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レオナルド・ダ・ヴィンチの編集履歴

2013-12-02 14:17:01 バージョン

レオナルド・ダ・ヴィンチ

れおなるどだゔぃんち

『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(Leonardo da Vinci)とは、中世イタリアに存在した歴史上の人物。

概要

14世紀から16世紀にかけて、イタリアを中心とした西ヨーロッパで勃興した文化復興運動『ルネサンス』で活躍し、ラファエロ・サンティミケランジェロ・ブオナローティと共に「ルネサンス三大巨匠」の1人に列する代表的な芸術家。正式名称は『レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ』(Leonardo di Ser Piero da Vinci)。


芸術以外にも医学科学建築学などに精通し、当時としては計り知れない先進的、且つ莫大な知識を残したために「万能人」の異名を持つ。

来歴

1452年4月15日、トスカーナ地方のヴィンチ村で公証人を務めるセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチと農夫の娘カテリーナの子として生まれる。幼少期は教会学校などでの正規教育を受けずに自然と親しむ中で自由奔放に育ち、1469年に単身でフィレンツェに移るとアンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio)に弟子入りし、見習いとして雑用をこなしながら画業を学ぶ。


1482年に当時のミラノを治めていたスフォルツァ家の当主ルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァ(Ludovico Maria Sforza)に仕え、後にパトロンとしての援助を得て自らの工房を設立すると同時に独立するが、1499年10月に起こったフランス王ルイ12世のミラノ侵攻でルドヴィーコ公が失脚すると弟子を連れてその年の暮れまでフィレンツェを離れ、イタリアの各地を転々としながら様々な活動や研究に傾倒する日々を送る。


1515年にミラノが再びフランスに占領されると和平交渉の締結役に任命され、この交渉の場で終生の恩人となるフランス王フランソワ1世と対面する。和平交渉での対面を境にフランソワ1世の庇護を受けるようになり、翌年にはフランス王城アンボワーズに隣接する「クルーの館」(フランソワ1世が幼少期を過ごした館)へ招待されて平穏な余生を過ごし、1519年5月2日に死去。享年67歳。


遺言状に従って葬儀が執り行われ、聖フロランタン教会に埋葬されたが、後に何者かの手によって墓荒らしに遭ったために遺骨は行方不明となる。

業績

本業は画家でありながら様々な方面に対して徹底的な研究を行い、現代にも通じる知識を手稿13000ページに及ぶ莫大な資料として残している。それらの手稿は『ダ・ヴィンチノート』の通称で広く知られており、以下はそのうちの一部である。

美術

スフマート技法(視認困難な色調変化によって形状や質感を精密に表現する)と空気遠近法(透視図法に光の軌道を組み込んで実際の視覚に基づいた色調変化や境界の歪みを表現する)の導入による写実描画技法を確立し、『モナ・リザ』『最後の晩餐』などを描く。

解剖学

当時は題材として見向きもされなかった老体や死体を通じて、自身の作品に宗教美術の対極にある現世の真実性を見出そうとする目的から動物の死骸や死刑囚の死体を解剖し、内蔵や骨格の構造を詳細に記した緻密な解剖図録を作成する。


この中には、物体の視認について「眼球内での光の屈折によって網膜に投射される」とするのメカニズムを解析した研究書の他、陰茎勃起が当時の通説であった空気による膨張ではなく血液の充血によって起こるものであるとする考察文も含まれている。

航空科学

滑空機(ハンググライダー)、飛翔機(オーニソプター)、回転翼機(ヘリコプター)の原型となるそれぞれの設計図面を作成しており、さらには上記の実験による上空からの落下事故を想定して現代のパラシュートの概念を持つ布製用具の図面も残している。

機械工学

大小が異なる歯車の動きを利用した機械式計算機、バネの伸縮を動力とする自動車、凹面による集光型太陽熱温水器などの構想を残している。

建築学

古代ローマの建築家ウィトルウィウスの著書『建築論』の一節に基づいた理想的な人体図を独自に表し、手稿『プロポーションの法則』の挿絵として『ウィトルウィウス的人体図』を描く。


また、着工には至らなかったがコンスタンティノープル(後のイスタンブール)の金角湾の対岸を結ぶ全長240mの橋の設計を行っている。

土木学

イタリアのアルノ川、フランスのロアール川やソーヌ川などの河川改修に技術者として携わる一方、水の動きや連続性をスケッチで克明に描き出し、研究書『水の運動と測定』の中で水の流れに関する科学的な考察を示すなど、特に水理学に対して大きな功績を残している。

天文学

長期の天体観察によって地動説の確証を導き出す。

軍事学

ミラノがルイ12世の統治下にあった頃、ローマ教皇軍総司令官チェーザレ・ボルジアの招聘を受けて建築技術総監督、軍事顧問、軍事技術者を8ヶ月間に渡って兼務しており、兵器開発についても機関銃、装甲戦車潜水艦などの構想を残している。

音楽

リュートやリラ(ここでのリラは本来の竪琴ではなく、現代のヴィオラに近い擦弦楽器リラ・ダ・ブラッチョを指す)などの楽器を自作、演奏する他、作詞作曲、歌唱までこなすなど、音楽家としても高名であった面を物語る逸話が数多く残されている。


また、他に類を見ない擦弦式鍵盤楽器ガイゲンヴェルクの元となったヴィオラ・オルガニスタ、現在のアコーディオンに見られる側面鍵盤と蛇腹式ふいごを併せ持つ構造をポルタティフ(携帯型パイプオルガン)に組み込んだ小型鍵盤楽器ペーパーオルガンなどの構想を残している(上記の2つの構造を併せ持つアコーディオン属が正式に歴史に登場するのは1822年のことであり、ドイツのフリードリッヒ・ブッシュマンの発明によるハンド・エリオーネが最初である)。

逸話

遅筆

美術家として偉大な功績を数限りなく残した反面、フランスによる侵略戦争が頻発した当時の時代背景が大きく起因していた事もあり、完成された作品の現存数が極端に少ないことでも有名である(絵画17点、彫刻1点)。


その一方で、平穏な時期であっても膨大なスケッチのみを描いて終わる、作品に着手しても未完成のままで別の作品の構想に移る、依頼主が提示する期日を超えてもなお平然と創作に没頭する、作品が完成しても依頼主に届かないまま放置されるなどの逸話も数多く残されており、これにはレオナルドが完璧主義者であるため、または他の研究に費やす時間を惜しんだためなどとする諸説が存在する。

男色疑惑

1476年に、男娼で当時17歳のヤコポ・サルタレッリに対してモデルの依頼を打診した一件に端を発し、匿名の告発によって同性愛者の嫌疑がかけられる。取り調べの結果、証拠不十分による無罪放免を言い渡されるが、これ以降は「夜の士官」(当時の風紀取締巡察官)の監視を受け続けることとなる。


この後も、ミラノに工房を開いた頃に孤児で当時10歳のジャン・ジャコモ・カプロッティを引き取って幾度と無く盗みを働く手癖の悪さに苦言を呈しつつも「サライ」(小悪魔)と呼んで愛し、さらに17年後にはロンバルディア州貴族の息子で当時14歳のフランチェスコ・メルツィを工房に迎え入れて「最愛の弟子」として深い愛情を注いでいる。


この二人に対する終生の愛情を示すエピソードとして、イタリアに残ったジャコモには1520年まで自身の工房を居宅として提供した上に、アンドレア・サライの名前で画家として活動していた頃に制作した『モナ・ヴァンナ』の元となった『モナ・リザ』を遺品として譲り、最後まで傍にあったメルツィには遺言執行人に指名した上に幾多の作品、研究書、写本、参考資料を提供している。


【ルネサンス】レオナルドと「美少年」たち

  • 左:フランチェスコ・メルツィ
  • 中央:レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • 右:ジャン・ジャコモ・カプロッティ

当時のミラノでは、「男性による同性愛は先進的な行為である」とする風潮が上流階級を中心とする知識層で広く浸透しており、絶世の美男子と謳われたにも関わらず独身を貫いて生涯を閉じた事実、加えて前述のヤコポのようにそれを生業とする者の存在も公に認められていた時代背景もあって、仮にレオナルドが男色嗜好あるいは少年愛者であったとしても別段の珍しさは無い。


しかし、風潮の衰退に伴って同性愛を禁忌とする宗教観への回帰が強まり、生前から不明な点が多かった私生活の内情、ジャコモやメルツィとの師弟以上の深い関係などが絡み合った後世の憶測からその部分だけが誇張された男色家としての噂が一人歩きを始め、槍玉に挙げられる形で後世に語り継がれる結果となる。

創作におけるレオナルド・ダ・ヴィンチ

飛躍的な発想を生み出した頭脳、莫大な知識を書き留めた手稿、謎に包まれた記述による多数の文筆や文言など、後世の人々の想像力を掻き立てる数々の産物を残した人物であるために「万能の天才」の代名詞として広く用いられており、人智を超えた神の知識を持つ者、あるいはそれによって様々な発明や研究に傾倒する異能者として描かれる。


作品によっては、その作品に登場するオーバーテクノロジーに対する時代背景や世界観との整合性を持たせる役割として名前や存在が用いられ、特に江戸時代の世界観を元にした作品では平賀源内が同様の立ち位置として登場する場合が多い。

ゲーム

アサシンクリード

中世のイタリアが舞台となった『アサシンクリード2』に登場。フィレンツェの銀行家ジョヴァンニ・アウディトーレ・ダ・フィレンツェの妻マリアから手厚い援助を受ける芸術家であり、これが縁となって後にエツィオ・アウディトーレ・ダ・フィレンツェと出会い、終生の友情を誓い合う仲となる。以後は、アルタイルが遺した写本の断片の復元、解読に着手し、そこから得られた知識を利用しつつ武具の強化や新造を行う一方、謎に満ちたエデンの果実の分析とその結果を伝えるなど、持ち前の多様な才能を存分に発揮した後方支援を担うようになる。


後日談として描かれた続編『アサシンクリード ブラザーフッド』にも登場しており、父親に苦渋を舐めさせたエツィオに敵対するチェーザレ・ボルジアによって軍事技術顧問の名目で束縛されているが、アサシン教団を再興してローマ教皇軍に対抗するエツィオに水面下での惜しみない助力を提供する。

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