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インペラートル・カエサル・アウグストスの編集履歴

2012-05-27 19:58:44 バージョン

インペラートル・カエサル・アウグストス

いんぺらーとるかえさるあうぐすとす

『ローマ軍最高司令権限保持者』初代19歳で執政に就任以来76歳で死ぬまで一貫して『全軍を指導しセナートスを指導せざるえなかった。』。万雷の拍手喝采の中ローマニア共和制復帰35歳 治世57年 生没 BC63年 - AD14年

ローマ軍最高司令権限保持者

初代ローマ元首西洋史上最大最強の権力者)

それにしても、あの方の朗読は、なんて下手くそなんだろう。一本調子の棒読みだ。

IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS

意味「カエサル神の息子(後継者)がアウグストォスが命ずる。

  • FILIVS=息子
  • CAESAR=シーザ・カエサル
  • DIVI=神
  • IMPERATOR=命令

名前 オクタウィアヌスおよびユリウス・カエサル(3世)

役職古代ローマ政治家将軍執政官護民官最高司令官最高神祇官
本名ガイウス・オクタウィアヌス
変名ユリウス・カエサル(3世)
皇帝名インペラ―トル・チェザル・デェフィ・フィリクス・アウグストゥス
ローマ字IMPERATOR CAESAR DIVI FILIVS AVGVSTVS
世没紀元前63年9月23日 - 紀元14年8月19日
期間紀元前27年1月16日 - 紀元14年8月19日
廟号Imperator Ceaser divi Firius Augustus ,Pontifex Maximus,ConsulⅩⅢ,ImperatorⅩⅩⅠ,Tribuniciae PotestatisⅩⅩⅩⅦ,Pater Patriae
護民官権限・執政官13回・インペラトール歓呼21回・国父・大神祇官
綽名AVGVSTVS=尊厳者

ヨーロッパの始皇帝 AVGVSTVS=『偉大な者』

 プレブス階級出身(オクタヴィウス家)ユリウス・カエサルの大甥(姉の孫)という縁で継承者の途絶えたユリウス氏族カエサル家を継ぐ最初のローマ皇帝とされるノラで死去。


アウグストゥスの背丈は約 170 cm ほどで均整の取れた体格の、稀に見る美男子であったという。


性格は病弱で色白で美男だったようでその性格は内向的で優しいが、元首としては短気で残酷な側面を持っていた


19歳で執政に就任以来76歳で亡くなるまで57年間『政治を指導』した。


紀元前44年に養父カエサルがが暗殺されると後継者として指名されていたことが分かった。

そこでオクタウィアヌスユリウス・カエサルに名を変え、

自身がカエサルの意志を受け継ぐ者でカエサルそのものということを示した。


カエサル亡き後(カエサル)オクタウィアヌスは

ローマニアの大権力者アントニウスレピィドスらと協議をし

3人でセナートスを制御しローマニアを切り盛りすることを約束しあった。

これは後に第2回3頭政治といわれる。(3人元首政ローマニア)


しかし(オクタ・カエサル)と『ローマ元首アントニウスはしだいに溝が深まっていった。


原因は親父となったアントニウス50代)が

  1. オクタウィアヌス20代)を『軍事もできぬ未熟で軟弱な青二才』と公然と馬鹿にし、高を括くっていたこと。
  2. カエサル自身が部下で腹心の自分(アントニウス)を『後継者』にせず『少年オクタビ』を後継指名したこと
  3. セナートス(元老院)がオクタヴィヤヌスを『好んでいたこと』

結局アントニウスはオクタヴィヤヌスと元老院の打倒をもくろんだようなのである。

彼は自身の権力・権威を高めるべく管轄領だった『エジプト王国』と結託を始める。


その時アントニウス元首は

エジプト女王クレオパトラ7世と愛し合う中であったらしい

当時のローマ人にとって女クレオパトラはカエサルを狂わせた元凶だと忌み嫌う物も少なくなかった。

その女クレオパトラが今度はアントニウスを取り込もうとしたことにローマ市民は怒り狂った!!(怒れるローマ人である。)

アントニウスはローマ人の敵とみなされたのである。


この事態を重く見たセナートスオクタヴィヤヌス陣営は元首アントニウスを討つ事を『決定』し


オクタヴィヤヌス元首はアントニウス元首に『宣戦布告』状を通達したという。


その後オクタヴィヤヌス(カエサル)とローマ軍総司令官アグリッパはアクティウムの海戦にて

アントニウスクレオパトラ7世らのエジプト連合軍を叩きのめし

プトレマイオスエジプトを完全に滅する。


こうしてオクタヴィヤヌス陣営は地中海世界全域ROMEの覇権をなした。


権力の階段をのぼる

紀元前27年、元老院に全権を返還した引き替えに

アウグストゥス(尊厳者)」の称号と数々の権利を獲得した。


もう一人最高神祇官の職を握っていた元首の一人レピドォスからはローマ共和復帰後、

かなり後彼が老衰して亡くなった後最高神祇官に就任した。

地中海世界では太刀打ち出来ぬ権力(ローマ元首)そのものになっていった。

これで『完全な独裁者アウグストォスが完成した。


紀元14年に没するまで長期にわたり安定した政権を築き、パクス・ロマーナローマの平和)を現出したほか、首都ローマの整備、芸術文化の振興に多大な業績を残す。


その尊称「アウグストゥス」は後世西洋における政治的絶対者=皇帝号の語源となったほか

英語その他における8月の名にもなっている。


なおアウグストスの元首の以降執政官・インペラトル・護民などの役職の「就任回数」は永遠と記録されていく・・。(ビザンツ時代も途中まで記される)

帝王の晩年

3度目の妻リウィアの影響を受け寛大で温和な性格へと変わっていったといわれている、事実リウィアの懇願を受けてアウグストゥスは幾度か死刑を追放に免じている。


不得手で消耗の激しい軍事はアグリッパティベリウスに任せ、変に見栄を張らずに疲れたら休むなど無理をしない生活を心掛けたことで当時としては長寿を全うすることとなった。


余談 プリンス(元は第一人者の意)という言葉が白馬の王子様像を定着させたには絶対彼の功績だろう

関連

次代☞ティベリウス

皇帝紫・・・アウグストォスが初めて用いた紫色のマント

月桂冠・・・元はギリシア文明(古代ギリシア)からの運動選手や英雄などがもちい、ローマでは執政者や将軍が用いた。ローマ帝国では『元首』などが用いたので皇帝の象徴


古代

ローマ 古代ローマ ローマ帝国 元首

カエサル アントニウス クレオパトラ リウィア アグリッパ

西ローマ帝国

ロムルス・アウグストゥルス・・・欧州での最期の継続ローマ皇帝

中世

クロヴィス1世・フランクの開王

アナスタシウス1世 ビザンツ皇帝 クロヴィス存命時のローマ皇帝、東西教会の分裂大シスマの時の皇帝


東西教会

西カトリックバチカンローマ教皇領教皇

正教ビザンツコンスタンティノープルローマ皇帝


カール大帝(フランク王:公式上ではローマ皇帝

フランク=ローマニア(俗称:フランク王国

フランクローマ

西フランクローマ西フランク)☞フランス王国

オットー大帝オットー一世 初代神聖ローマ帝国皇帝

東フランクローマ東フランク神聖ローマ帝国

古代・中世

ビザンツ東ローマ帝国


欧州史ヨーロッパ

その他

  1. オーガスト/August
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