『ローマ軍最高司令権限保持者』
初代ローマ元首(西洋史上最大最強の権力者)
それにしても、あの方の朗読は、なんて下手くそなんだろう。一本調子の棒読みだ。
IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
しかしこのような人間でもヨーロッパ始皇帝になってしまうのだから運命とは解からないものである。
IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
意味「カエサル神の息子(後継者)がアウグストォスが命ずる。」
- FILIVS=息子
- CAESAR=シーザ・カエサル
- DIVI=神
- IMPERATOR=命令
名前 オクタウィアヌスおよびユリウス・カエサル(3世)
役職 | 古代ローマの政治家。将軍。執政官。護民官。最高司令官。最高神祇官 |
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本名 | ガイウス・オクタウィアヌス |
変名 | ユリウス・カエサル(3世) |
皇帝名 | インペラ―トル・チェザル・デェフィ・フィリクス・アウグストゥス |
ローマ字 | IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS |
世没 | 紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日 |
期間 | 紀元前27年1月16日 - 紀元14年8月19日 |
廟号 | Imperator Ceaser divi Firius Augustus ,Pontifex Maximus,ConsulⅩⅢ,ImperatorⅩⅩⅠ,Tribuniciae PotestatisⅩⅩⅩⅦ,Pater Patriae |
訳 | 護民官権限・執政官13回・インペラトール歓呼21回・国父・大神祇官 |
綽名 | AVGVSTVS=尊厳者 |
ヨーロッパの始皇帝 AVGVSTVS=『偉大な者』
性格は病弱で色白で美男だったようでその性格は内向的で優しいが、
元首としては短気で残酷な側面を持っていた
19歳で執政に就任以来76歳で亡くなるまで57年間『政治を指導』した。
紀元前44年に養父カエサルがが暗殺されると後継者として指名されていたことが分かった。
自身がカエサルの意志を受け継ぐ者でカエサルそのものということを示した。
カエサル亡き後(カエサル)オクタウィアヌスは
3人でセナートスを制御しローマニアを切り盛りすることを約束しあった。
これは後に第2回3頭政治といわれる。(3人元首政ローマニア)
しかし(オクタ・カエサル)と『ローマ元首』アントニウスはしだいに溝が深まっていった。
- オクタウィアヌス(20代)を『軍事もできぬ未熟で軟弱な青二才』
と公然と馬鹿にし、高を括くっていたこと。
- カエサル自身が部下で腹心の自分(アントニウス)を『後継者』にせず『少年オクタビ』を後継指名したこと
- セナートス(元老院)がオクタヴィヤヌスを『好んでいたこと』
結局アントニウスはオクタヴィヤヌスと元老院の打倒をもくろんだようなのである。
彼は自身の権力・権威を高めるべく管轄領だった『エジプト王国』と結託を始める。
その時アントニウス元首は
エジプト女王クレオパトラ7世と愛し合う中であったらしい
当時のローマ人にとって女クレオパトラはカエサルを狂わせた元凶だと忌み嫌う物も少なくなかった。
その女クレオパトラが今度はアントニウスを取り込もうとしたことにローマ市民は怒り狂った!!(怒れるローマ人である。)
アントニウスはローマ人の敵とみなされたのである。
アントニウスを討つ事を『決定』し
オクタヴィヤヌス元首はアントニウス元首に『宣戦布告』状を通達したという。
その後
オクタヴィヤヌス(カエサル)とローマ軍総司令官アグリッパは
アクティウムの海戦にてアントニウスとクレオパトラ7世らのエジプト連合軍を叩きのめしプトレマイオス朝エジプトを完全に滅する。
地中海世界全域ROMEの覇権をなした。
紀元前27年、元老院に全権を返還した引き替えに
「アウグストゥス(尊厳者)」の称号と数々の権利を獲得した。
もう一人最高神祇官の職を握っていた元首の一人レピドォスからはローマ共和復帰後、
かなり後彼が老衰して亡くなった後最高神祇官に就任した。
地中海世界では太刀打ち出来ぬ権力(ローマ元首)そのものになっていった。
これで『完全な独裁者』アウグストォスが完成した。
紀元14年に没するまで長期にわたり安定した政権を築き、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を現出したほか、首都ローマの整備、芸術・文化の振興に多大な業績を残す。
その尊称「アウグストゥス」は後世西洋における政治的絶対者=皇帝号の語源となったほか
英語その他における8月の名にもなっている。
なおアウグストスの元首の以降執政官・インペラトル・護民などの役職の「就任回数」は永遠と記録されていく・・。(ビザンツ時代も途中まで記される)
人生
プレブス階級出身(オクタヴィウス家)ユリウス・カエサルの大甥(姉の孫)という縁で継承者の途絶えたユリウス氏族カエサル家を継ぐ最初のローマ皇帝とされるノラで死去。
アウグストゥスの背丈は約 170 cm ほどで均整の取れた体格の、稀に見る美男子であったという。
性格は病弱で色白で美男だったようでその性格は内向的で優しいが、元首としては短気で残酷な側面を持っていた
3度目の妻リウィアの影響を受け寛大で温和な性格へと変わっていったといわれている、事実リウィアの懇願を受けてアウグストゥスは幾度か死刑を追放に免じている。
老境に達した頃孫たちがかつて自分が粛清したキケロの本を読んでいるのを見つけた際叱られるのを心配した孫たちに対し「彼は教養はあった。教養があって、真に国を想う人だった。」と言った。
アウグストゥスの権力を理解する上で何よりも重要なのは「権威において万人に優越していても、権力においては同僚たちを凌駕しない」という趣旨の一文は元首政の本質を端的に述べたものである。
「アウグストゥスはアレキサンダー大王やカエサルのような圧倒的な知力の持ち主ではなかった、しかしあの時期の世界は彼のような人物こそを必要としていた」とする。
カエサルのように軍団兵を前に演説を行い鼓舞し戦場に立ち兵に剣や盾の使い方を実際に示してみせ軍団に指令を与え戦場を差配するという才能を示すようなことはアウグストゥスにはなかった。
戦闘の実際の指揮は親友にして腹心のアグリッパがとっていた
数々の勝利は彼による所が大きいが15年間にも及ぶ厳しいアルプス遠征はアウグストゥス自身による歴史的功績であり今でも南仏にはアウグストゥスの業績を称えた古代のトロフィが残っている。
若い頃は病弱であり、その虚弱体質は一生付きまとった。
不得手で消耗の激しい軍事はアグリッパやティベリウスに任せ、変に見栄を張らずに疲れたら休むなど無理をしない生活を心掛けたことで当時としては長寿を全うすることとなった。
余談 プリンス(元は第一人者の意)という言葉が白馬の王子様像を定着させたには絶対彼の功績だろう
関連
次代☞ティベリウス
皇帝紫・・・アウグストォスが初めて用いた紫色のマント
月桂冠・・・元はギリシア文明(古代ギリシア)からの運動選手や英雄などがもちい、ローマでは執政者や将軍が用いた。ローマ帝国では『元首』などが用いたので皇帝の象徴
古代
ロムルス・アウグストゥルス・・・欧州での最期の継続ローマ皇帝
中世
クロヴィス1世・フランクの開王
アナスタシウス1世 ビザンツ皇帝 クロヴィス存命時のローマ皇帝、東西教会の分裂大シスマの時の皇帝
東西教会
フランク=ローマニア(俗称:フランク王国)