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概要編集

標高8126m、世界第9位の高峰。

ヒマラヤ山脈の山だが、エベレストなどネパールエリアにある他の8000m峰から西に1千km以上も離れたパキスタン領内(インドに言わせればパキスタンの実効支配地域内)にひとつだけポツンと存在するぼっち山である(K2などカラコルム山脈の山々の方が距離的には近い)。

山名の意味は現地語で「の山」。これは前述したように周囲に他の高山がなく、雪と氷と岩肌だらけのこの山だけが目立ってそう見える、ことが由来とされている。


1895年の英国隊遠征(記録に残るヒマラヤ8000m峰初の登山の試み)以降、多くの登山隊による挑戦を次々と撥ね退け、初登頂を許すまでに計31人もの人命を呑み込んだ。このことから「魔の山」「人喰い山」という物騒な異名が定着した。


初登頂は1953年7月3日、西ドイツ(当時)隊に参加していたオーストリア人登山家ヘルマン・ブールによって達成された。初登頂が単独登頂だった唯一の8000m峰である。

頂上に到達したのが一人だけで他に証人もおらず、「あの魔の山が単独で登頂されるなど信じられない」と疑問の声も多かったのだが、ブールはこんなこともあろうかと山頂で証拠となる写真(頂上に突き刺したピッケルと、その背後に周囲の山々が望める構図)を撮っており、それがドイツ地理学協会によって鑑定され登頂が証明された、という逸話がある。


ディアミール壁とルパール壁、というヒマラヤ屈指の大岩壁を持ち、その他の登山ルートもやたら距離が長かったり、途中で6000~7000m級の支峰を幾つも越えねばならなかったりと、その登頂難易度は今日でも高いとされている。気象条件も変化しやすく荒れやすい。

また2013年には外国人登山隊を標的にしたテロ事件が起きるなど登山以前の問題も浮上しており、その物騒さは21世紀の今になっても変わってはいない。


余談編集

前述した初登頂時、ブールは写真でも登頂が証明されなかった場合を考えてか、持参したピッケルを山頂に到達した証拠として置き残してきた。それが1999年になって日本人登山家により発見され、ブールの未亡人の手に返されている(ブール自身はナンガ登頂の4年後、カラコルムのチョゴリザ峰にて遭難行方不明になった)。



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