概要
2023年6月23 - 25日に起きた反乱事件。
ロシアの民間軍事企業「ワグネル・グループ(以下ワグネル)」トップである実業家・エフゲニー・プリゴジン氏が、その部下を率いて起こした反乱事件。
今現在も謎や不明な点が多く、目下この事件がどういう影響を国際情勢に与えるかは分からないが、少なくともロシア国内を始めとして、周辺諸国や関連地域に大きな影響を与えるであろうと目されている。
日本では「プリゴジンの乱(プリゴジンの反乱)」「ワグネルの乱」とも呼ばれた他、現代の御所巻き(室町幕府時代、諸大名が将軍御所を軍勢で取り囲み、幕政への要求や異議申し立てを行った行為)と評されることもある。
エフゲニー・プリゴジンとワグネルについて
まず、ワグネルのトップであるエフゲニー・プリゴジンについて説明を行う。
プリゴジンは1961年、ソビエト連邦時代のロシアの大都市・レニングラード(現:サンクトペテルブルク)に生まれた。陸上競技の全寮制学校に通ってここを1977年に卒業するも、1979年に窃盗罪で執行猶予付き有罪判決を受ける。1981年には強盗・詐欺・売春の罪で懲役12年の有罪判決を受け、9年間刑務所で過ごすこととなった。
出所後の1990年、プリゴジンは父とホットドック販売チェーンを始めて成功すると、次いで寄宿学校時代の同級生が設立した食料品チェーン共同経営者となり、さらにはカジノ運営会社CEOにも就任した(一説には裏カジノであったといわれる)。その後、1997年に水上レストランをペテルブルクに開店すると瞬く間に成功を収め、2001年には当時ロシア大統領となったばかりのウラジーミル・プーチンがここでジャック・シラク(フランス大統領)とここで食事をするなど、彼との交友関係を築いた。
このことから「プーチンのシェフ」の異名で呼ばれる様になったプリゴジンは外食産業に加え、ケータリング事業やクリーニング業、建設業にも進出。政府と学食提供事業で巨額の契約を結ぶなど成功を収め、オリガルヒの仲間入りを果たした。そんな彼が元ロシア軍特殊部隊員であるドミトリー・ウトキンなどと共に創設したのが、民間軍事会社「ワグネル」である。
ワグネルは2014年のドンバス戦争で初注目され、以後シリアなどの中近東や北アフリカなどにおいて活動していることが確認されている。現地では親ロシア派勢力に与して戦闘に参加していることが多く、ロシアの支援の下、ロシアが表向き介入しない紛争にロシアの尖兵として介入する役割を果たしているといわれている。
当然、2022年に始まったウクライナ侵攻にも参加し、激戦地であるバフムトにも投入されていた。
事件の経緯と推移
さて、プリゴジン氏はウクライナ侵攻以降、ロシア政府やロシア軍に対して批判を繰返しており、プーチンを始めとする首脳部とは軋轢があった。
というのもワグネルはウクライナ侵攻において激戦地域に投入されたにもかかわらず、ロシア正規軍からの支援もなく、部隊が切り捨てられたり、時にロシア軍から攻撃されるなどの被害を受けたためで、プリゴジンは苛烈な批判をSNSを通じて発信していた。
ここから、ロシア軍や国内の首脳部とプリゴジンとの対立は日に日に増していたが、一方でプリゴジン自身はプーチンに対する批判や非難はしていなかった。
そんな中、2023年6月23日にプリゴジンはウクライナ侵攻前線地域であるロストフ州で武装蜂起を行う。プリゴジンはロシア国防相・ショイグとゲラシモフへの批判を行いつつ、ロストフ州「ロストフ・ナ・ドヌ」を占拠、ロシア南部軍管区司令部を占拠する。
これを受け、プーチンはこの行動を「反乱」と呼び激しく非難すると、プリゴジン自身はこれを「正義の行進」と呼び、首都・モスクワに向けてワグネル部隊北上を開始。
一方で、これを受けてプーチンは一時所在不明となり(政府専用機の動きからサンクトペテルブルクに向かったことが有力視される)、残されたロシア軍や警察組織がプリゴジンの軍勢に対してそれぞれ対処を迫られることとなる。
北上を開始したワグネルは、ほぼ誰にも阻害されることなくモスクワへの進軍を続け、その間にロシア航空機撃墜など、武力衝突を行いながらもモスクワへ向かう。
しかし、モスクワを目前にしてプリゴジンは急遽進軍を止めると、ベラルーシの大統領であるルカシェンコからの仲介を受け、そのままロシア軍と和解。
プーチンから恩赦を獲得、ワグネルの利権はそのままに、ショイグやゲラシモフの更迭を約束され、自身はベラルーシへ亡命することで、事件は取り敢えず決着を見たが…
事件の影響
今回の事件について、未だに確定した情報はほぼなく、良く分からない。としかいいようがない。
しかし、今回の事件が与える影響の大きさは甚大であろうという見方は、世界的に共通している。
プリゴジン氏についていうと、ワグネルの乱が終息して以降、1度消息不明となったが、6月27日にベラルーシに到着した。
一方、ロシア政府は彼に1度は恩赦を出したものの、その後これを撤回、プリゴジンを反乱罪で起訴する方向に持って行った。しかし、結局は不起訴とすることで事実上恩赦を与えた形となった。
プリゴジンが更迭を求めたショイグとゲラシモフの身柄も現在のところ不明であり、一度は両名共に現在の地位を辞任する事になったとされるが、その点に関しても不明。
ショイグに関しては汚職疑惑を理由にそのまま辞任するとも報道されたが、後に正式に国防相への留任が決定された模様。一方のゲラシモフに関しては全く不明である。
プーチンも現在の消息地は不明。
元々、サンクトペテルブルクに行事で出席予定であり、今回のワグネルの乱はそれにたまたま重なっただけともいわれているが、今回の事件においてサンクトペテルブルク行を拒否せず、モスクワを離れたことは事実である。
これは、ウクライナ侵攻においてキーウへの攻撃を受けながらも逃げなかったゼレンスキーとは好対照ともいえる状況であり、世界的な評価としてはかなりマイナスな方向に働いているのは事実である。
ウクライナ侵攻への影響に関して言うと、この事件が前線に与えた影響はないとされる。
一方で、今回事件が起きたロストフやヴォロネジは、ウクライナ侵攻を行うロシア軍の重要な補給地点であり、今後この地域に何かあれば、著しくロシア軍に不利な状況となるという見方はされている。
そして肝心なロシア国民・ロシア兵に関して言うと、かなり不透明な部分が大きい。
プリゴジンの下で武装蜂起に参加したワグネル兵士からは、今回の顛末に関しては不満が大きいという声がある。また、ワグネルに占拠された地域は、ワグネルを快く歓迎した国民も多かった。
そしてワグネルが暗躍してきたアフリカ諸国情勢にも影響しそうである。ワグネルは露軍の「別動隊」としてアフリカ諸国の内戦に介入するなどして来たが、今後はプーチン政権の後ろ盾を失い、活動が難しくなる可能性がある。その半面、ワグネルは各国で地下資源利権を有しており、独自の資金源で活動を続けられるとの見方もある(関連記事(2023/6/29・産経新聞))。
それが今後、どの様な影響与えるのかは、かなり未知数である。
…そう、未知数であった、「その時」までは。
ワグネルの末路
8月23日、全世界に衝撃的なニュースが飛び交う。
プリゴジン氏らワグネル主要幹部が乗っていたと目されるジェット機が墜落、乗員乗客が全員死亡したと報道がされた。
それ以前から、ワグネル構成員のロシア軍再契約や引き抜きが行われ、既に解体が始まっていると噂された矢先である。
当然ながらロシア側は不幸の事故としているが、その直後から軍での関係者更迭やワグネルのロシア軍編入が急速に進んでおり、西側はプーチンら政権側による暗殺(粛清)と見なしている。
最終的にはワグネルグループの人員はプリゴジン氏の息子を司令官としたロシア軍の1個師団として再編され、PMCとしての歴史に幕を終えたと見られる。
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