概要
チャールズ・トップハム・ハット卿2世は『汽車のえほん』の11巻から26巻までに登場したノース・ウェスタン鉄道の局長である。
トップハム・ハット卿は親、スティーブン・トップハム・ハット卿3世は子である。
作中のチャールズ・トップハム・ハット卿2世
データ
所属 | ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道クルー工場 → イギリス陸軍王立工兵連隊 → ノース・ウェスタン鉄道 |
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誕生年 | 1914年 |
逝去年 | 1997年 |
性別 | 男性 |
初登場 | 第11巻ちびっこ機関車パーシー |
親 | トップハム・ハット卿 ジェーン・ハット |
配偶者 | アマンダ・クロアリ |
ご子息 | スティーブン・トップハム・ハット卿3世 ブリジット・ハット |
他親族 | ハンデル・ブラウン卿1世(伯父) バーバラ・ジェーン・レガビー(姉) ハンデル・ブラウン卿2世(従兄弟) リチャード・トップハム・ハット(孫) チャールズ・ニコラス・ハット(孫) エミリー・ヘレン・ハット(孫) |
来歴
1914年、トップハム・ハット卿とジェーン・ハットの二人目の子供として誕生した。
クロンクの学校で教育を受けました。
1932年、工学部の生徒として、クルーの工場にいるウィリアム・アーサー・スタニエ(William A. Stanier)(ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道で蒸気機関車の設計を複数行った人物でトップハム・ハット卿とも親交がある)の下につくことになります。
1935年、フライング・キッパーの事故の際、事故で損傷したヘンリーの改造に同席する。
1939年、イギリス陸軍の王立工兵連隊として第二次世界大戦に参戦(階級は大佐)した。
1940年、アマンダ・クロアリと結婚する。
1941年、スティーブン・トップハム・ハットが生まれる。
1943年、ブリジット・ハットが生まれる
1945年、第二次世界大戦の終戦に伴う兵役が終わると、しばらくは海外で過ごした。
1952年、ソドー島に戻り、クロバンズ・ゲートの修理工場の機械技師長と父であるトップハム・ハット卿の副総支配人を務める。
1954年、トップハム・ハット卿が引退したため、局長の任を引き継ぐことになる。
1950年代前半、ティッドマス港のかなりの混雑が発生し、それに対処すべくナップフォード港の改修を実施させ、1957年に改修を完了させる。
1956年、父であるトップハム・ハット卿から準男爵位(Sir)を引き継ぐ。
1964年、ティッドマス港とナップフォード港の役割の補助を目的にアールズバーグ港に繋がるアールズバーグ線を再開を決定させる。またそれに伴う調査の途中で廃線になったミッド・ソドー鉄道のバラストがあまり雑草を生やさないと判明したことで、それと同じバラストを使用するためにそれを運搬するアールズデール鉄道をノース・ウェスタン鉄道・カルディー・フェル鉄道・スカーロイ鉄道の共同出資で開通させることを協議して決定させます。
1984年、息子のスティーブン・トップハム・ハットに局長を任せて、引退する。
1997年、この世を去る。
外観・特徴
- 頭の髪は剥げているが、後頭部に毛が残っている。毛の色は登場初期は黒だが、26巻までに白くなっている。
- かなり太っている。
- 黒いシルクハットや黒い上着を良く身に着けている。
- 胸に赤いバラを挿している。
関連タグ
ソドー島の局長・重役等