たとえ話
君はこのテーブルに座った時…
ナプキンが目の前にあるが…
君はどちら側のナプキンを手に取る?
向かって「左」か? 「右」か?
左側のナプキンかね?
それとも右側のナプキンかね?
正解は『最初に取った者』に従う…だ
誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が「右」を取らざるを得ない。
もし左なら全員が左側のナプキンだ。そうせざるを得ない。
これが「社会」だ……………
土地の値段は一体誰が最初に決めている?
お金の価値を最初に決めている者がいるはずだ、それは誰だ?
列車のレールのサイズや電気の規格は? そして法令や法律は?
一体 誰が最初に決めている?
民主主義だからみんなで決めてるか? それとも自由競争か?
違うッ!! ナプキンを取れる者が決めている!
この世のルールとは「右か左か」?
このテーブルのように均衡している状態で一度動いたら全員が従わざるを得ない!
いつの時代だろうと………この世はこのナプキンのように動いているのだ
そして「ナプキンを取れる者」とは万人から「尊敬」されていなくてはいけない
誰でも良いってわけではない…
無礼者や暴君はハジかれる――それは『敗者』だ
このテーブルの場合…「年長者」か…
もしくは「パーティー主催者」に従ってナプキンを取る…………………
「尊敬」する気持ちが全員にあるからだ………
仮にこのテーブルに「イエス様」がつかれているとしたら
たとえ どんな人間だろうと ローマ法王でさえ
イエス様のあとにナプキンを取らざるを得ないだろう?
もうすぐそれが手に入る……
世界中の万人が「敬意を払う」ものがな…
それはゆるぎない確かなもの
それが「真の力(パワー)」だ
その力の下には「味方」しかいない
最初にナプキンを取る事のできる人間になる
その「円卓」に
この「ファニー・ヴァレンタイン」が座る事になるのだ
概要
ナプキンを最初に取れるものは、不運さえも味方にする「真の力(パワー)」を手に入れることができるという考えのもと、『最初に取った者』になるため、スティール・ボール・ランレースで聖人の遺体を集めていたファニー・ヴァレンタイン。あと少しで遺体が完成するというところで、ルーシー・スティールの残したメッセージによりディエゴ・ブランドーとホット・パンツに追跡を許してしまった際に彼が放ったセリフ。
元ネタ
自発的対称性の破れの発見の功績により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎の著書『クォーク 素粒子物理はどこまで進んできたか』内の以下の一節。
宴会が開かれていて、大きなテーブルの周りに大勢の客がぎっしり着席している。
各々の席の前には皿、ナイフ、フォーク、ナプキンなどのセットがきちんと置いてあるが、隣の席との間隔が狭いので、どちら側のナプキンが自分に属するのか分からぬほど左右対称である。
実際どちらをとっても構わぬはずだが、誰か一人が右側のナプキンをとり上げれば他の客もそれにならって一斉に右のを取らなければならなくなり、途端に対称性が自発的に破れてしまうのである。