1883年5月26日 - 1932年7月2日
経歴
1883年5月26日生まれ、ドイツ・ミュールハイム出身。極貧で児童虐待も日常的に行われていた家庭環境で育ったため、結果的に彼が過度のサディストとなり犯罪者としての道へ進む事になる。
9歳の頃に、友人を筏から突き落として溺れさせたのが最初の殺人とされる。13歳の頃には羊や豚を相手に獣姦するようになり、殺すことによる快楽を覚えるようになった。青年期には鋳物職人へ弟子入りするも仕事に身が入らず、コソ泥などの軽犯罪を行っては度々逮捕されていた。
1913年、30歳になった彼が窃盗のために侵入した商店で、就寝中だった14歳の少女を強姦後に絞殺。犯行後ほどなく別件の窃盗容疑で逮捕され、8年間刑務所にいた。1921年に刑務所を出所した後結婚。
快楽を抑えられなくなった彼は1929年、(2月8日に8歳の少女を殺害したのをはじめ)「デュッセルドルフの吸血鬼」と恐れられた一連の連続殺人事件を起こした。翌1930年、「自分がデュッセルドルフの吸血鬼だ」と今まで行った犯罪約80件を告白し、今まで妻を欺いたことに対する償いとして、警察へ通報して自分に掛けられた高額の褒賞金を受け取り老後の蓄えにするように促した。5月24日、妻の通報を受けた警察に逮捕。
9件の殺人と7件の殺人未遂の罪で起訴され、1932年7月2日にギロチンを用いた死刑が執行された。彼の最後の言葉は「私に残された最後の望みは、自分の首が切り落とされ、血飛沫を噴き出す音をこの耳で聴くことです」。ああ恐ろし。
ペーター・キュルテンが出てくる作品
『ペーター・キュルテンの記録』:手塚治虫の短編漫画。
『M』:フリッツ・ラングの映画のモデル。