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男娼の編集履歴

2012-10-15 20:06:06 バージョン

男娼

だんしょう

男性の娼婦の意味

Male Prostitute

上色 - カズ

売春に従事する男性で女性の場合が、売春婦・娼婦にあるに対し「男性の娼婦」の意味でこのように呼ぶ。


年齢は少年から青年成人までのすべての年齢範囲に渡る。(当然美男が重要視された)

男色の相手としての男娼と女性に対し性的サービスを行い春をひさぐ男娼に大きく二分される。


後者の場合は男妾(おとこめかけ)とも呼ぶ。

現在では、ゲイ用語などでボーイと呼ばれることが一般的である。


概説

男娼は世界中の社会において何時の歴史時代にも存在した。

この点は、女性が春をひさぐ売春婦が地理的・歴史的に遍在したと同様な事情がある。

売春宿は古代ギリシアにおいて、すでに個人営業の者と娼館に属する者が存在したが、男娼の場合も、同様なことが云える。

「娼館」は通常、売春婦が置かれていたが、ときに男性同性愛者のために男娼を置いていることがあった。


特に、男娼を専門に抱える娼館もあり、これは「男色楼」ないし「男娼館」と呼ばれる。

歴史的な概観


古代ギリシャ

センシティブな作品

古代ギリシャ少年愛の発祥地だけあり、少年・青年同士の性愛が社会体制になるほど盛んであり、一般的であったらしい。少年売春宿が公然と存在して、数のどの文明よりも桁違いに多かったようである。同様に男娼を売り物とする娼館も公然と存在していた。男娼になるのは主に戦いに負けた都市国家から奴隷として買われた少年である(性奴隷


ローマ帝国

センシティブな作品

ローマ帝国では同性愛の関係はギリシャ文明ほど公認されていなかった、しかしキリスト教化する以前の化する以前のローマ皇帝ではギリシャ文明オリエントへのあこがれから美男を寵愛するものもいた帝政時代の爛熟期には、文化のシュンクレティズムが生じると共に様々な風俗や性的慣習なども入り込むために、娼館、客の多様な性的嗜好に対応するため様々な年齢の娼婦を置くと同時に、同じように多様な年齢の男娼も置いた。

ローマ元首

大まかにティベリウスカリグラネロガルバオトドミティアヌストラヤヌスハドリアヌスコンモドゥスヘリオガバルスカリヌスなどである。

しかし全員が男好きだったわけではなく、ローマ皇帝の皇祖アウグストゥスアントニヌス・ピウスマルクス・アウレリウスにはそういった『好み』の文献は残されていない


マルクス・アウレリウスはどちらかというとハドリアヌスに愛されていたので、愛人の方に近いが、かれ自身は素面だった可能性が大。

神殿

個人レベルでの男娼も存在しまた神殿売春とも関連して、古代ローマやオリエント世界にも共通するが聖なる神殿娼婦が存在する一方で神殿男娼も存在した。

キリスト教ローマ帝国

キリスト教では同性愛は『神への反逆』でしかなく。気持ちの悪いものとされたので、キリスト教を導入した後期ローマ帝国では同性愛は厳禁され、もちろん公的に処罰された。

晩祷

ただ、キリスト教でも侍者などが美少年に限られていたので。間接的に権力者の寵愛は受けていた可能性はある。


日本

古代~平安時代

【平清盛】頼長のニヤリ赤き直垂を着せて召し使はれける。

日本においては古くから歌や踊りを披露する芸人が、売春に従事し、男娼もまた存在した。

寺院の稚児や、武士のあいだの男色の相手は、売春ではないが、その周縁に、春をひさぐ者が存在した。特に朝廷公家武家の間では大いにはやった。


稚児

能面

人身売買が公然と存在し、事実上の奴隷制が存在した中世には、売春のための稚児の少年を抱えた親方が、客に少年を一夜売ることで、利益を挙げる商売も存在した。仏教では稚児となった少年が坊主などに春を売ることを暗黙的に承認する稚児灌頂制度があった。

若衆歌舞伎

桔梗

江戸時代歌舞伎における女性俳優が売春行為の温床となったためこれが禁止された。

これに対し若い男が女役を演じる若衆歌舞伎が起こったが、ここでも売春行為が行われたため禁止された。

野郎歌舞伎、陰間

これに代わって野郎歌舞伎が興隆し歌舞伎芸人は若い者も年長の者も、総じて客の男色の要望に応えて身を売った。陰間である

江戸の吉原を中心に、何種類もの形態で遊女が登場したように男娼の世界においても陰間茶屋の高級色子から、地方まわりの男娼芸人(陰間)に至るまで多様な姿で売春が展開していた。


その多くは12歳で水揚げ(客を取り始める)をし、19歳くらいまで客を取り続ける者が多かった。20代後半になっても客を取っている男娼もいたが、「大釜(オカマ」などと言われ嘲笑の対象となった。

慰み

男娼としては、なよやかでほっそりとした小柄な少年が好まれた。よって幼少期から男娼として育てられる少年もいた。江戸での人気は大半が京都大阪出身の優美な言葉遣いや所作が身に付いた上方から下った少年たちだった。彼らは体臭の元となるような食物はいっさい摂らず、常に口と身体を清潔に保つように心がけた。専ら男性の相手をしたが、成人すると御殿女中や後家などの女を相手にすることもあった。


現在の日本

現在でもこうした男娼は少なからずいるが、街角に立って客を待つ男娼がほぼいなくなったこともあって男娼という言葉は戦後間もなくに比べるとあまり認知されなくなってきている。


西欧

西欧では、中世においては娼婦を置いた娼館が公然と存在したが、男娼館はそれほど公然とはしていなかった。


しかしルネサンスから近世にかけるとイタリアの自由都市においては、多数の男娼が外国人の客を迎え、豪華な男娼館も存在した。近代以降になるとロンドンやパリなどの大都市では、同性愛者の需要に応えるべく男娼のネットワークができ、男娼を摘発しようとする警察とネットワーク組織のあいだで隠然としたやりとりが行われた。


しかし危険を冒すことなく男娼を手に入れたければ、南国イタリアが、外国人を歓迎して男娼を用意していた。その中には幼い少年もおり、去勢して中性的な容姿の男娼をつくることが行われた。


まとめ

  • 男娼は、世界中の社会において、何時の歴史時代にも存在した。
  • 女性が春をひさぐ売春婦が地理的・歴史的に遍在したと同様な事情がある。
  • 売春婦は古代ギリシアにおいてすでに個人営業の者と娼館に属する者が存在した。
  • 同様に男が男を寝取ることも存在した。
  • 「娼館」は通常、売春婦が置かれていたが、男性同性愛者のために男娼を置いていることがある。
  • 男娼を専門に抱える娼館が存在し「男色楼」ないし「男娼館」と呼ばれる。

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