概要
ニュース映画(ニュースえいが)は、時事問題などの情報の伝達及び解説を内容とする短編映画・記録映画の一種。家庭にテレビが普及するころまで活発に制作された。
ニュース映画の歴史
19世紀末にフランスのリュミエール映画社が撮影技師を世界各国に派遣しロシア皇帝の戴冠式の様子などをフィルムに収めて上映したのが原点とされる。
アメリカでも同様にバイオグラフ社が社会の様々な出来事をフィルムに収め上映したが、いずれも定期的に制作・上映されたものではなく、実際の報道映像ではなく再現形式になっているものも多かった。
定期的に制作・上映される形式のニュース映画は1908年にフランスで上映された『パテ=シュナル』が原点とされる。
その後第一次世界大戦の勃発に伴い従軍カメラマンが戦地で収めた戦況報告フィルムを上映するようになり大きな反響を得た。
戦後にはニュース映画専門の映画館も登場し、通常の劇映画の前に短編映画と共に上映されるようにもなった。
この際アメリカでは複数のニュース映画を上映し、そのフィルムの交換時間の穴埋めとして短編アニメ映画が上映されるようになった。『トムとジェリー』はこの短編アニメ映画を発祥とする。
トーキーの時代になるとニュース映画も同時録音方式が採用されるようになった。
1935年からアメリカで上映された『マーチオブタイム』はひとつの主題に多くの時間を割く手法が取られ、「スクリーン・ジャーナリズム」と評されるようになった。
第二次世界大戦時にはプロパガンダ的な要素も取り入れられ、ドイツの『ドイツ週刊ニュース』のように映画館での上映が義務付けられたこともある。
第二次世界大戦終結後はテレビの普及によりニュース映画は衰退したが、1960年代末の「ニューズリール運動」などに影響を与えた。
日本では1930年に松竹が『松竹ニュース』として上映したのが始まりとされるが、1914年には東京キネマ協会が『東京シネマ画報』をスタートしたとする説もある。
ニュース映画は欧米では映画会社が中心となって製作されており、日本でも黎明期は同様に映画会社が製作していたが、1934年頃からトーキーの発達に伴い新聞社が中心となって製作するようになった。
特に有名な『日本ニュース』は1940年6月に第1号が封切られたということもあって皇室・陸海軍関係のニュースが中心となり、第1号の内容も「天皇陛下(昭和天皇)関西御巡幸」であった。皇室関係のニュースでは画面右端に「脱帽」の文字が入れられ観客に脱帽を求めたとされる。
太平洋戦争勃発に伴い軍により検閲が行われるようになり、「陸軍省/海軍省検閲済」という字幕も表示されるようになった。
戦後テレビ放送が始まるようになると新聞社はテレビ局向けにもニュース映画を制作するようになったが、1960年代にはテレビの普及と同報型ニュースの発達に伴い衰退していった。
それでも『日本ニュース』は一時期朝日新聞社と提携しての『朝日ニュース』を経て1992年まで制作が続けられ、読売新聞社の『讀賣国際ニュース』は1997年まで制作された。
これらのニュース映画は各新聞社が現在も権利を保有しており、一部はアーカイブ形式で公開されている。『日本ニュース』は1955年までのものはNHK、それ以降のものは『朝日ニュース』を含めて東宝ステラが保有している。