概要
CV:ピーター・オトゥール(原語版)、家弓家正(日本版)
レミーのおいしいレストランにて登場する料理の評論家にして、同界隈最高の権威でもある初老の男性。ポリシーは「愛せる料理のみ口にする。愛せない料理は喉を通さない。」であり、それを以て食べるものをかなり選んできたことを匂わせるかの如く、彼の頬はこけ気味である。
常に冷たい視線を向けており、その見た目に違わぬ辛口のコメントや評価によって数多くのレストランやシェフを潰してきたことから、界隈では「食べる死神」の異名で恐れられている。また、食事の際に右手でペンを、左手でフォークを持つ描写があり、両利きであることを示唆している。
評論家であることに誇りを持っているが、同時に「作品がなければ評論家も存在できない」等といった苦い真実も把握している。
本作の舞台であるレストラン「グストー」とそのオーナーの「誰にでも料理は出来る」というモットーを酷評し、星を降格させた張本人である。
作中の活躍
かつて酷評したレストラン「グストー」が、リングイニ(正確にはネズミのレミーとの共同)によって再び繁盛してきたという噂を耳にし、事実を確かめるために来店した。
いつものように批評のためのペンを持って食事をしようとしたが、その時に出された料理ラタトゥイユを口にした途端、かつて大好きだった母の味を思い出したことで、ペンを取り落とす程に感動した(評論家としてではなく、1人の人間として評価したことの暗喩と言われている)。あまりの美味しさに「シェフに会いたい」とこぼす程であったが、店側の希望により閉店後まで待つことに。
ここで、ラタトゥイユを作ったレミーと初めて顔を合わせた。最初は「冗談だろ?」と思っていたが、リングイニが説明を始めると一変、質問も交えて真剣に聞くようになった。のちにイーゴは、レミーの事を「自分の先入観を覆す新しい才能」、「フランスで右に出る者がいない素晴らしいシェフ」と評し(レミーがネズミであることは明かしていない)、同時にかつて否定したグストーのモットーに対する認識を改め、「誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰がなってもおかしくはない」と語った。
その後、レストラン「グストー」は衛生局に「厨房にネズミがいる」ことを知られ閉店することになったが、その影響なのかイーゴ自身も失職した。しかし、その後に始めたビジネスが軌道に乗ったらしく、レミーたちの新しいレストランにも常連として来店している。その時の顔は、頬がふっくらとしたとても穏やかなものとなっており、かつての冷たさはもうなかった。
人物について
序盤のうちはその冷徹さに加え、「グストー」をはじめとした多くのレストランに打撃を与えたこともあって悪印象を持たれがちだが、同作のヴィランズであるスキナーとは異なり料理への愛情は本物である。
また、自分の立ち位置を理解し、予想外な存在を目の当たりにしても、無下に扱うことなく柔軟且つ公正に評価するなど、評論家としても間違いなく本物である。
彼は決して悪人ではない。ただ絶対的とも言える自信と同じような事柄の繰り返しだった故に、思考が凝り固まりがちだっただけである。今まで数多のレストランに厳しい評価をしてきたのも、無意識に自らの原点となった母の料理の味と懐かしさを求めていたからなのかもしれない(それでも、必死に努力したものに烙印を押される側にとってはたまったものではないが。)