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概要

第二次世界大戦独ソ戦)初期にソ連軍によって急造された戦車。

1941年のオデッサの戦いで投入された。

第二次大戦のオデッサ

ウクライナの黒海沿岸にあるオデッサは、ロシアの開かれた窓としてギリシャイタリアトルコといった都市への船が往来する港町として栄えた。1941年6月22日にバルバロッサ作戦が開始されオデッサはドイツ軍の南方軍集団の戦区となる。1941年8月初めにルーマニア第4軍がオデッサへの攻撃を開始し、8月10日にはルーマニア軍がオデッサを包囲した。

包囲の中で

ルーマニア軍による包囲はされていたものの海上封鎖は完全ではなかった。しかし、戦車といった重機材の補給は不可能となってしまった。そんな中1月革命工場のP・K・ロマノフは、手元に残されたトラクターまたは路面電車に装甲及び武装を施し急造戦車として戦力化することを提案した。路面電車の案は却下されたがトラクターの案は採用されSTZ-5トラクター3輌が改造された。

トラクターの改造

改造は極めて簡単で、既存の車体の上に被せるように装甲を施すようなものであった。

また、包囲下で正規の装甲板は入手できないためボイラー用鉄板で代用し小火器への対策としてゴムまたは木材を鉄板で挟む構造となっていた。前方にはラジエーターが突出し、前方を覆う鉄板にはわずかにスリットが開けられ空気の取り入れ口を確保した。

そして、車体のほぼ中央部に旋回砲塔が申し訳程度につけられた。

ベースとなったトラクターは寄せ集めである為、一両ごとに形態が異なっている。

意外な評価

急ごしらえで作られた本車であるが、ルーマニア歩兵には予想以上の戦果を上げている。

本車が夜間に前線の陽動のために動き回りその見慣れないシルエットで敵を疑心暗鬼させてのが効果的だったようだ。本車は現地軍には有効と判断され68輌が製造された。最終的には本車は、NI戦車と呼ばれることとなる。

ルーマニア軍はオデッサ周辺のソ連軍に戦車が配備されていることは想定しておらず、対戦車装備も対戦車ライフルぐらいしか有していなかった(むしろ、ドイツ軍はこの地域を守るソ連軍に戦車が配備されていないことを調べたうえで装備の劣るルーマニア軍にデッサ攻略を任せていたという面がある)。

実際のオデッサ戦車は対戦車ライフルどころか小銃に耐えられるかさえ怪しいものだったが、その性能が不明であったことからルーマニア軍はオデッサ戦車を警戒して混乱に陥り、オデッサ攻略に時間を空費することになる。

オデッサは結局1941年10月に陥落したが、オデッサをはじめとするソ連南部の攻略にてこずってモスクワへの攻勢開始が遅れたことは、バルバロッサ作戦の失敗の要因の1つとなった。

オデッサ陥落

オデッサ包囲の激戦の中でも多くのオデッサ戦車が生き残った。

オデッサ陥落後の1942年11月のルーマニア軍のソ連稼働車輛リストにはオデッサ戦車14輌が記載されている。尚、このオデッサ戦車をルーマニア軍がどのように扱ったかは不明である。

関連項目

第二次世界大戦 独ソ戦 戦車 珍兵器

ハリコフ戦車:同時期にハリコフに投入された同様の戦車。こちらは製造数が少なく、ほとんど戦果を上げなかった。

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