来ぬ権力(ローマ皇帝)そのものになる
(のちにアウグストス自身『ユリウス・カエサル』を名乗る)
紀元前44年に養父カエサルが暗殺されると後継者として指名されていたことが分かった。
自身がカエサルの意志を受け継ぐ者でカエサルそのものということを示した。
地中海世界全域をローマニアの版図に加えた
紀元前27年、元老院に全権を返還した引き替えに
「アウグストゥス(尊厳者)」の称号と数々の権利を獲得した。
ローマ共和復帰後、かなり後彼が老衰して亡くなった後最高神祇官に就任した。
これで『完全な独裁者』アウグストォスが完成した。
最終的に誰も地中海世界では太刀打ち出来ぬ権力(ローマ皇帝)そのものになっていった。
紀元14年に没するまで長期にわたり安定した政権を築き、
その尊称「アウグストゥス」は後世西洋における政治的絶対者=皇帝号の語源となったほか
- 英語その他における8月の名にもなっている。
なおアウグストスの元首の以降執政官・インペラトル・護民などの役職の「就任回数」は永遠と記録されていく・・。(ビザンツ時代も途中まで記される)
人生
プレブス階級出身(オクタヴィウス家)ユリウス・カエサルの大甥(姉の孫)という縁で継承者の途絶えたユリウス氏族カエサル家を継ぐ最初のローマ皇帝とされるノラで死去。
アウグストゥスの背丈は約 170 cm ほどで均整の取れた体格の、稀に見る美男子であったという。
性格は病弱で色白で美男だったようでその性格は内向的で優しいが、
元首としては短気で残酷な側面を持っていた
3度目の妻リウィアの影響を受け寛大で温和な性格へと変わっていったといわれている、事実リウィアの懇願を受けてアウグストゥスは幾度か死刑を追放に免じている。
老境に達した頃孫たちがかつて自分が粛清したキケロの本を読んでいるのを見つけた際叱られるのを心配した孫たちに対し「彼は教養はあった。教養があって、真に国を想う人だった。」と言った。
アウグストゥスの権力を理解する上で何よりも重要なのは「権威において万人に優越していても、権力においては同僚たちを凌駕しない」という趣旨の一文は元首政の本質を端的に述べたものである。
「アウグストゥスはアレキサンダー大王やカエサルのような圧倒的な知力の持ち主ではなかった、しかしあの時期の世界は彼のような人物こそを必要としていた」とする。
カエサルのように軍団兵を前に演説を行い鼓舞し戦場に立ち兵に剣や盾の使い方を実際に示してみせ軍団に指令を与え戦場を差配するという才能を示すようなことはアウグストゥスにはなかった。
戦闘の実際の指揮は親友にして腹心のアグリッパがとっていた
数々の勝利は彼による所が大きいが15年間にも及ぶ厳しいアルプス遠征はアウグストゥス自身による歴史的功績であり今でも南仏にはアウグストゥスの業績を称えた古代のトロフィが残っている。
若い頃は病弱であり、その虚弱体質は一生付きまとった。
不得手で消耗の激しい軍事はアグリッパやティベリウスに任せ、変に見栄を張らずに疲れたら休むなど無理をしない生活を心掛けたことで当時としては長寿を全うすることとなった。
関連
次代☞ティベリウス
皇帝紫・・・アウグストォスが初めて用いた紫色のマント
月桂冠・・・元はギリシア文明(古代ギリシア)からの運動選手や英雄などがもちい、ローマでは執政者や将軍が用いた。ローマ帝国では『元首』などが用いたので皇帝の象徴