生涯
1595年4月6日、ムガル帝国の貴族アーサフ・ハーンの娘として生まれる(本名:アルジュマンド・バーヌー・ベーグム)。
彼女の祖父はサファヴィー朝からの亡命貴族であったミールザー・ギヤース・ベグ(尊称イティマード・ウッダウラ)という人物で、その息子アーサフ・ハーンが彼女の父である。ギヤース・ベグにはミフルンニサー・ベーグムという娘がおり、これが第4代皇帝ジャハーンギールの寵妃ヌール・ジャハーンとなった。ムムターズ・マハルはヌール・ジャハーンの姪にあたる。
1612年、ジャハーンギールの皇子フッラム(のちのシャー・ジャハーン)と結婚する。
「ムムターズ・マハル」はペルシア語で「宮廷の選ばれし者」を意味する称号で、ジャハーンギールから授けられた。
夫に深く寵愛され、14人の子女をもうける。うち、成年まで育ったのは男子4人と女子3人であり、この4人の男子が長男ダーラー・シコー以下、シャー・シュジャー、アウラングゼーブ、ムラード・バフシュである。
夫が父帝ジャハーンギールや継母ヌール・ジャハーンと対立し、各地への転戦や逃避行中でも、これに付き従い苦楽をともにしたと伝えられている。
1631年6月17日、シャー・ジャハーンのデカン遠征中、遠征先で第14子ガウハーラーラー・ベーグムを生んだあと38歳で産褥死した。シャー・ジャハーンはその死を大いに悲しみ、彼女の廟としてタージ・マハルを建立。
後にアウラングゼーブと対立したシャー・ジャハーンはアーグラ城塞に幽閉され、毎日タージ・マハルを眺めて過ごし、死後はムムターズ・マハルの隣に葬られた。