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ソドー島

そどーとう

ソドー島(Island of Sodor)とは、汽車のえほんとそれを原作とするきかんしゃトーマスの舞台となる架空の島。
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データ編集

イギリス
面積1,298平方マイル(3,361.8平方km)
人口約177,000人
政治ソドー島評議会(Sodor Island Council)
公用語英語
その他の言語サドリア語(Sudric language)
首都サドリー
大都市ティッドマス

概要編集

ソドー島とは、「汽車のえほん」とそれを原作とする「きかんしゃトーマス」の舞台となる架空の

イギリスの属する島で、アイリッシュ海に浮んでおり、マン島ブリテン島のカンブリア州バロー・イン・ファーネスの間にあるとされている。


なお、これから掲載する情報は特記する情報以外は汽車のえほんの情報を掲載する


ソドー島の設定の誕生経緯編集

汽車のえほん」の原作者のウィルバート・オードリー牧師には、たくさんの読者から「トーマスたちはどこで暮らしていますか?」や、路線図と島の設定の矛盾についてなどの手紙がたくさん届いていた。そのため、オードリー牧師は、島の設定や路線図、矛盾の解消手段を考えていた。

この時オードリー牧師は、仕事でマン島に赴任していた。この島にあるイングランド国教会の「ソドー&マン教区」(→Wikipedia英語版「Diocese of Sodor and Man」)に、「マン島には土地があるが、ソドーには土地が存在しない」と着目し、マン島とブリテン島の間のアイリッシュ海を埋め、トーマスたち蒸気機関車の天国「ソドー島」が誕生した。

※ちなみに「ソドー」とは、スコットランド北方から西方の島々とマン島を領有していた島嶼部王国(→Wikipedia英語版「Kingdom of the Isles」)の南部(ヘブリディーズ諸島とマン島)の事だったが、島嶼部王国の解体から長い年月を経て、マン島の別名扱いされるようになっていた。

設定本の出版編集

1955年、オードリー牧師は最初の体系的な設定をそれを具体化し、地図を作成した。

その後、弟のジョージの手助けにより島の設定はさらに増え続け、歴史・地理学・言語・産業・地質学などを加え、1987年9月「THE ISLAND OF SODOR(ソドー島)」が出版された。

この本はかなり詳しい情報が載っているのだが、2020年4月現在は絶版しているために入手困難な上、例え入手できても日本語訳版が無いので英語が苦手だと読むのに苦労することになる。

経済編集

島の産業の半分は農業で麦・大麦・カブが主な作物です。

漁業も重要でティッドマスの鰊は、遠く離れた土地の朝食に珍重されています。

鉛、亜鉛、銀が採掘され、採掘される石は耐候性に優れています。

ピール・ゴッドレッドにあるソドー・アルミニウム会社ではアルミニウムを製造しているが、アルミニウムを作るには大量の電力が必要なため、1923年に近場に水力発電所が設けられている。


母国語であるマン島語とノルド語によく似たサドリア語(Sudric)は廃れつつあります。


起伏に富んだ美しい景観とや山間の湖での釣りは、各地からやって来たソドー島の観光客を魅了しています。


ティッドマス港は、ノース・ウェスタン鉄道が所有する港として優れており、国の収入に貢献しています。


マン島のダグラスや北アイルランドのベルファストへの旅行者は、イングランドのリヴァプールやフリートウッドではなく、ソドー島で乗船します。

歴史編集

カノン・ニコラス・ドレスウィック(Canon Nicholas Dreswick)がソドー島の歴史をまとめた『History of Sodor(ソドーの歴史)』(全4巻)では以下の通りとなっている。






ローマ人はランカスターの陣営からソドーを見て、現在のバラフーに上陸したが住民に追い払われた。その後住民に問題は起きなかった。


アイルランド人宣教師のルオック(Luoc)は、コラクル(小さく丸みを帯びた軽量のボート)に乗ってマン島に向かっていたが、居眠りをしてコースが外れてサドリーの海岸に着きます。この地域の人達は、ルオックを良く扱い、ルオックもキール(マン島語でチャペルを指す)を建てて、地元の人々に宗教の説教をしたのです。この跡地には現在のサドリー大聖堂が建てられています。

市の標語と紋章にはルオックが描かれ、紋章には司教杖を持ってコラクルの上に立つルオックが描かれています。

サドリーは後にソドー島の古都になります。


6世紀の間にソドー島にアイオナ・スクールの人が何人か別の時期にやって来ました。アイオナ・スクールの人々によってソドー島の人々はキリスト教となりました。

アイオナ・スクールの一人のマッシャン聖(St. Machan)はカルディー・フェル近くの洞窟に定住していました。人々は洗礼を受けるためにマッシャン聖が定住する洞窟の近くの湖に集まりました。この湖はマッシャン聖に敬意を表すため、ロイ・マッシャン湖(Loey Machan)またはマッシャンの湖(Machan's Lake)と名付けられました。

なお、マッシャン聖はソドー島の守護聖人と呼ばれています。


ゴッドレッド・マックハロルド(Godred MacHarold)(伝説ではオーリー王(King Orry)かスターストライダー(Starstrider)として知られる)はリムリックの王であったハロルドの下の子供で979年から989年までソドー島とマン島と王様でした。北欧人がアイルランド人によって敗北した後、ゴッドレッド・マックハロルドはチャンスと感じてウェールズを苦しめ、後にマン島に上陸します。上陸したゴッドレッド・マックハロルドは水に映る星を指さし、地元の人々に『There is the path running from my country to this place. That is my road to fame and fortune.(私の国からこの場所まで続く道がある。それが私の名声と富への道だ)』と言いました。ゴッドレッド・マックハロルドはソドー島とマン島に10年の平和を与え、彼の治世は黄金時代として記憶されている。ソドー島ではオーリー王(King Orry)として親しまれています。


オークニー諸島のシグルド伯爵(Earl Sigurd)は982年のマン島を、984年にはソドー島奪還を試み、ピール・ゴッドレッドの近くの浅瀬で何度か戦闘になった。シグルド伯爵は捕らえられず、5年後にまた戻ってきます。またゴッドレッド・マックハロルドと2人の息子はマン島の戦いにおいて戦死しました。ゴッドレッド・マックハロルドの妻と娘のグードラン(Gudrun)、末っ子のハロルド(Harold)はアイラ島に逃げました。


シグルド伯爵は1014年にアイルランドのクロンターフの戦いで陥落します。

この時、まだ幼かったハロルドはこのチャンスを利用し、ソドー島とマン島を領有し、20年間支配します。

1032年、シグルド伯爵の息子のソルフィン(Thorfinn)が自分の領地を再び秩序あるものにするべく、ソドー島とマン島を始め、ヘブリディーズ諸島、アイルランドのダブリン、スコットランドの北部と西部を帝国の範囲としました。

1034年、ソルフィンはソドー島とマン島を支配権に置くとハロルドの追放とハロルドの息子を殺害を行います。

ハロルドはアイルランドに逃れると1044年に再び結婚し、1045年に息子のゴッドレッド・クロバン(Godred Crovan)が誕生するが、1047年にハロルドは反乱で亡くなった。


1045年、アイルランドでクロンクのシグルド(Sigurd)と妻のヘルガ(Helga)の間に息子のオグムンド(Ogmund)が生まれます。クロンクのシグルドとヘルガは、幼いゴッドレッド・クロバンとクロバンの母のゲルダを連れて、アイルランドからソドー島に戻ってきます。ゴッドレッド・クロバンとオグムンドは一緒に育ち、ヘルガが亡くなるとクロンクのシグルドとゲルダは結婚し、ゴッドレッド・クロバンとオグムンドは義兄弟となります。

1063年、当時ソドー島の主導者だったシグルドが亡くなるとオグムンドはその役職を引き継ぎました。


ソルフィンの支配が緩んだ頃、ゴッドレッド・クロバンは父ハロルドの国の奪還に乗り出し、オグムンドをソドー島に残しました。オグムンドはイングランドのノリッジのトルケル(Thorkell)をソドー島に呼び入れ、島の周りに部下を配置し、フィンガルの最後の兵士をかき集めた。ソドー島を確保したゴッドレッド・クロバンは、1079年のスカイ・ヒル(Sky Hill)の戦いで、目標であった島々、アイルランドのダブリン、マン島を征服したのである。この戦いでオグムンドは亡くなり、ゴッドレッド・クロバンとオグムンドのもう一人の義兄弟であるシグムンド(Sigmund)がソドー島の主導者を引き継ぎました。


1089年と1094年にノルマン人がソドー島を侵攻してきたが、一度目は撃退し、二度目は相手を無条件降伏させている。これをきっかけにサドリア人(Sudrians)はノルマン人を敵視するようになった。


1095年、疫病でゴッドレッド・クロバンが亡くなると、アイルランドのダブリンがマン島とソドー島の摂政にデュガルド(Dugald)を任命します。サドリア人はシグムンドに満足する一方、マン島での行動に問題があったデュガルドが干渉する理由が無いとして、デュガルドとデュガルドの後任を追い出してしまいます。

1099年、アイルランドのダブリンはゴッドレッド・クロバンの相続人であったオラフ(Olaf)をヘンリー1世(King Henry I)の宮殿で育てることに決め、宮殿へ送ることにしました。宿敵であるノルマン人にサドリア人はソドー島で反乱を起こしてソドー島は独立し、サドリア人はシグムンドを王に決めました。この行動はノルウェー王のマグナス・バーフォード(Magnus Barford)の承認を得て、マグナス・バーフォードの艦隊がダブリンとマン島の沖に派遣され、ダブリンの報復を防ぎ、ソドー島の独立を平和的に達成する事ができました。


王となったシグムンドは、ピール・ゴッドレッドで戴冠し、クロンクを首都としました。シグムンドは王として1116年まで君臨し、息子のグンナル(Gunnar)が後を継いだ。シグムンドの子孫のアンドレアス王(King Andreas)とその息子のピーター王子(Prince Peter)まで王朝が存続し続けましたが、1263年にラルグの戦いで2人は亡くなり、ピーター王子は子供がいなかったためシグムンド一族の王朝は160年ほどで幕を閉じます。


シグムンド一族の王朝が幕を閉じたことで、スコットランド人はソドー島を主張して侵攻しました。サドリア人はこの侵攻を阻止しますが、スコットランド人は以前からソドー島を狙っていた近隣地域の人の1人であり、ソドー島を狙っていました。以降の140年は、レジスタンスの時代として知られています。スコットランドによるソドー島侵攻の可能性があったため、能力がある人物が後継者として必要になりました。それに適任だったのはハロルド・マロナウン卿(Sir Harold Marown)でしたが、王位継承権の主張は弱く、摂政の価値しかありませんでした。


1263年、スコットランドのアレクサンダー3世(Alexander III)がソドー島を主張し、1267年にマン島を買い取った。

1290年、イングランドとスコットランドの権力闘争を勃発し、何度か所有者が変わり、最終的に1333年にエドワード3世(Edward III)が土地を合併させて、モナタキュート家(Monatacutes)に与え、50年後にはウィリアム・ル・スクロープ(William le Scrope)に売却しました。

1399年、ヘンリー4世(Henry IV)はウィリアム・ル・スクロープを斬首して、島をパーシー一家(Percy family)に与えました。ソドー島自体は併合されたとはいえ占拠されたわけではなかったが、パーシー一家は度々大規模な反乱を起こしたため、サドリア人は占拠されていたブレンダム、クロンク、ロルフズ・キャッスルの間の地域を多く攻撃し、パーシー一家のソドー島全土の占拠を阻止しました。


1404年、イングランドのノーサンバーランドの伯爵であったヘンリー・パーシー(Henry Percy)がヘンリー4世に対し反乱を起こします。彼は使者として指揮官であるピーター・デ・リグビー卿(Sir Peter de Rigby)を派遣し、ソドリア人にヘンリー・パーシーの追放に協力出来ないかを相談し、ソドリア人は快く参加することに決めた。その際ピーター・デ・リグビー卿はソドー島の摂政だったアーノルド・デ・ノルマンビー卿(Sir Arnold de Normanby)に感銘を受け、自軍をアーノルド・デ・ノーマンビー卿の指揮下に置いた。ヘンリー・パーシーとの戦いにおいて、ピーター・デ・リグビー卿とアーノルド・デ・ノーマンビー卿はお互いに好意と尊敬の念を抱くようになりました。


この戦いにおいて、ヘンリー・パーシーが敗北し、ヘンリー4世はマン島をスタンレー一家(Stanley family)に与えました。一方、アーノルド・デ・ノルマンビー卿は摂政を放棄します。しかし、ヘンリー4世はアーノルド・デ・ノルマンビー卿とクロンクの大修道院長に権力を返還し、ソドー島の共同統治者としました。一部のサドリア人は、この新しい秩序を受け入れようとしませんでした。しかし、ヘンリー4世はアーノルド・デ・ノルマンビー卿に伯爵(Earl)の地位を与えます。この伯爵の爵位が与えられた理由はソドー島をイギリス王室と結び付ける意味合いもあるが、前の摂政を尊敬していたアーノルド・デ・ノルマンビー卿を通じてサドリア人の愛国心と価値を評価することを示しており、サドリア人の抵抗を収束させることに繋がった。

余談だが、アーノルド・デ・ノルマンビー卿の子孫は現在ではノランビー(Norramby)という苗字を使用している。


ヘンリー8世(Henry VIII)の離婚問題を起因とするイングランドの宗教改革が発生し、ソドー島も宗教改革に巻き込まれることになります。

マイケル・コールデン(Michael Colden)とクロンクの修道院長のジェフリー・レガビー卿(Sir Geoffrey Regaby)は宗教改革の可能性を考え、ソドー島と教会の利益のためにかつての修道院の収入が維持しました。

1540年、ヘンリー8世の令によりクロンク修道院は解散させられます。それ以降、かつての修道院の収入を利用してソドー島で最も必要とされている学校、教会、小教区の設立と寄付に使用されました。この設立や寄付のお陰で、修道院のメンバー達は、信徒と聖職者の両方で雇用を見つけることができました。

マイケル・コールデンとジェフリー・レガビー卿は人々が嫌がらせや迫害を受けるのは間違っていると考え「ノー・プレッシャー(no pressure)」の方針を取り、エドワード6世(Edward VI)の治世の間にソドー島のローマ・カトリックとイングランド国教会との関係を良好なものにさせ、メアリー女王の治世の間にイングランド中を席巻したローマ・カトリックの反発の影響をほとんど受けませんでした。

1565年、マイケル・コールデンが亡くなり、ティモシー・スメイル(Timothy Smeale)が彼の政策を引き継ぎ、ローマ・カトリック教徒が自分たちの教会で礼拝をすることを認めました。

1570年、当時のローマ教皇のピウス5世(Pius V)が当時のアイルランド女王のエリザベス1世(Elizabeth I)を破門すると、一部の人々は自分たちは再帰依者であり、別々に礼拝しなければならないと感じたのです。彼らにとって、エリザベス1世は宗教の問題で教会の元首として受け入れることはできないが、それによってエリザベス1世への忠誠心が揺らぐことはないことを理解させたのです。1600年までには、そのように考える世代の人々のほとんどが亡くなり、子供たちはイングランド国教会に傾いていたため、嫌な感情を持つ者は残っていませんでした。


1873年、当時の女王のヴィクトリア(Victoria)は民衆の声に答える形でジョン・アーノルド・ノランビー(John Arnold Norramby)はソドー伯爵とウルフステッド城の領地に復帰させました。ソドー伯爵はランカスター公国の評議会で活躍し、イングランドの国王や女王とは別のランカスター公爵が存在しないため、ソドリア人はソドー伯爵をソドー公爵と呼んでいる。


1806年にソドー島で初の鉄道となるウォード・フェル=バラッドウェイル路面軌道(Ward Fell-Balladwail Plateway)が開通する。

様々な鉄道が開通しては消えてを繰り返す中、1914年には3つの私鉄を合併させてソドー島で最大の鉄道となるノース・ウェスタン鉄道(North Western Railway)が開通する。

1948年にノース・ウェスタン鉄道が国有化され、1997年までイギリス国鉄の北西部地域の管轄となりました。

地理編集

ソドー島は、マン島ブリテン島のカンブリア州バロー・イン・ファーネスの間にあるとされている。

ソドー島とマン島の間には幅4マイル(6.4km)のサドリア海峡があり、ソドー島とイギリス本島との間にはサドリア海峡より狭いウォルニー海峡があります。

山・山原編集

アールズデール・マウンテンサイド(Arlesdale Mountainside)

アールズデール・グリーン駅アールズデール駅の間に位置し、アールズデール鉄道(旧ミッド・ソドー鉄道)が側を走っている、雑木林の山間部である。

マイクが野生の羊で遅れてしまった場所でもある。


クラッグ・オイリー山(Clagh Ooyre)

旧ハーウィック駅から南西に7キロ進んだ位置する山。


カルディー・フェル山(Culdee Fell)

ピール・ゴッドレッド駅から東に位置する標高2048フィート(624.2m)の山で、ソドー島で1番高い山でもある。

カルディー・フェル鉄道は山の南西側から登っている。

カルディーの名前はこの山の名前から付けられた。

カルディー・フェルはサドリア語で『神の仲間』を意味し、6世紀マッシャン聖がカルディー・フェル近くの洞窟に住んでいたことが由来である。


ゴブ=イ=ディーガン山(Gob-y-Deighan)

ウルフステッド・ロード駅から北西に2キロ進んだ位置する山


シェーン・ドゥーイニー山(Shane Dooiney)

シェーン・ベン山のすぐ北に位置する山。北東にはカルディー・フェル山がある。

シェーン・ドゥーイニーの名前はこの山の名前から付けられた。

シェーン・ドゥーイニーはサドリア語で『老人』を意味する。


シェーン・ベン山(Shen Ven)

シェーン・ドゥーイニー山のすぐ南に位置する山。

シェーン・ベンはサドリア語で『老婆』を意味する。


ワード・フェル山(Ward Fell)

シェーン・ベン山の東南に位置する山。

ワード・フェル山には銅鉱脈があったため、銅鉱山があり、掘り出しだ銅を旧バラッドウェル駅まで輸送するウォード・フェル=バラッドウェイル路面軌道がありましたが、1900年頃に銅鉱脈の枯渇で閉山している。

第二次世界大戦の頃、国防省は弾薬の貯蔵のために、ワード・フェルの銅鉱山を入手している。


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ベン・グラス川(Ben Glas)

ワード・フェル山の東側にある、以前はスカーロイ鉄道だった路線の高架橋の頂上から流れる川。

グレンノック駅から南東に5キロ進んだ地点でハーウィン・ドーレイ川と合流し、南にあるバラッドウェルまで流れます。


ハッケンベック川(Hackenbeck stream)

ハッケンベック・トンネルに源流がある小川。

約5キロ北にある旧ファーカー・ロード駅近くを流れるアルル川に合流します。


ハーウィン・アブ川(Hawin Ab)

ダビンモアー湖から南に1キロ進んだ地点から流れている川。

アイリッシュ海に向かって南に流れています。


ハーウィン・クロカ川(Hawin Croka)

ワード・フェル山の南にあるハーウィン・ラッサー川から西に数百メートル進んだ地点から流れている川。

ケルスソープとロルフズ・キャッスルを通り過ぎ、カーク・ローナン近くの湾に流れ着きます。


ハーウィン・ドーレイ川(Hawin Doorey)

スカーロイに源流がある川。

グレンノック駅から南東に5キロ進んだ地点でベン・グラス川と合流する。


ハーウィン・オイレー川(Hawin Ooyre)

ロイ・マッシャン湖から西に流れる小川。

ハーウィック付近の湾からファーキー・イ・スドラグ(サドリア海峡)に流れ着く。


ハーウィン・ラッサー川(Hawin Russagh)

ワード・フェル山の南に2キロ進んだ地点から流れている川。

バラッドラインを通り、南西方向に流れ、ブレンダム湾に流れ込む。


マウラ川(Maura)

ゴードンの丘(Gordon's Hill)から北へ4キロ進んだ地点から流れている川。

源流から3キロほど進んだ地点までは北に進み、それ以降はマロンの近くを通るように南に流れ、サドリー近くの海に流れ着きます。


リーグ川(Reagh)

ウルフステッドから南西に4キロ進んだ地点から流れる川。

南に流れ、ウェルズワース近くでアイリッシュ海に流れ着く。


アルル川(River Arle)

アールズデールを流れている川。

ファーカー・ロード駅付近でハッケンベック川と合流し、ファーキー・イ・スドラグ(サドリア海峡)に流れ着く。


キャラン川(River Callan)

ハッケンベック駅から北西に5キロ進んだ地点から流れる川。

南西に流れて、エルスブリッジ駅付近でエルス川と合流する。


エルス川(River Els)

ウルフステッドのウルフステッド城の西の近くから流れている川。

エルスブリッジ駅付近でキャラン川と合流して、ナップフォード港まで流れ、ファーキー・イ・スドラグ(サドリア海峡)に流れ着く。

エルス川では運河船が通行していることが確認されている。


フー川(River Hoo)

バラフー駅から北西に13キロほど進んだ地点から流れる川。

南東方面に13キロ流れて、ノランビーの南側の湾に流れます。


ティッド川(River Tid)

アールズバーグ・ブリッジ・ストリート駅から南に5キロ進んだ地点から流れる川。

南西にあるティッドマスまで流れ、ファーキー・イ・スドラグ(サドリア海峡)に流れ着く。

湖・池・滝編集

チビル・ウルフ湖(Chibbyr Ulf)

ウルフステッドの北側近くにある湖。

時期は不明ながら、ウルフステッドにある羊毛工場の動力源として、チビル・ウルフ湖の水を使用していたが、最近では電力に取って代わられている。

チビル・ウルフはサドリア語で『ウルフの井戸』を意味する。

この名前が付くきっかけとなったのは、オグムンドが呼び寄せたイングランドのノリッジのトルケルの部下で中尉のウルフ(Ulf)という人物が陽気でおまけにエールのお陰でのどが渇き続き、ウルフの部下が冗談交じりで「太った狼‐上手な狼‐(Chybbyr Ulf - Ulf's Well -)」と言った事で名前が定着したとされています。


コーロイ湖(Corloey)

ピール・ゴッドレッドから西に10キロほど進んだ場所にある湖で、ゴブ=イ=ディーガン山とクラッグ・オイリー山の中間に位置しています。

ダビン・モアー湖とロイ・マッシャン湖を含む3つの湖の水はピール・ゴッドレッド電力会社の水力発電所で使用する水として使用されている。


デイリーの池(Dilly's Pond)

ホールトラフ駅近くにある池。

池には漁船が停泊しています。

デイリーとは、ホールトラフ駅に住み着いたアヒルの名前で、デイリーは水浴びがしたくなると、この池に行きます。


ダビン・モアー湖(Dubbyn Moar)

クレッグ・ウィルから南西に6キロ進んだ場所にある湖。

コーロイ湖、ロイ・マッシャン湖を含む3つの湖の水はピール・ゴッドレッド電力会社の水力発電所で使用する水として使用されている。


ロイ・マッシャン湖(Loey Machan)

カルディー・フェル山の北側に位置する湖。

ロイ・マッシャンとはサドリア語で『マッシャンの湖』を意味する。

この名前が付いたきっかけは、6世紀にマッシャン聖がこの湖で洗礼を受けたことが由来とされています。


ポール・ニー・クリンク湖(Poll-ny-Chrink)

カルディー・フェル山にある幅が1000フィート(304.8メートル)の湖。

スカーロイ・ロード駅の手前にある。

1987年時点で数年前、ハリー・バレイン卿がポール・ニー・クリンク湖の地域を野生生物保護区とし、ソドー自然保護トラスト(Sodor Nature Conservancy)に提供しました。野生生物保護区では他では見れない植物・野鳥・蝶を見ることが出来ます。羊・ウサギ・鹿などの駆除を防ぐために柵で覆われているが、なるべく目立たないものになっています。


レニアス滝(Rheneas Waterfall)

レニアス駅の近くにある滝。

レニアスとはサドリア語で『幾筋にも分かれた滝』を意味する


スカーロイ湖(Skarloey Lake)

レイクサイド駅の南側のすぐ近くにある湖。

スカーロイ湖の水はハーウィン・ドーレイ川に流れている。

スカーロイとはサドリア語で『森の中の湖』を意味する。

海・海峡編集

ファーキー=イ=スドラグ(Faarkey-Y-Sudragh)

サドリア語でサドリア海峡(The Sudrian Sea)を指す言葉で、マン島とソドー島の間にある海峡のことである。


ウォルニー海峡(Walney Channel)

イギリス本島とソドー島の間にある海峡。

地名編集

アールズバーグ(Arlesburgh)

ソドー島の西海岸にあるアルル川の河口の両端にある町。

大昔は城塞都市で、古代からの港であるアールズバーグ港があります。

ここにはノース・ウェスタン鉄道アールズバーグ線アールズデール鉄道が(以前はミッド・ソドー鉄道も)乗り入れているアールズバーグ・ウェスト駅アールズデール鉄道のみが(以前はミッド・ソドー鉄道が)乗り入れているアールズバーグ・ブリッジ・ストリート駅がある。


アールズデール(Arlesdale)

アールズバーグの東側にある、アーレ渓谷(Arle Valley)を含む地区。

この地区にはいくつかの集落があり、その内グリーン(Green)は住宅街で、ガース(Garth)は買い物をする主婦たちが行き交う場所で、旧ミッド・ソドー鉄道の機関士の息子が営む「ザ・デューク(The Duke)」と鉄道ファンが多く集まる「ドリクソン・アームズ(Drixon Arms)」と言う2つのホテルがあります。

郊外には、クリンクル・ハウ(Crinkle Howe)、ガマーズ・ギル(Gummers Ghyll)、ビスキー・バロー(Biskey Barrow)などの農場があり、ファームハウス・ティー(Farmhouse Teas)が有名で飲む価値があります。

この地域にはグリーンにアールズデール・グリーン駅、ガースにアールズデール駅があり、いずれもアールズデール鉄道が(以前はミッド・ソドー鉄道が)乗り入れています。


バラッドライン(Balladrine)

ケルスソープ・ロード駅から北西に16キロほど、キルデイン駅から南東に8キロほど進んだ場所にある小さな村。

サドリー司教の地位を奪われたランスロット・クアルトルー(Lancelot Qualtrough)が表向きには小さな小教区の副牧師として引退した後に住んでいた。


バラッドウェイル(Balladwail)

ソドー島の南海岸にあるベン・グラス川の河口の東側にある小さい町。

1806年から1865年までウォード・フェル=バラッドウェイル路面軌道が走っていた。


バラフー(Ballahoo)

クロバンズ・ゲート駅の北東にあるバロー=イン=ファーネスの宿舎の町。

ノース・ウェスタン鉄道ノランビー線が乗り入れているバラフー駅がある。

バラフーはサドリア語で『フー川の上の農場(The Farm on the River Hoo)』を意味する。


バラモッディー(Ballamoddey)

アールズデールの東側にある集落。

以前はミッド・ソドー鉄道が乗り入れするバラモッディー駅があった。


バラスワイン(Ballaswein)

ハーウィックの北東に位置する小さな村で、ソドー島最北端の集落でもある。

以前は、クロンク・アンド・ハーウィック鉄道が通っていたと思われる。


ブレンダム(Brendam)

サドリー湾の西岸の最南端に位置する人口が4500人ほどの町。

町にはブレンダム港や6世紀に建てられた聖ブレンダムズ教会(St. Brendan's Church)、マーガレット・クランスタル(Lady Margaret Cranstal)が建てたブレンダム学校があります。

北西から3キロから5キロ先に見える白い山は、石英や砂を含む陶土の山で、ソドー・チャイナ・クレイ会社が専用線を使ってブレンダム港にこの陶土を運んでいる。

1949年以前は小さな漁村で、1948年に粘土層が発見されたことでソドー・チャイナ・クレイ会社が設立され、現在は漁業は衰退し、住人の大半がソドー・チャイナ・クレイ会社に関わる仕事をしています。

開発は港周辺に留まらず、村だった時の丘陵地に古い建物と調和させように注意しながら新しい建物を建てている。

以前からの住人とソドー・チャイナ・クレイ会社の影響で入って来た新しい住人のコミュニティの調和の取れた関係を築くのは難しい事でしたが、現在では1つのコミュニティになりつつあります。

ノース・ウェスタン鉄道ブレンダム線が乗り入れているブレンダム駅がある。


ブリッジ・オブ・ロックス(Bridge of Rocks)

ハーウィックの東側にある村落。

ハーウィン・オイレー川の挟んだ北側の対岸にドロガン=イ=クラガンがある。

以前は、クロンク・アンド・ハーウィック鉄道が通っていた。


キャバルヌー(Cabalnoo)

カーク・ローナンから北西に8キロ進んだ場所にある村。


キャス=ニー=ハウィン(Cas-ny-Hawin)

アールズデール渓谷(Arlesdale Valley)にある村落。

1094年、シグリッド(Lady Sigrid)が執事のケチル(Ketil)と僅かな農民兵で10倍以上の数のノルマン人の軍が侵攻してきた時にここに誘き寄せて、敵の進行を阻止している。

ここに向かっている道路はミッド・ソドー鉄道の廃線跡を利用しており、道中には高価格で良いサービスをするレディー・シグリッド・ホテル(Lady Sigrid Hotel)があり、販売所と案内所があるソドー島トラスト(Sodor Island Trust)の駐車場で道路が終了します。

ここにはミッド・ソドー鉄道の主要な鉛鉱山がありましたが、ポンプとして使用していたスタンリーが、1946年初頭に故障し、同年12月に洪水が発生したため、閉山している。

1947年1月までミッド・ソドー鉄道が乗り入れするキャス=ニー=ハウィン駅があった。


クレッグウィル(Cregwir)

ハーウィックの東側にある村。

ハーウィン・オイレー川の南側の川沿いに位置している。

以前は、クロンク・アンド・ハーウィック鉄道が通っていた。


クロンク=ニー=ブラエイド(Cronk-ny-Braaid)

マロン駅の東にある一般的にクロンクと呼ばれる城塞化された町。

町にはクロンク城跡、クロンク大修道院跡、クロンク修道院学校がある。

賑やかな町だが、大企業があるわけではなく、小さな会社が家庭用電化製品や楽器を製造している。

島を探索するのに理想的な町で、多くの良いホテルがあり、その中でもシグムント・ストリート(Sigmund Street)にあるザ・クラウン・オブ・ソドー(The Crown of Sodor)は最高のホテルと言われています。

ノース・ウェスタン鉄道本線が乗り入れているクロンク駅ノース・ウェスタン鉄道ピール・ゴッドレッド線が乗り入れているアビー駅がある。

クロンク=ニー=ブラエイドはサドリア語で『谷間の丘(The Hill in the Valley)』を意味する。


クロス=ニー=クーン(Cros-ny-Cuirn)

クロバンズ・ゲート駅の北西にある村。

1820年からクロバンズ・ゲート・マイニング社の馬車鉄道による輸送の中心地となっていたが、1865年にスカーロイ鉄道が開業して蒸気機関車による輸送に変わると、馬車鉄道関連の物は廃れた。

ここの人達の多くが、農民、農作業員、採石職人、鉄道員である。

アイボ・ヒューは駅近くに快適なコテージを作って住んでいます。

ハンデル・ロイド・ブラウン卿2世も父が建てた家をこの土地に持ち、渓谷全般を見渡すことが出来ます。

スカーロイ鉄道が乗り入れているクロス=ニー=クーン駅がある。

クロス=ニー=クーンはサドリア語で『フォードのナナカマド(the Ford of the Mountain Ash)』を意味する。


クロスビー(Crosby)

ウェルズワース駅の西側にある小さな海辺の町で、元々はクロシュビャー(Croshbyr)として知られる。

説教用に石の十字架を建てた町の教会があり、1600年頃に住民が石の十字架を清教徒の伝道師から守った話が語り継がれている。

静かな海辺の町で、かつウェルズワースと同じ豊かな空気が流れていることから、観光客や療養者に人気がある。

ノース・ウェスタン鉄道本線が乗り入れているクロスビー駅がある。

クロシュビャーはサドリア語で『十字架の農場(Cross Farm)』を意味し、前述した教会の石の十字架が由来となっている。


クロバンズ・ゲート(Crovan's Gate)

ヴィカーズタウンの南西方面にある町。

町のモットーは「Ave amicos cave hostes(ようこそ、友よ。敵軍に気を付けろ(Welcome, friends; beware, enemies))」である。

鉱山業を行っているクロバンズ・ゲート・マイニング社が設立される以前は、農業が主体の町であった。

この地には1915年からクロバンズ・ゲート修理工場が建てられている。

1089年にノルマン人の軍が侵攻した際、ゴッドレッド・クロバンはこの地でノルマン人の軍を抑え込み、退却を装ってノルマン人の軍を狭い峠道に引き付け、シグムンドが峠道を閉じたことでノルマン人の軍を撃退した。この出来事から地名がクロバンズ・ゲートとなった。

スカーロイ鉄道ノース・ウェスタン鉄道本線ノランビー線が乗り入れているクロバンズ・ゲート駅がある。


ドロガン=イ=クラガン(Droghan-y-Claghan)

ハーウィックの東側から13キロ先にある村落。

ハーウィン・オイレー川の挟んだ南側の対岸にブリッジ・オブ・ロックスがある。


ドライオー(Dryaw)

ナップフォードの東側にある村。

ナップフォードの干拓をウルフステッド鉱業会社に依頼されたA.W.ドライ社が居住者に向けて作った小屋から始まり、そこから広がるように村が出来た。

干拓によって西の土地が排水され、1~2エーカー(4046.86~8093.71平方メートル)の区画に住むようになりました。

土壌の塩分を除去すると作物が良く育つ土地になり、現在では園芸農業が行われています。

エルス川の東岸にソドー沿岸警備隊が所有するヘリポートがあります。

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線のメインの路線が乗り入れているドライオー駅ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線の貨物線が乗り入れているドライオー貨物駅がある。

ドライオーの地名はA.W.ドライ社から派生してドライオーになったと言われている(メタい由来は、原作者のウィルバート・オードリー牧師のウィルバートから来ている)。


エルスブリッジ(Elsbridge)

エルス渓谷に位置する人口4500人の小さな町。

聖ペドロック教会の塔には日没の30分前にカーネーンの鐘(Carnane Bell)が鳴るが、これは1758年9月にこの地で店主をしていたピーター・カーネーン(Peter Carnane)がこの地で起こる濃霧で方角が分からなくなった時に、教会の時計の鳴る音で方角が分かり、後に土地を牧師と教会長に遺贈し、この家賃で今後も鐘を鳴らして欲しいと命じたためである。

エルスブリッジの人々は、1799年~1800年に古い馬車橋の代わりに作った橋を誇りに思っている。

この町には製粉所、ベーカリー、農業工学を専門とする小さな会社があるが、最大の会社はセント・ペドロックス乳業(St Pedroc’s Dairy)でキャランチーズとエルスデールバターが有名な会社で、エルスデールバターはエルス川上流の豊かな水辺の牧草地で放牧された牛の乳から作られています。

カラック(The Curragh)やフェンランド博物館(Fenland Museum)は干拓をする前と後のこの地域の生活についての展示があります。

西岸の土地のほとんどは干拓されて畑となりましたが、約4000エーカー(16.18743平方キロメートル)はそのまま残っており、ソドー自然保護トラスト(Sodor Nature Conservancy)の野生生物保護区となっている。

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線が乗り入れているエルスブリッジ駅がある。


ファーカー(Ffarquhar)

ナップフォードの北東にある村。

1263年~1404年には、ウルフステッド城の前哨基地として砦が設けられたが、1404年にヘンリー4世が領主としてソドー島を受け入れたため前哨地の役割を失い、丘の上の砦以外は解体された。

前哨地の役割を終えたファーカーは、住人たちが現在も麦・大麦を育てつつ、牛や羊の飼育を行っている。

ソドー・ブラック・ポール(Sodor Black Poll)と言う羊は、良質の肉と良質な毛を作り、毛はウルフステットの毛織工場で上質な布に加工されます。

またここで採れる牛乳は1日2回、エルスブリッジのセント・ペドロックス乳業に送られています。

ファーカー駅から1.5キロ先に石を採掘するファーカー採石会社があり、400人程が働いている。

他にも特注の農具を作れる鍛冶屋のトーマス・カズンズの工房(Thomas Cousins' workshop)やジョサイア・フェルグッド(Josiah Felgood)の有名なファーカーエール(Ffarquhar Ales)の醸造所、トビーのイラストが描かれた看板を掲げているパブのトビー(The Toby)(トビーが来る前の店名はトビー・ジャグ(The Toby Jug))、13世紀に建てられた聖フィナン教会がある。

人口は1921年の時は350人だったが、1981年現在は2405人います。

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線が乗り入れているファーカー駅がある。


ファーカー・ロード(Ffarquhar Road)

ファーカーの北に位置する小さな村。

アールズデール鉄道が(以前はミッド・ソドー鉄道が)乗り入れているファーカー・ロード駅がある。

グレンノック(Glennock)

クロバンズ・ゲートの北西に位置する集落。

この地帯はスカーロイ鉄道が通る前は集落はなく、強いて言えば馬車道にある「グレンノック」という宿がある程度でした。

この宿の位置がスカーロイ鉄道のほぼ中間地点にあったことから、この地点に待避線がある駅ができ、この店の名前が駅名に付けられました。

この地域はその後、鉄道で稼いだ人のコテージや採石業者の住む場所になりました。

他にもチャペルや学校があり、この学校は1948年以前は学校に通うすべての年齢層が通える場所でしたが、1948年にはジュニアの年齢の子供たちが通う学校に変わりました。

グレンノックは、サドリア語で『青い丘(Blue Hill)』を意味している。


ハッケンベック(Hackenbeck)

ファーカーの西に位置する小さな村。

キンドリー夫人のコテージがある。

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線が乗り入れているハッケンベック駅がある。

ハーウィック(Harwick)

ソドー島の北海岸にある漁業とホリデーの町。

1981年現在の人口は5,869人。

以前は、クロンク・アンド・ハーウィック鉄道が通っていた。

ノース・ウェスタン鉄道アールズバーグ線がこの土地まで延長する計画が2度あったが、1度目は脅威が過ぎ去ったため戦略的鉄道が不要となり、イギリス海軍本部が工事を中止させ、2度目はソドー・ロードウェイズ社の柔軟なサービスが既にあるため不要となり、計画破棄された経緯がある。


ホールトラフ(Haultraugh)

ティッドマスの北東に位置する村。

きれいでしっかりとした砂浜のある快適な避暑地で、観光客の人気が急上昇しているが、ファーキー=イ=スドラグ(サドリア海峡)の潮の流れの影響で危険なため、港の桟橋に沿って屋外海水浴プールが建設されました。

ホールトラフ駅から2キロ程先に畑の中で鶏小屋にされたバルジーがいます。

ノース・ウェスタン鉄道アールズバーグ線が乗り入れているホールトラフ駅がある。


ケラビー(Kellaby)

ケルスソープ・ロード駅から西に9キロ進んだところにある村。


ケルスソープ(Kellsthorpe)

クロバンズ・ゲート駅の西に位置する町。

この地ではオグムンドに迎え入れられたイングランドのノリッジのトルケル(Thorkell)の子孫であるケルソン家(Kellson family)が今でも住んでいる。

この土地の名前はノリッジのトルケルに由来している。

町から南に4キロほど離れた不便な場所にノース・ウェスタン鉄道本線が乗り入れているケルスソープ・ロード駅がある。


キラバン(Killaban)

クロンク駅の南、又はキルデイン駅の南西に位置する村。

キラバンの由来は、6世紀のアイオナ派の宣教師であるアバン聖(Saint Abban)で、この地の教会はアバン聖に捧げられている。


キルデイン(Killdane)

ウェルズワースの東に位置する町。

1967年にアールズデール・バラスト・アンド・グラナイト社のバラスト加工工場と流通センターがこの地に設立された。

1977年にソドー島のモトレイル(Motorail)(イギリス国鉄がサービスを提供する旅客と自動車を運ぶ、所謂旅客カートレイン)のターミナルが設置された。

円状に連なる巨大な立て石からキール・イ・ディーガン(Keeill-y-Deighan)(サドリア語で悪魔の教会(The Church of the Devil))と言う名が付いた。

ノース・ウェスタン鉄道本線ピール・ゴッドレッド線が乗り入れているキルデイン駅がある。


カーク・マッシャン(Kirk Machan)

カルディー・フェル山の麓にある村。

6世紀にマッシャン聖がカルディー・フェル山の洞窟に生活して、マッシャン聖に会いに近くや遠くの人が会いに来ており、11世紀にはマッシャン聖に捧げられた教会が建てられました。

カルディー・フェル鉄道ノース・ウェスタン鉄道ピール・ゴッドレッド線が乗り入れているカーク・マッシャン駅がある。

カーク・マッシャンは、サドリア語で『マッシャンの教会(Machan's Church)』を意味している。


カーク・ローナン(Kirk Ronan)

クロバンズ・ゲート駅の南西に位置する港町。

カーク・ローナン港や6世紀のアイオナ派のアイルランド人宣教師のローナン聖(Saint Ronan)に捧げられた教会がある。

1860年代以前は漁港だったが、1865年に開通したソドー・アンド・メインランド鉄道がこの地からアイルランドのダブリンへの蒸気船の運航を計画して頓挫したものの、クロバンズ・ゲート・マイニング社の鉱物出荷に港を利用しました。

1920年からはノース・ウェスタン鉄道がこの地からアイルランドのダブリンへの蒸気船を毎日運行を開始したが、1925年にノース・ウェスタン鉄道とロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道が協定を結んだ際、ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道に多大な影響を与えたこの地からアイルランドのダブリンへの蒸気船を火曜日と金曜日のみの運行に変更した。

ノース・ウェスタン鉄道カーク・ローナン線が乗り入れているカーク・ローナン駅がある。

カーク・ローナンは、サドリア語で『ローナンの教会(Ronan's Church)』を意味している。


カークリース(Kirkleas)

アールズデール渓谷の南部にある村落。

人里から離れた土地にあるが、今でもコミュニティの中心地である。

この地の教会は、6世紀にマッシャン聖に捧げるために一度建てられたが、9世紀のバイキングの侵略の中で消滅し、11世紀に再建された。

教会の周りには、チャーチファーム、学校、牧師館、ホテルとなった手頃な料金で良いサービスをするマナー・ハウスがある。

この地には1067年にエドリック(Edric)が定住するようになり、その子孫であるドリクソン家(Drixon family)はソドー島で最も古い家系の一つとなりました。

ドリクソン家はアールズデールの荘園を代々所有していましたが、1977年に相続税が発生したため、ドリクソン家の家系でアールズデール鉄道の取締役会長であるラナルド・ドリクソン(Col. Ranald Drixon)は荘園を売却しました。


ナップフォード(Knapford)

ティッドマスの南に位置する、エルス川河口の荒涼とした場所にある小さな港湾の町。

ナップフォード港がある。

エルスブリッジより下の地域は、エルス川の氾濫が何世紀にも続いており、この地は足場が不安定な状態でした。

1880年代、ウルフステッド・マイニング社(Ulfstead Mining Company)はトリレックの南東にある高台の鉛に興味を持ち、地盤の悪いこの地を通って鉛を運び出すため、A.W.ドライ社によってこの地の干拓が行われています。

1951年現在、人口は2200人だが、鉄道員、港湾労働者、排水工員を除けば、殆ど住んでいない状況である。

地域経済の一部を農業、漁業、養豚が形成している。

ノース・ウェスタン鉄道本線ファーカー線のメインの路線が乗り入れているナップフォード駅ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線の貨物線が乗り入れているナップフォード・ハーバー駅がある。


マロン(Maron)

ウェルズワース駅の東側にある村。

この地の教会は6世紀のアイオナ派の宣教師であるローナン聖(St. Ronan)に捧げられた教会がある。

現在の村はマロン駅の中心に広がっているかゴードンの丘(Gordon's Hill)の頂上にある段々畑の中にあるが、古い家はマウラ川のある谷から登って来た台地にある。

人々が暮らす家へ続く道のほとんどが急勾配の細い道のため、自動車を使うと不便なため、今でもロバにパニアと言う鞍に取り付ける背負いかごを乗せて、パン・食料品・石炭などを運んでいます。

ノース・ウェスタン鉄道本線が乗り入れているマロン駅がある。

マロンは、サドリア語で『ローナン聖(St. Ronan)』を意味するマ・ローナン(Ma Ronan)から来ていると言われている。


マースウェート(Marthwaite)

アルル渓谷にある友好的で勤勉な人々が住む快適な村。

北側には木々に覆われた丘があり、南にはアルル川があります。

道路と鉄道の公共交通機関の便が良いため、人気のある休日に集まる場所となっています。

北には花崗岩の採石場があるが、1966年の時点で低迷しており、アールズデール・バラスト・アンド・グラナイト社に買収したことで存続している。

アールズデール鉄道が(以前はミッド・ソドー鉄道が)乗り入れているマースウェート駅がある。

マースウェートの由来は諸説ある。


ノランビー(Norramby)

ソドー島の南東の海岸にある、安全な砂浜のある魅力的な海沿いの住宅街の町。

ソドー公爵を務めるノランビー家の家名の由来となった土地でもある。

この地には7世紀のアイオナ派の宣教師であるフィナン聖(St. Finan)に捧げられた教会がある。

安全な砂浜のある魅力的な海沿いの住宅街となった現在、サドリア人やイギリス本土の人々から人気のリゾート地となっている。

ノース・ウェスタン鉄道ノランビー線が乗り入れているノランビー駅がある。

ノランビーの由来はノルマン人(Norman)が初めてソドー島に侵攻した場所がこの地で、その際ノルマンビー(Norramby)から来ていると言われる。


ピール・ゴッドレッド(Peel Godred)

クロンク駅の北に位置する、城壁に囲まれた丘の上に建てられた町。

ソドー連隊(Sodor Regiment)が駐屯している。

ゴッドレッド・マックハロルドが城壁を作り、後にゴッドレッド・クロバンが城壁を改良し、町は城壁に完全に囲まれるようになりました。

ゴッドレッド・クロバンの館に一流ホテルが建てられているが、名前はクロバンズ・アームズ(Crovan's Arms)だったのが、1987年にホワイト・ガントレット(White Gauntlet)に変更されている。変更理由は、ゴッドレッド・クロバンが戦闘時に白い皮手袋や中世の騎士が用いた鎧の籠手であるガントレットを装着する習慣があったことから、クロバンの名前が思い起こされるからだと言う。

町の近くには水力発電所のピール・ゴッドレッド電力会社やソドー・アルミニウム会社がある。

ノース・ウェスタン鉄道ピール・ゴッドレッド線が乗り入れているピール・ゴッドレッド駅がある。

以前は町のすぐ南にミッド・ソドー鉄道が乗り入れていたキング・オリーズ・ブリッジ駅があった。

ピール・ゴッドレッドは、サドリア語で『ゴッドレッドの砦(Godred's Fort)』である。


ロルフズ・キャッスル(Rolf's Castle)

クロバンズ・ゲート駅から南東に進んだ場所にある町。

この地の地名の元になったロルフ城があり、ロルウェル(Roolwer)(ロルフ(Rolf))が建設した。

ノース・ウェスタン鉄道カーク・ローナン線が乗り入れているロルフズ・キャッスル駅がある。


シャイロー(Shiloh)

ピール・ゴッドレッドの近くにある村落。

当初の名前はシラフ(Shilaugh)という地名だったが、19世紀初頭にバプテスト礼拝堂(Baptist Chapel)の献堂式にソドー島の別の地域の著名な訪問説教者が、シラフを誤ってシャイローと言い、集まっていた信徒は聖書的な名前にふさわしいと思い、シャイローと呼ぶようになった。

カルディー・フェル鉄道が乗り入れているシャイロー駅がある。


スカーロイ(Skarloey)

スカーロイ湖の近くにある村。

この地の温かい温泉には治療効果がある。

この地では1263年~1404年の頃のレジスタンスの時代にソドリア人の拠点が置かれたり、1645年~1660年のクロムウェリア時代にこの地が使われたり、1715年と1745年の反乱時の避難場所にも使われました。この地は長い間忘れられ、クロバンズ・ゲート・マイニング社が1800年代に新しい路線の調査時にこの地を再発見し、この地を温泉スポットにすることに決めますが、人里離れた土地で、しかもスカーロイ駅から離れた場所にあったため、観光産業は上手くいきませんでした。しかし、1953年にこの土地が歴史上で重要な場所だと判明すると、保護されたような環境と鉱泉のお陰でスパのような場所となり、この地で冬を過ごしに人がやって来るようになりました。またこの地は、釣り人にも人気があります。

他にも、3つの良いホテル、13世紀の建物の基礎が見ることが出来ます。

スカーロイ鉄道スカーロイ・ケーブルカー鉄道が乗り入れているスカーロイ駅スカーロイ鉄道のみが乗り入れているレイクサイド駅がある。

スカーロイとはサドリア語で『森の中の湖(Lake in the Woods)』を意味する。


サドリー(Suddery)

ソドー島の南海岸にある、島の行政の中心地の町。

町のモットーは「Luoc Sodoris Lux(ラテン語でルオック、ソドー島の光(Luoc, the Light of Sodor))」である。

アイルランド人宣教師のルオック(Luoc)がこの地の浜辺に到着したことで、発展をしている。

町には小さな教会の他に、サドリー大聖堂が建てられています。

12世紀末に、マンクス人の襲撃隊による被害が出たため、サドリー城が建設され、大反乱の際に議会軍によって爆破されている。

ナポレオン戦争の時に要塞化し、砲台が建てられました。

爆破されたサドリー城の城壁はサドリーの港に流れ込み、浚渫に莫大な費用が掛かるため、喫水が浅い船しか港を使用できなくなった。

ノース・ウェスタン鉄道ブレンダム線が乗り入れているサドリー駅がある。


ティッドマス(Tidmouth)

ソドー島の西海岸にあるティッド川の河口に位置するソドー島で一番大きい町で、行政区である。

人口は1951年時点で35000人で、町のモットーは「Industry and Progress(産業と進歩)」である。

この地には安全で嵐にも耐えられる港があるが、利便性が悪く、漁師と密輸業者が交互に出入りする荒れた場所でした。

1905年にはウルフステッド鉱業会社はナップフォード港に不満を感じ、ティッドマス港を使用しようと考えますが、住民から反対に遭います。ティッドマスの人々は、ナップフォードの人々が作った新しい漁船に興味を持ち、船を交渉材料とすると、友好的に干拓工事の資材輸送を行う取り決めをすることが出来ました。その際、ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道をティッドマスに延伸させます。1908年の秋に暴風雨で線路が寸断され、1910年にトンネルを設置して再開、1916年にノース・ウェスタン鉄道本線の複線化工事が終わるとティッドマス港のポテンシャルが発揮され、町の大きな発展が始まりました。

急成長のお陰で今ではソドー島の商業の中心地となりました。

この地は、1906年にソドー島初の電気が通った町でもあり、1918年にイギリス王室から自治区の許可を得ていたりします。

またノース・ウェスタン鉄道の機関庫や本部も1925年からヴィカーズタウンから移設されている。

ノース・ウェスタン鉄道本線アールズバーグ線が乗り入れているティッドマス駅がある。


トリレック(Toryreck)

ナップフォードの東側にある村。

ウルフステッド鉱山会社とA.W.ドライ社の本社が置かれた。

南には鉛鉱山があったが、1930年に閉山。後にウランが見つかり再開坑されている。

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線が乗り入れているトリレック駅がある。


ウルフステッド(Ulfstead)

ファーカーから東に進んだ場所にある小さな山間の村。

この地にはウルフステッド城がある。

羊の毛で出来た上質な布、製粉所で知られています。

見どころが多いため、観光客が多い。

旧伯爵邸を使っているホテルのザ・キャッスル(The Castle)はランクに比例して高くなります。

この地に鉄道を通す計画が2度あり、一度目のミッド・ソドー鉄道の支線計画は困難と判断され断念、2度目は1920年代にファーカー線の延長計画がなされるが、この時期になるとソドー・ロードウェイズ社が柔軟なサービスをしていたため、計画破棄された。

ウルフステッドの由来は、イングランドのノリッジのトルケルの部下でこの地を守っていた中尉のウルフ(Ulf)が由来である。


ヴィカーズタウン(Vicarstown)

ソドー島の東側に位置する最大の都市。

1150年にクロンク修道院がファーネス修道院の娘の家として設立された際、ファーネス修道院の大院長がオグムント王に大院長代理か副牧師の家を建てる土地を許可してもらった際、副牧師(Vicar)の家の土地のみを与えたため、この名が付いた。

町は副牧師の家の周りから広がるように出来た。

この地には、1925年からイギリス本土とソドー島を繋ぐ可動橋がある。

以前はノース・ウェスタン鉄道の機関庫や本部があったが、1925年のロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道とノース・ウェスタン鉄道が協定を結んだ結果、イギリス本土のバロー=イン=ファーネス駅と接続することになり、また機関庫や本部の機能もティッドマスに移設されている。

とはいえ、カーフェリーの列車を担当する機関車のために、機関庫が設置されている。

ノース・ウェスタン鉄道本線が乗り入れているヴィカーズタウン駅がある。


ウェルズワース(Wellsworth)

ソドーの南岸近くにある快適な海辺の村。

空気がとても澄んでいるため、療養所があり、多くの医師が呼吸器患者にここで過ごすことを勧めています。

1286年以降にティバ聖病院(St Tibba’s Hospital)が建てられ、1987年の少し前に新しい敷地に再建され、ソドー島のどの病院よりも高い評価を受けています。

ノース・ウェスタン鉄道本線ブレンダム線が乗り入れているウェルズワース駅がある。

ウェルズワースの由来は、ティバ聖(St. Tibba)が掘らせた井戸(well)から来ているのではないかと考えられている。

施設・構造物編集

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詳しくはソドー島の駅一覧を参照。

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バラッドライン橋(Balladrine Bridge)

ノース・ウェスタン鉄道本線キルデイン駅ケルスソープ・ロード駅の間にある、ハーウィン・ラッサー川に架かる石アーチ橋。

ゴードンヘンリーが牛のブルーベルが居座った影響で進めなくなった場所でもある。


バラフー橋(Ballahoo Bridge)

ノース・ウェスタン鉄道本線クロバンズ・ゲート駅ヴィカーズタウン駅の間にある、フー川に架かるレンガアーチ橋。


バルジーの橋(Bulgy's Bridge)

ノース・ウェスタン鉄道アールズバーグ線ティッドマス駅ホールトラフ駅の間にある、ホールトラフ駅から2番目に架かるレンガアーチ橋。

下を通る道路を通ろうとしたバルジーが引っかかった橋なので、この愛称が付いた。


エルスブリッジ高架橋(Elsbridge Viaduct)

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線エルスブリッジ駅ハッケンベック駅の間にある、エルス川に架かる石高架橋。

ファーカーで採石を始めたジャベズ・クロアリ(Jabez Croarie)が輸送手段として鉄道を必要とし、路線延長の権限を持ちながら資金が足りないノース・ウェスタン鉄道と交渉して、エルスブリッジ高架橋の石を無償提供する事とハッケンベックトンネルの資金を半分出すことを条件に路線延長が決定して1925年に橋が架けられた。

橋は最小限のメンテナンスしか必要としないため、ファーカーの石の評価を与える証拠とされています。

トーマスがバケツで水を入れた場所でもある。


ファーカー・リバー橋(Ffarquhar River Bridge)

アノファ採石場とファーカー駅の間にある木造橋。

1924年に完成したが、一度川の増水で流されている。

トビーが綱渡りをした場所でもある。


ハッケンベック橋(Hackenbeck Bridge)

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線エルスブリッジ駅ハッケンベック駅の間にある、ハッケンベック川に架かる木造橋。

パーシーが渡った直後に崩壊し、修理に数日かかったことがある。


キング・オーリー橋(King Orry's Bridge)

ピール・ゴッドレッドのすぐ南にある、ハーウィン・アブ川に架かる中世の橋。

ソドー島トラストによって保存されている。


ナップフォード・ハーバー橋(Knapford Harbour Bridges)

エルス川に架かる橋。

2本の橋があり、一つはノース・ウェスタン鉄道本線ナップフォード駅クロスビー駅の間にあるレンガと鉄の複合素材でできた梁橋。

二つ目は、ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線ナップフォード駅ドライオー駅の間にある、鉄のトラム橋。


レニアス橋(Rheneas Bridge)

スカーロイ鉄道グレンノック駅とレニアストンネルの間にある、ハーウィン・ドーレイ川に架かる石でできたトラス橋。

一度橋が流されたことがある。


レニアス高架橋(Rheneas Viaduct)

スカーロイ鉄道のレニアストンネルとレニアス駅の間にある、レニアス渓谷に架かるレンガアーチ高架橋。

ダンカンがワザと止まった場所である。


高架橋(The Viaduct)

ノース・ウェスタン鉄道本線マロン駅クロンク駅の間にある、ハーウィン・アブ川に架かるレンガ高架橋。

直線の橋ではなく、一部が曲線になっています。

1985年には修理が行われ、その間は橋を徐行する必要がありました。

1957年にゴードンがドームを飛ばされた場所でもある。


ヴィカーズタウン橋(Vicarstown Bridge)

ノース・ウェスタン鉄道本線ヴィカーズタウン駅バロー=イン=ファーネス駅の間にある、ウォルニー海峡に架かる鋼の可動橋。

1850年代から橋を架ける話はあったが、提督府の許可が下りず計画が破棄される。

1915年に長さ120フィート(36.576メートル)のシェルツァー・ローリング・リフト・ブリッジ方式の可動橋としてトップハム・ハット卿が設計して架けられた。

トンネル編集

バラフートンネル(Ballahoo Tunnel)

ノース・ウェスタン鉄道本線ヴィカーズタウン駅クロバンズ・ゲート駅ノランビー線ヴィカーズタウン駅バラフー駅の間にある長さ1マイル(1.6キロ)の2つ穴のトンネル。

ソドー・アンド・メインランド鉄道の時代から計画があり、掘られていたが、崩落して一度中止されている。

1915年、戦略的鉄道として誕生したノース・ウェスタン鉄道は、独自に安い上に速く掘れるように、単線用のトンネルが開通させ、本線の複線とは異なり、単複線となりました。工事中にトンネルの中央部の一部が崩れ、1本のトンネルが二つに分かれました。開通後、予備用に単線のトンネルがもう1本掘られました。

1924年にヘンリーが閉じこもったため、単線側のトンネルを閉じましたが、数ヶ月後にヘンリーをトンネルから出しました。

2011年には、トンネルが崩落したもののウィルバート・オードリー牧師の胸像の公開までに修理を完了させました。


クロスビートンネル(Crosby Tunnel)

ノース・ウェスタン鉄道本線ナップフォード駅クロスビー駅の間にある長さ1マイル(1.6キロ)の1つ穴のトンネル。

ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道ティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道と統合を承認した際に、単線用のトンネルとして1912年に開通させた。

1915年に単複線のトンネルに改修されている。


ハッケンベックトンネル(Hackenbeck Tunnel)

ノース・ウェスタン鉄道ファーカー線エルスブリッジ駅ハッケンベック駅の間にある、1つ穴のトンネル。

ファーカーで採石を始めたジャベズ・クロアリ(Jabez Croarie)が輸送手段として鉄道を必要とし、路線延長の権限を持ちながら資金が足りないノース・ウェスタン鉄道と交渉して、エルスブリッジ高架橋の石を無償提供する事とハッケンベックトンネルの資金を半分出すことを条件に路線延長が決定して1924年5月に開通した。

トーマスが雪に突っ込んでテレンスに助けられたり、キンドリー婦人が危険を知らせてくれた場所でもあります。


レニアストンネル(Rheneas Tunnel)

スカーロイ鉄道グレンノック駅レニアス駅の間にある、1つ穴のトンネル。

1865年に開通した曲線のトンネルで視界が悪い。

1867年にこの地点で地滑りが発生しスカーロイが立ち往生した。

1958年、ダンカンがトンネルに引っかかってしまった。

1961年、レニアス橋が流された影響で不通になり、その間の気候変化でトンネル内に大きなツララが形成され、ピーター・サムの煙突を破損させる被害が発生した。


ティッドマストンネル(Tidmouth Tunnel)

ノース・ウェスタン鉄道本線ティッドマス駅ナップフォード駅の間にある2つ穴のトンネル。

1910年に、1908年に流されたティッドマス駅からナップフォード駅の区間の新線として掘られた。

なお、ノース・ウェスタン鉄道アールズバーグ線ティッドマス駅ホールトラフ駅の間にもトンネルがあり、こちらもティッドマストンネルと呼ばれている資料があるが、詳しい資料が無いため不明である。

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アールズバーグ港(Arlesburgh Harbour)

アールズバーグにある港。

古代の港で、1880年から1930年の間は旅客船会社のマン島スチームパケット社の寄港があり、またミッド・ソドー鉄道の鉱山の鉱物輸送があったりと賑わっていた。

しかし、1936年にミッド・ソドー鉄道の旅客運用の廃止、1947年にミッド・ソドー鉄道の廃止が起こると港は衰退しました。

時は過ぎ1960年代、ティッドマス港は混雑し、混雑緩和の解決策として、1965年から1966年にかけてアールズバーグ港を拡張、新しい桟橋と埠頭設備の設置など行い、ティッドマス港の機能を補完する港として蘇りました。


ブレンダム港(Brendam Docks)

ブレンダムにある港。

ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道は当初、サドリー港を利用する計画でいたが、サドリー城の崩れて海に落ちた城壁が港の喫水を浅くさせたため、代替としてこの港の開発を始めた。

桟橋が作られたが、港の建設は失敗し、開発を断念された。一方桟橋の事をブレンダムの漁師からは大変喜ばれました。

1948年、近くの山で陶土が掘れることが分かり、外航船を収容できる新しい港を以前の港から1.5マイル(2.4キロ)南に進んだ場所に作りました。


ハーウィック港(Harwick Harbour)

ハーウィックにあった港で、1950年に閉鎖されている。

クロンク・アンド・ハーウィック鉄道が通っていた。


カーク・ローナン港(Kirk Ronan Harbour)

カーク・ローナンにある港。

ソドー・アンド・メインランド鉄道が1865年に開港させた港で、蒸気船を寄港させる計画を立てていましたが、断念されました。

しかし、クロバンズ・ゲート・マイニング社の鉱石輸送に使用されました。

ソドー・アンド・メインランド鉄道の破産後の1920年、港の権利を引き継いだノース・ウェスタン鉄道が蒸気船の寄港を毎日実施し始めます。

1925年にロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道とノース・ウェスタン鉄道が協定を結んだ結果、港に寄港する蒸気船は火曜日と金曜日のみとなりました。

スカーロイがソドー島の初上陸した場所はこの港である。


ナップフォード港(Knapford Harbour)

ナップフォードにある港。

最初はA.W.ドライ社の干拓の拠点となっていた。

この港では一定の浚渫を行う必要があるが、1905年に浚渫費用が法外な値段となってしまったため、A.W.ドライ社はティッドマス港を使うことを決めて、この港はほとんど使われることが無くなりました。

1950年代半ばにティッドマス港は大混雑が発生し、チャールズ・トップハム・ハット卿2世は対策としてこの港を改修することを決定します。

工事にはパーシーが使用され、またファーカー線の路線も大幅に変更を行い、1957年に工事が完了しました。

補助的な港としては成功でしたが、露出した場所にある港はティッドマス港の混雑緩和の解決にはならず、アールズバーグ港で問題を解決させました。


ティッドマス港(Tidmouth Harbour)

ティッドマスにある港。

この場所は嵐にも耐える安全な場所にあり、19世紀後半までは漁師と密輸業者の大多数を占めていた。

1905年にナップフォード港に不満を持っていたウルフステッド鉱山会社が、この港を目に付け、ティッドマスの住人から反対があったものの、ナップフォードの人々が作った新しいデザインの船を交渉に使うと、友好的な協定を結び、干拓の道具をこの港から運ぶようになります。

1916年にノース・ウェスタン鉄道本線の複線化が行われると、港が潜在能力を発揮し始め、ティッドマスの発展に貢献しました。

1950年から1960年の間、ティッドマス港は大混雑になり、代替できる港として1957年までにナップフォード港の改修実施、1965年から1966年にかけてアールズバーグ港を改修し、補助の港としました。

漁港でもあり、1935年から毎晩、フライング・キッパー号がソドー島各地やイギリス本土に魚を輸送しています。

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ロルフ城(Rolf's Castle)

ロルフズ・キャッスルにある城。

大反乱の時代に解体されたが、1665年に再建され、現在は会議センターとなっている。


サドリー城(Suddery Castle)

サドリーにある城。

サドリーの町を守るために12世紀末に建てられた。

大反乱の際には議会軍によって爆破されたが、ナポレオン戦争時に修復された。

下に見えるサドリー港はサドリー城の崩れた城壁によって喫水が浅くなり、入れる船に制限がかかっている。


ウルフステッド城(Ulfstead Castle)

ウルフステッドにある城。

1070年ごろに完成し、1404年にヘンリー4世とサドリア人が協力した後にアーノルド・デ・ノルマンビー卿が城をヘンリー4世に明け渡したが、ヘンリー4世は城をアーノルド・デ・ノルマンビー卿に返還し、同時にアーノルド・デ・ノルマンビー卿をソドー島の統治者としました。

大反乱と保護領の時代は王のために保管され、維新後は放棄され、管理していたアーノルド・デ・ノルマンビー卿の子孫のソドー公爵は敷地に大邸宅を建てました。

1873年にヴィクトリア女王がソドー公爵にウルフステッド城の領地を復活させたが、結果的に王室に返還された。

1965年に生活を続けるのが厳しくなってきたため、城を売却してソドー島トラストに提供されました。

機関庫・客車庫編集

アールズバーグ機関庫(Arlesburgh Shed)

アールズバーグにあるノース・ウェスタン鉄道の3線の機関庫。

アールズバーグ線の復活に際し、1966年に完成しました。


アールズバーグ・ウェスト機関庫(Arlesburgh West Shed)

アールズバーグにあるアールズデール鉄道の機関庫。

3つあり、1つは蒸気機関車を収容する機関庫。

2つ目は、蒸気機関車を収容する機関庫の北側にあるディーゼル機関車を収容する機関庫。

3つ目は、近くにある客車庫である。

1967年にフランクがぶつかり、ファーガス・ダンカンが機関庫の検査を行っている。


アールズデール機関庫(Arlesdale Sheds)

アールズデールにあったミッド・ソドー鉄道の2線の機関庫。

1880年に作られ、1947年のミッド・ソドー鉄道の廃止と共に廃止になったが、売れ残ったデュークが取り残されていた。

1969年にデュークが発見され、その際に開いた天井の穴を除去する形で屋根を撤去している。

機関庫の裏側にポンプになったスタンリーが置かれていたが、後にスタンリーを鉱山に移動させている。


カルディー・フェル機関庫(Culdee Fell Engine Sheds)

カーク・マッシャンにあるカルディー・フェル鉄道の機関庫。

機関庫・客車庫・作業場の3つで構成されています。

機関庫は完成時点では2線の小さなものでしたが、1962年に3台機関車が増備された際に拡張され、3線の機関庫になりました。

作業場は機関車の基本的な修理を行い、それぞれの担当者がそれぞれの機関車を整備しています。

客車庫は、2線の車庫で9両の客車を収納するのに十分な長さがあり、また2台の特別貨車が格納できます。


ファーカー機関庫(Ffarquhar Sheds)

ファーカーにあるノース・ウェスタン鉄道の3線の機関庫。

1925年にトーマスのために1線のレンガ造りの機関庫が完成します。

1951年にトビーヘンリエッタエルシーが所属になり、白石造りの機関庫が1線追加されました。

1956年にパーシーがナップフォード港の工事でやってきた時に、新たに白石造りの機関庫が1線追加されました。

横には客車庫があり、1925年にアニークララベルのために1線のレンガ造りの客車庫が建てられました。

1951年にトビーヘンリエッタエルシーが所属すると、レンガ造りの客車庫は壊され、2線の木造の客車庫が完成しました。


ナップフォード機関庫(Knapford Sheds)

ナップフォードにあるノース・ウェスタン鉄道の2線の機関庫。

1956年のナップフォード港に従うファーカー線の工事の際に建てられた。


メイビスの機関庫(Mavis' Shed)

アノファ採石場にある1線の機関庫。

1962年にファーカー採石会社メイビスを購入した際に建てた。


スカーロイ機関庫(Skarloey Engine Sheds)

クロバンズ・ゲートにあるスカーロイ鉄道の3線の機関庫。

1865年にレンガ造りの機関庫が1線建てられました。

1954年に4両の機関車を収容できるようにするため、レンガ造りの機関庫の線路を2本に増やしました。これより前に開放的な木造の機関庫が建てられました。

1969年にデュークが所属することになり、6両の機関車が収容できるように機関庫を後ろに拡張しました。

機関庫の横には客車庫があり、こちらも1865年に建てられ、下が柱がむき出しになっていました。

1953年以前に柱がむき出しだった部分がスレートになりました。

1954年に業績が良くなった影響で客車が増備され、客車庫と客車整備場が拡張されました。


ティッドマス機関庫(Tidmouth Sheds)

ティッドマスにあるノース・ウェスタン鉄道の機関庫。

1925年にロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道とノース・ウェスタン鉄道が協定を結んだ際に、ヴィカーズタウン機関区の主要機関区の機能を引き継ぐ形で4線の機関庫が建てられた。

1952年に機関庫の大改修が実施され、4線の機関庫をそのままに、後ろに大きな四角の扇形車庫が建てられ、従来の機関庫は新しい機関庫の入り口となりました。

新しい機関庫は外にあった転車台が移動され、その転車台を中心に12戦の線路が敷設され、両端に入り口があります。

また2線の客車庫もこの時建てられたようである。

元々の機関庫の1線はディーゼル機関車の清掃設備が設置され、ここに入ろうとしたオールド・スタックアップが油で滑り、壁を壊したことがありました。


ヴィカーズタウン機関庫(Vicarstown Sheds)

ヴィカーズタウンにあるノース・ウェスタン鉄道の機関庫。

1915年にノース・ウェスタン鉄道の主要機関庫として6線の機関庫として建てられた。

1925年にロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道とノース・ウェスタン鉄道が協定を結んだ際に、ティッドマス機関区に主要機関区の機能を引き継がせた。

1928年に閉鎖されたが、代わりにカーフェリーに関わる機関車用の小さな機関庫が建てられた。


ウェルズワース機関庫(Wellsworth Sheds)

ウェルズワースにあるノース・ウェスタン鉄道の2線の機関庫。

1915年に建てられた。

操車場編集

クロスビー操車場(Crosby Yards)

クロスビーにあるノース・ウェスタン鉄道の小規模の操車場。

ダックが床屋に突っ込んだのは、この操車場内である。


ファーカー操車場(Ffarquhar Yard)

ファーカーにある小さな操車場。

アノファ採石場から運んできた石を切り分けたり研磨する小屋がある。

トーマスのタンクに入った魚を取り出したり、ディーゼルが貨車を脱線させた場所でもある。


ナップフォード操車場(Knapford Yards)

ナップフォードにあるノース・ウェスタン鉄道の小規模の操車場で、いくつかの側線があります。


ティッドマス操車場(Tidmouth Yards)

ティッドマスにあるノース・ウェスタン鉄道の大規模の操車場。

1925年にノース・ウェスタン鉄道の本部がティッドマスに来るとノース・ウェスタン鉄道の主力操車場になりました。

当初は青いタンク機関車が担当していたようだが、いつの間にかいなくなった。

後にパーシーが入れ替えを担当するが、対応しきれなくなったため、ダックに交代した。

1967年にダックアールズバーグ線の担当となると、専任する機関車はいなくなり、ジェームスドナルドダグラスが担当しているようです。


ヴィカーズタウン操車場(Vicarstown Yards)

ヴィカーズタウンにあるノース・ウェスタン鉄道の大規模の操車場。

以前はトーマスがここの入れ替えを担当していました。


ウェルズワース操車場(Wellsworth Yards)

ウェルズワースにある中規模の操車場。

ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道時代の1870年に開設された。

トーマスが貨車の暴走で入ったり、1924年から1925年の間に経験のためにトーマスが入れ替えの担当になったりした。

トーマスファーカー線に移籍すると、エドワードがこの操車場の入れ替えを担当することになります。

一時期、ディーゼルに追い出されたダックが働いていたことがあった。

その他編集

クロバンズ・ゲート工場(Crovan's Gate Works)

クロバンズ・ゲートにある修理工場。

1915年に開設され、1925年以降からはイギリス本土の蒸気機関車の衰退から蒸気機関車の修理全般を行える状態になりました。

1963年にはシェーン・ドゥーイニーが帰国した後、カルディー・フェル鉄道の機関車がこの修理工場で修理できるようになりました。

1976年にはジョックのボイラー、火室、シリンダー製造を行い、1996年にはスカーロイ鉄道の技術部がアイボ・ヒューの製造を行ったりしている。

ここでは工場のディーゼルが働いていますが、他にも別の機関車がいることが言及されています。

企業編集

交通関係の会社は【交通機関】を参照。

国防省関連の情報もここに記載する。

国防省(Ministry of Defence)

第二次世界大戦の頃、国防省は弾薬の貯蔵のためにワード・フェルの銅鉱脈が枯渇した古い銅鉱山を引き取りました。しかし、多くのスペースが必要だったため、1953年に国防省はスカーロイ・スレート採石場(Skarloey Slate Quarry)を引き取る交渉をし取得します。1960年よりスカーロイ・スレート採石場は売却され、その売却金はスカーロイ鉄道のループ線の費用に使われたのです。

現在スカーロイ・スレート採石場は強力な金網のフェンス・鍵付きの二重扉が設置されている。なお車両はカブトムシのような黒い電気機関車が使用されていると言われているが、作業の性質上この機関車は一度も目撃されておらず、この情報自体も根拠がないとされています。


AB・ロビン社(AB Rovin Ltd)


アールズデール・バラスト・アンド・グラナイト社(Arlesdale Ballast & Granite Company)

1967年に開業したキルデインに本社を置いている砂利や花崗岩を加工処理する会社。


ボルト・アンド・ナット・エンジニアリング(Bolt and Knutt Engineering Co.)


C・アンド・B理容室(C&B Barber)

クロスビーの操車場にある美容院。

ダックが突っ込んだのはここである。


クロバンズ・ゲート・マイニング社(Crovan's Gate Mining Company)

1806年には存在したクロバンズ・ゲートに本社を置く採掘会社。

ワード・フェルの銅鉱脈を所持していたが、1900年に銅鉱脈が枯渇し始め、スカーロイのスレートの採掘を手に出したものの、銅鉱脈が枯渇すると廃業が提案されていました。しかし、1909年にハンデル・ブラウン卿1世に管理していたスカーロイ鉄道ごと買収されて存続することになった。

1958年の時点ですでにC・G・スレート会社(C.G. Slate Company)に改名した可能性がある。


ファーカー採石場会社(Ffarquhar Quarry Company)

1924年に開設された採石会社である。

ファーカーから北にあるアノファ採石場で採石を行っている。

敷地には軌間1435mmの線路が引かれており、近くを走るファーカー線と接続している。


ライト・エンジニアリング社(Light Engineering Co.)


セント・ペドロックス乳業(St Pedroc's Dairy)

エルスブリッジにある乳業会社。

牛乳はファーカー駅から輸送され、輸送はトーマスパーシーデイジーが行っています。

ウィルバートは給水塔と間違って、牛乳を積載するタンク貨車に積み込むときに使う牛乳が出る配管から給水作業を行う失敗をしました。


ソドー・アルミニウム会社(Sodor Aluminium Company)

1926年に設立されたアルミニウム工場の会社。

敷地から軌間1435mmの線路が引かれており、ピール・ゴッドレッド線と接続している。

アルミニウム工場の拡張工事のため、ファルコンスチュアートを購入して使用した。


ソドー陶土会社(Sodor China Clay Company)

1948年に設立した陶土を掘る会社。

クレイ・ピッツで掘った陶土をブレンダム港まで運ぶ。


ピール・ゴッドレッド電力会社(Peel Godred Power Company)

1923年に開設された電力会社。

イギリス・アルミニウム会社(British Aluminium Company)の子会社で、コーロイ湖(Corloey)、ダビン・モアー湖(Dubbyn Moar)、ロイ・マッシャン湖(Loey Machan)を利用した水力発電で電気を作っている。

工事の資材輸送にミッド・ソドー鉄道を検討したが、規格が小さいことからノース・ウェスタン鉄道と資金を半分ずつ負担することでピール・ゴッドレッド線を敷設している。


T.L.B.(T.L.B.)

学校編集

ブレンダム学校(Brendam School)

1873年に開校したブレンダムの丘の上にある女子校である。

1987年には200名の女子生徒が通学していた。


クロンク修道院学校(Cronk Abbey School)

クロンク修道院にある公立の男子校で、1540年のクロンク修道院の解散で修道院の所有者となったジェフリー・レガビー卿によって設立された文法学校である。

1987年には、約400人の男子生徒が在籍していました。

なお、アビー駅は1923年にアルバート・レガビー卿が家族と学校のために設立した駅である。

交通機関編集

ソドー島の交通機関の主体を鉄道が担っている。

陸上交通は鉄道の他にも自動車による交通もある。

ソドー島と外部を接続しているのは、イギリス本土を結ぶ鉄道と道路、アイルランドの汽船がある。

なお、ドライオーに飛行場が存在するが、ソドー沿岸警備隊が運営している飛行場である。

鉄道編集

スカーロイ鉄道(Skarloey Railway)

1865年に開通した軌間686mmの鉄道でソドー島に現存する鉄道では最古の鉄道になる。

クロバンズ・ゲート駅からスカーロイ駅を結んでいる。


カルディー・フェル鉄道(Culdee Fell Railway)

1900年に開通した軌間800mmの登山鉄道。

カーク・マッシャン駅からソドー島の最高峰の『』カルディー・フェルを登ってカルディー・フェル・サミット駅を結ぶ鉄道である。

山を登るため、線路の中央にラックレールが敷かれており、車両に取り付けられている歯車を嚙合わせることで登るシステムを採用している。


ノース・ウェスタン鉄道(North Western Railway)

1914年、『ソドー・アンド・メインランド鉄道』『ティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ軽便鉄道』『ウェルズワーズ・アンド・サドリー鉄道』を吸収合併したことで誕生した軌間1435mmの鉄道である。

1948年1月1日に国有化され、1997年までイギリス国鉄の北西部地域の管轄となりました。

ソドー島で一番規模が大きい鉄道でもある。


ソドー陶土会社の専用線(China Clay Railway)

ソドー陶土会社が所有する専用線である。


アールズデール鉄道(Arlesdale Railway)

1967年開通した軌間381mmの鉄道である。

アールズバーグ・ウェスト駅からアールズデール駅を結んでいるのだが、この路線は廃線になったミッド・ソドー鉄道の路線の一部に敷き直している。

廃坑からバラストに使う砂利を運ぶ目的で開業したが、観光客輸送も行っている。


スカーロイ・ケーブルカー鉄道(Skarloey Funicular Railway)

1985年9月に開通したケーブルカーによる鉄道である。

スカーロイ駅からスカーロイ駅近くの村を結んでいます。

廃止された鉄道編集

ウォード・フェル=バラッドウェイル路面軌道(Ward Fell-Balladwail Plateway)

1806年に開通した古い規格の鉄道で、ソドー島で最初の鉄道でした。

クロス=ニー=クーンからバラッドウェル駅を結んでいた。

1863年に新しいルートとしてスカーロイ鉄道が開業することになり、スカーロイ鉄道が開業した1865年に廃止となった。


クロンク・アンド・ハーウィック鉄道(Cronk and Harwick Railway)

1850年に開通した石材を輸送する馬車鉄道である。

ハーウィックからクレッグウィルを結ぶ路線とハーウィックからバラスワインを結んだと思わしき路線がありました。

1943年頃には路線が廃止されていたと思われるが、石切り場自体は1950年代まで稼働していたとされる。


ミッド・ソドー鉄道(Mid Sodor Railway)

1880年10月に開通した軌間686mmの鉄道である。

鉱山の輸送を行っていたアールズデール路面鉄道をアップグレードさせ、ピール・ゴッドレッドを接続する鉄道として計画された。

最盛期にはアールズバーグ・ウェスト駅からキング・オリーズ・ブリッジ駅を結んでいた。

交通量の減少から1947年1月に廃止された。

吸収合併で消滅した鉄道編集

アールズデール路面鉄道(Arlesdale Tramway)

ミッド・ソドー鉄道が開通する20年近く前(1966年以前)に開通した軌間686mmの鉄道である。

アールズバーグ港に鉱物を輸送する鉄道で、当初は馬車鉄道だったもののスカーロイ鉄道を見習い、1866年時点で不特定多数の蒸気機関車を所持していた。

初期は旅客輸送は無かったが、自己責任であれば無料で乗ることが出来た。ただし持ち物の運搬は料金がかかった。

しかし、ピール・ゴッドレッドの人々がピール・ゴッドレッドの町に接続することを望んだため、旅客輸送ができるよう改良され、1874年から旅客運用が開始された。

1880年10月、新線の工事と検査が完了したためミッド・ソドー鉄道の「バレー・セクション(谷の区間)」の一部となった。


ソドー・アンド・メインランド鉄道(Sodor and Mainland Railway)

1853年に開通した軌間1435mmの鉄道である。

カーク・ローナン駅からバラフー駅を結んでいたが、路線拡張を試みたが失敗する。

経営状況が悪化したため、1901年に破産したが、会社は存続していた。1914年にウェルズワース・アンド・サドリー鉄道ティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道と合併した。

路線は、カーク・ローナン線本線ケルスソープ・ロード駅からクロバンズ・ゲート駅の区間、ノランビー線クロバンズ・ゲート駅からバラフー駅の区間となっている。


ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道(Wellsworth and Suddery Railway)

1870年に開通した軌間1435mmの鉄道である。

1912年にティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道と統合する形でティッドマス・ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道となった。

路線は現在、本線クロスビー駅からウェルズワース駅の区間とブレンダム線ウェルズワース駅からブレンダム駅の区間となっている。


ティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道(Tidmouth, Knapford and Elsbridge Railway)

1885年に開通した軌間1435mmの鉄道である。当初の名称はナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道(Knapford and Elsbridge Railway)だったが、ティッドマス駅に延伸したため1910年7月に名称がティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道になった。

1912年にウェルズワース・アンド・サドリー鉄道と統合する形でティッドマス・ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道となった。

路線は現在、本線ティッドマス駅からナップフォード駅の区間とファーカー線ナップフォード駅からエルスブリッジ駅の区間となっている。


ティッドマス・ウェルズワース・アンド・サドリー鉄道(Tidmouth, Wellsworth and Suddery Railway)

1912年にウェルズワース・アンド・サドリー鉄道ティッドマス・ナップフォード・アンド・エルスブリッジ鉄道と統合する形で誕生した。

1914年にはソドー・アンド・メインランド鉄道を吸収してノース・ウェスタン鉄道となった。

路線は現在、本線ティッドマス駅からウェルズワース駅の区間、ブレンダム線ウェルズワース駅からブレンダム駅の区間、ファーカー線ナップフォード駅からエルスブリッジ駅の区間となっている。

自動車編集

ソドー・ロードウェイズ(Sodor Roadways Ltd. )

ソドー島でバスや貨物自動車での運送を行っている会社である。

ファーカー駅には商品を保管するための倉庫があり、また駅前広場にはバーティーなどのバスがよく通り、すべての列車と接続が可能となっている。

鉄道が通っていない区間も運行しているが、その影響もあってノース・ウェスタン鉄道の路線延長の計画を2度も潰す主要因となったこともある。

きかんしゃトーマスとの違い編集

さて、汽車のえほんの時点でかなりの情報量がある。

ではきかんしゃトーマスではどうなのだろうか?


簡潔に言えば、設定が変更されたり、無視があったりとかなり変更点が多い。

また、シリーズが進むにつれて基本的にその傾向が強くなっている。


例えば、原作では存在しなかった路線や駅の登場(ハーウィック線やウルフステッド線と言った路線、ロアー・ティッドマス駅やメイスウェート駅と言った駅がその一例である)や原作で登場した路線や施設の変更・削除(ティッドマス駅の機能がナップフォード駅の機能にうつされた、ブレンダム港が最も優れた海港になっている、カーク・ローナン港やカルディー・フェル鉄道などが未登場など)がなされている。

このようになった経緯は、最初は模型での再現の限界や飽きさせない映像作りのためだったが、第5シリーズを境に傾向が大きく変わり、以降製作すればするほど、オリジナルの物語のための必要なオリジナルの施設が増産されていった。

ただし、アーク・プロダクションが製作した時は、模型では再現困難だったアールズデール鉄道とその周辺設備が登場したりと、第5シリーズ以降で見れば珍しい原作に準拠した製作が行われた。

外部リンク編集

Wikipedia「ソドー島」

関連タグ編集

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ソドー島

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