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Bf109の編集履歴2013/09/18 14:09:21 版
編集者:δアックス
編集内容:メッサーシャルフ使用者を追加

Bf109

めっさーしゅみっとひゃくきゅう

ドイツ空軍の第二次世界大戦における主力戦闘機。「Bf」とはバイエルン航空機製造社だった時代の型番で、「Me」とはメッサーシュミット社の型番である。メッサーシュミット社時代の機なので「Me109」と呼ばれるが、設計はバイエルン~の頃からなので「Bf109」が正しいという説もある。

サラブレッドの血統

ドイツ、メッサーシュミットが連絡機「Bf108」を基に開発した戦闘機

世界初の一撃離脱重視の戦闘機であり、ドイツ空軍の主力として活躍した。

急降下、ロール性能(旋回切り替えしの良さ)に優れ、もちろん一撃離脱に向いている。

しかし当時の主流はドッグファイトであり、長らく不向きな使い方をされていた事実もある。

数多くのエースパイロットが本機に搭乗しており、

中でも特徴的なのが、プロペラ回転軸の中に機銃を仕込んだ『モーターカノン』である。

これにより、火力をよく集中させることができる。

しかし初期は問題が多く、Me109Eでは仕方なく主翼に武装を搭載した。

エンジンは初期型(D型まで)はユンカースJumo210だったが、

E型からかの有名なダイムラーベンツDB601に変更される。

非常に精密・高性能なエンジンであり、

余りに精巧なので、第二次世界大戦後期に出力向上が難しい原因になった。

日本で30%も向上したとか内緒だぞ

本機はハインケルのHe112との競作で、パイロット達にはこちらの方が好評だった。

ところがハインケルは「反ナチ」であり、そこが嫌われて不採用になったと言われている。

対するメッサーシュミットは「親ナチ」で、戦争中は何かにつけ優遇されている。

ただし、Bf109の名誉のために言っておくと、

将来DB601(もしくはJumo211)を見据えて設計したBf109に対して、

He112はJumo210にマッチングさせた機体であり、

エンジンの変更とそれによる性能向上の余裕はなかった。

He112は引込脚でこそあるが、

日本で言えば九六艦戦九七戦の世代の機体である。

Bf109の仮想敵は英軍の次世代戦闘機

(ロールスロイス『マーリン』搭載の機体、すなわち後のスピットファイアハリケーンである)

だったのである。

(日本でのテストでも、He112は『隼』に手も足も出なかった)

ただ、ここで失敗して日本からキ-43(『隼』)を買う羽目になってりゃ

BOBの結果自体が違っていたとか考えてはいけない。

誇り高き戦い

Bf109VからD型まではスペイン内乱やポーランド侵攻に投入されている。

E型はイギリス侵攻作戦「バトル・オブ・ブリテン」に投入され、

ロンドンやドーバー海峡の上空でハリケーンスピットファイアを相手に死闘を繰り広げた。

バトル・オブ・ブリテン後期やアフリカ、ロシア侵攻にはF型が投入され、連合軍と戦っている。

シリーズ決定版がG型で、大戦後期の主力機となった。

爆撃機迎撃の為に火力を増強する改造キットがいくつも開発され、

中でも大型対空ロケット弾などはアメリカにも強い影響を与えた。

更なる高みを目指した最終型がK型であり、燃え続けるドイツの上空を駆け巡った。

しかし、このF型の段階で基礎設計が実際にはスピットファイアより古いという

事実がボディブローのように効いてきてもいた。

スピットファイアが拡大型の2000hp級エンジン

ロールスロイス『グリフォン』にマッチングできたのに対し、

Bf109は同世代のDB603やJumo213を搭載できなかった。

このため、コンパクトに抑えたDB605が開発され搭載される経緯になったのである。

ちなみに日本海軍はやらなかっただけである。

(実は1942年中には零戦のエンジンは金星五〇系に替わっているはずだった)

ああ情けねぇ

もちろん数多くのエースパイロットが愛機として搭乗しており、

「ナチスの戦闘機」といえば筆頭である。

広がる輪

総生産数は約30,500機(修理で再生した分も合算)にも達し、

戦闘機の史上最多生産数である。

ドイツ以外にもスペインルーマニアチェコスロバキア、戦前はユーゴスラビアでも生産された。

これらライセンス生産を許された国々、さらにブルガリアハンガリーイタリアクロアチアフィンランドスペインスイスといった装備国の一部も第二次世界大戦終結後しばらくの間、は運用を続けている。

スペインチェコスロバキアでは戦後も生産が続けられ、独自の発展を遂げている。

スペインではスピットファイアのエンジンを装備して改良され、「ブチョン(鳩)」と呼ばれた。

チェコスロバキアで戦後生産された機も当初「S-99」と呼ばれ、生産が続けられていた。

しかしエンジン(DB605)の生産工場が火災で焼失し、

急遽代わりのエンジンとして「ユモ211エンジン」が装備されて「S-199」となった。

これは爆撃機用の大型エンジンであり、

Bf109のような戦闘機に装備するのは無理が大きかった。

当然、機体バランスは見る影もなく悪化し、「水平飛行すら難しい」と評されている。

エンジンが重くてバランスも悪く、反応も鈍い上に、

Bf109独特の特性として、車輪の幅も狭いので離着陸は困難を極めた。

一応、創成期のイスラエル主力戦闘機として活躍したが、

パイロットの評判はすこぶる悪かった。

「日の丸メッサー」

日本でも、1941年に旧日本陸軍が実験機としてBf109E3を3機輸入している。

日本到着後、岐阜県各務原飛行場において飛行テストが行われた。

(現航空自衛隊岐阜基地)

空戦テストの相手は中島 キ44鍾馗」である。

テスト結果でキ44の優秀性が見直され、正式採用が決まった。

(それまでは不採用になると目されていた)

Bf109Eに搭載されたエンジン(DB601)は三式戦闘機にライセンス生産されて装備、

搭載されているMG151/20(通称「マウザー砲」)ものちに装備された。

(ただし輸入品なので数量限定)

日の丸DBその2

ちなみに、このエンジンは愛知航空機でアツタ二一型として海軍向けに生産され、

空技廠D4Y艦上爆撃機「彗星」にも採用された。

ただし、既に貴重品となっていたニッケルの使用は控えられており、

劣る工作精度、整備員の不慣れにより故障が多く、性能も原型より劣っていた。

ただし、海軍はニッケルの使用禁止が緩やかであり、

また愛知の工場のほうでクランクシャフトの焼付時間を超長時間化したため、

稼働率はアツタの方が良かった。

また途中から出力向上と補器類の国内設計品化による生産性の向上を図った、

アツタ三二型にマイナーチェンジ。

シリンダーブロックはそのままなのに原型のDB601より30%ほど強力になった

アツタの現場レベルでのトラブルは日本が空冷ばっか採用していたため、

(空冷の火星二五型の離昇1860hpを見る限り言うほどダメとは思えない。

出力重量比はほぼ同口径のアメリカのR-2800よりよかったのである)

液冷エンジンに熟知しているものが少なく、

整備に事欠いたというのが大部分を占める。

実際、水冷彗星に特化した「芙蓉部隊」では70%以上の稼働率を確保していた。

本機が原典となった創作品

ストライクウィッチーズ』に登場するミーナ・ディートリンデ・ヴィルケエーリカ・ハルトマンハンナ・ユスティーナ・マルセイユライーサ・ペットゲンエイラ・イルマタル・ユーティライネンニッカ・エドワーディン・カタヤイネン等、多数の

ウィッチが使用するストライカーユニット「メッサーシャルフ Bf109」の元ネタでもある

別名・表記ゆれ

Me109

関連タグ

Fw190(Bf109の補助戦闘機、という名の影の主役)

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