「なんてこった!これじゃまるで家畜用の貨車じゃないか。」
概要
サー・ハンデルは『汽車のえほん』及び『きかんしゃトーマス』に登場するキャラクターである。
タグとしては、サー・ハンデルが既に使われているが、本来は汽車のえほんが原作のためこちらの記事に解説を掲載する。
『汽車のえほん』と『きかんしゃトーマス』では設定が異なるため、媒体別に解説を行う。
汽車のえほん
データ
所属鉄道 | ミッド・ソドー鉄道 → ソドーアルミニウム会社 → スカーロイ鉄道 |
---|---|
製造年 | 1904年 |
来島年 | 1904年 |
性別 | 男性 |
ベースカラー | 青色→赤色 |
番号 | 3 |
モデル | サー・ハイドン(タリスリン鉄道) |
初登場 | 第10巻4だいの小さな機関車 |
概要
スカーロイ鉄道の3号機関車。元々はミッド・ソドー鉄道で働いており、当時は『ファルコン』と呼ばれていた。(旧版絵本ではフォールコンと表記されていた。)スカーロイ鉄道所属となってから『サー・ハンデル』と名付けられた。(旧版絵本ではサー・ハンドル)
特徴
サドル式タンク蒸気機関車。ミッド・ソドー鉄道時代はカラーリングが青色であったが、スカーロイ鉄道所属になってからは、赤色に塗り直された。
車輪が他の機関車たちよりも幅が広く、「スチームローラーみたいだ」と揶揄されている。(詳細は後述)
性格
非常に我儘で自分勝手。ボギー客車(安定性の高い台車を備えた客車のこと。小型化が困難だからかスカーロイ鉄道の客車には殆ど採用されていない。)がお気に入りの様で、2軸車であったアグネスたちを家畜車呼ばわりし、また配属早々機関庫にケチをつけるなど大変口が悪い。
また自身の謹慎が原因で一生懸命働いているピーター・サムを「働きバチ」と揶揄したり、自身の仮病が原因で煙突を交換してもらう予定の彼を笑うなど、人の事を言えない発言も多い。
その一方でやるときはやる性分らしく、ミッド・ソドー鉄道時代には支配人に褒められる場面もある。
経歴
1904年にファルコンワークス社にて製造、同年に来島したとされる。
上述したように最初の所属先はミッド・ソドー鉄道であり、廃車された機関車の代わりに導入された経緯がある。当初の名前は『ファルコン』であり、また車輪は2軸の動輪のみで、走ると不安定だったため1910年にワークス社で従輪1軸を追加する改造が行われた。
1947年、ミッド・ソドー鉄道が廃止となり、機関車は売却対象となる。ファルコンとスチュアート(ピーター・サムの旧名)はソドーアルミニウム会社に売却された。
アルミニウム会社に所属した2台は工場の拡張工事に使用されたが、1951年に工事が完了すると用済みとされ、油を塗った後に防水シートを掛けられ、会社の庭で1年放置された。
翌年、スカーロイ鉄道のオーナーであるハンデル・ブラウン卿2世が50ポンド(1ポンド=100円換算で5000円)という格安値段で2台を購入した。
その後2台は修理工場のクロバンズ・ゲートで大規模修繕と塗装変更を実施、この時にブラウン卿の名前からサー・ハンデルと改名された。
配属直後のサー・ハンデルは自分勝手な行動を繰り返し、機関庫に放置されたり、客車と一悶着を起こしたりした。。また彼の車輪は整備が不十分であったスカーロイ鉄道の線路に対応できずにいた為、従輪が上述の幅広の車輪に交換された。
1982年、タリスリン鉄道のサー・ハイドンが修理中にピンチヒッターとしてタリスリン鉄道で活躍し2年後にスカーロイ鉄道に戻った。
きかんしゃトーマス
データ
概要
原作と同じスカーロイ鉄道の3号機関車であるが、諸事情でカラーリングが青色のままである。
変遷
第4シーズンから登場したが、予算の都合上、大型模型が作れなかった為に第5シーズン以降は全く姿を見せなくなってしまった。
第10シリーズで11年ぶりに登場したが、なんと非常に丁寧な性格になり、(一人称も『私』となっている)スムーズに走るのが得意という、別人としか思えないキャラクターとなった。どうしてこうなった。いやほんとマジで。
設定上、長い間別の鉄道の石切場で働いていたとされているが、一部のファンの間では、「そっくりさんと取替えられた。」「度重なる我儘が原因で改造された。」というジョークがある。
2次創作について
海外では、trainzを使った動画が多く制作されている。
それに使われるモデルは、きかんしゃトーマスベースのモデルやタリスリン鉄道のサー・ハイドンベースの姿をしたモデルなどがあったりする。
関連タグ
仲間たち
スカーロイ レニアス ピーター・サム ラスティー ダンカン デューク
その他