概要
本名はエドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ。
1843年6月15日、当時スウェーデンの統治下にあったノルウェーに生まれる。
1858年、同国出身のバイオリニストであるオーレ・ブルに才能を認められ、3年半もライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学習した。
1863年に3年間コペンハーゲンへの移住を決め、ニルスゲーゼの指導下で初期3作品を完成。
時を同じくして、従妹のニーナに出会い1867年に結婚。
1867年にオスロ(当時のクリスチャニア)のフィルハーモニー協会の指揮者に就任し、民謡蒐集家のリンネマンや国民的詩人ビョルンソンと知り合う。『十字軍の王シーグル』のための劇音楽の作曲とともに『抒情小曲集』の第1集を出版。
1877年から1880年までベルゲン東方のハルダンゲル地方に移住。このころから民族音楽、民族楽器へ傾倒した。
1884年、ベルゲン近郊のトロールハウゲンに住居を建設。
1901年ごろから体調を崩していたが、『抒情小曲集』第10集を出版した。1903年、パリで会ったピアニストのラウル・プーニョに誘われ、グラモフォン社でレコードを数曲の自作曲を録音。この出来事がなければ此の巨匠の自作自演が聴くことが叶わない事になっていた。
1906年、再びパリにてグラモフォン社のレコードに9曲を録音したが、64歳になった1907年9月4日に心不全のために亡くなったため、完成はギリギリだったといえる。
主な楽曲
「ペール・ギュント」