概要
寡頭制を意味するギリシャ語のὀλιγάρχηςが由来である。
ロシア連邦やウクライナなどの様な旧ソ連系の国々の資本主義化の過程で形成された政治的影響力を有する新興財閥を纏めてオリガルヒと呼ぶ。
ロシア連邦のオリガルヒ
ロシアにおけるオリガルヒは、ソ連時代の社会主義的政治・経済体制から、資本主義体制に移行する過程で形成されたといわれている。ソ連時代には既に企業の集団化が推進されており、1973年にソ連共産党中央委員会及びソ連閣僚会議によって「工業管理の一層の改善に関する若干の措置」により「企業合同」と「部門合同」の設立・制度が決定された。また、ゴルバチョフ時代にペレストロイカの一環として開始された協同組合及び賃貸借契約が普及し、経済活動が拡大された。
上記のようなことで生まれたオリガルヒは、連邦から地方に至る政治家及び官僚との癒着によってその存在を拡大させた。また、この過程で政治家や官僚に影響力を行使するためにテレビや新聞を中心とするメディア支配に走った。しかし、エリツィン政権内の急進改革派によるショック療法は、年金生活者を中心とする低所得者層に打撃を与えることとなる。
モスクワ騒乱事件における大統領と議会の対立、その後の連邦議会選挙における改革派の後退と極右のロシア自由民主党、次いで極左のロシア共産党の台頭である。特に共産党の政権奪取を恐れた新興財閥は、再選を目論むエリツィン大統領と利害が一致し、1996年の大統領選挙において、エリツィンを支持し、再選に大きな貢献をした。特にオリガルヒは支配下の各メディアを使ってエリツィン支持の世論形成に大きな役割を果たすこととなる。
大統領選挙後、新興財閥は影響力を強め、ポターニンは第一副首相、ボリス・ベレゾフスキー氏は、安全保障会議副書記やCIS執行書記などの政府高官の位置をほしいままにしたほどである。特にベレゾフスキーは、エリツィン選対責任者で、第一副首相、大統領府長官、蔵相となったアナトリー・チュバイスやタチアナ・ディアチェンコと強い結びつきを持った。彼らエリツィンを中心とした側近集団は、後にセミヤーという一大派閥を形成するに至る。
こうした政治とオリガルヒの癒着は、かつてない腐敗を生み、大多数の国民は、オリガルヒに対して批判的な世論を形成していった。また、エネルギーや資源関連の産業は、構造上、産業分野における独占的傾向が強く、競争原理が働きにくい状況から経営の不健全性、不透明性が問題となっていった。特に、オリガルヒの脱税は政府との間に深刻な亀裂を生じ、事実、エリツィンはガスプロム社長のレム・ヴャヒレフを呼び詰問する様子をテレビで放送させたほどであった。
1998年8月のロシア金融危機によって、多くのオリガルヒが経営に打撃を受けた。破綻した企業には、SBSアグロ、インコム銀行、ロシースキー・クレジット銀行の各グループがある。ところが、ウラジミール・プーチンが大統領に就任すると、政権とオリガルヒの蜜月状態に、変化が生じた。プーチンは、テレビを始めとするマス・メディアを保有し政治的影響力を行使して政権と対立関係にあるオリガルヒに対しては抑制策を取った。2000年6月13日、ロシア検察当局は、ウラジーミル・グシンスキーを詐欺などの容疑で逮捕した。これを手始めとして、7月11日には、ガスプロムに対しては、財務関係資料提出を要求。ルクオイルに対しては、脱税容疑で捜査を開始。インターロスに対しては、ノリリスク・ニッケル株取得の際の違法性を指摘するなど、矢継ぎ早に捜査を展開していった。グシンスキーやボリス・ベレゾフスキーらは、こうして壊滅的打撃を受けた。しかし、一方で政権とオリガルヒは、ボリス・ネムツォフの仲介で円卓会議を開き、席上、プーチンは、エリツィン時代のような財閥の政治介入は容認しないことを告げた。こうしてオリガルヒの多くは、本来の業務である実業に専心することとなった。
ただし、2003年プーチン政権は、石油会社ユコスのミハイル・ホドルコフスキー社長に対し圧力を強めた。これは、ホドルコフスキーが、政権批判を強め、野党に対して資金援助を増強していったことと、政権が望まないユコスを中心とする石油資本の合併を企図したためである。プーチン大統領を始めとする政権内のシロヴィキは、政治的脅威になりうるオリガルヒに対しては、これを容赦なく抑圧する方針を掲げる一方で、政権に忠誠を誓ったものとは関係を深めており、オリガルヒの政治的影響力は、シロヴィキと相互補完的な形でいまだに残っている。
2007年から始まった世界金融危機で、多くのオリガルヒが没落の危機に瀕した。プーチン政権は、政府の資金でどのオリガルヒを救済するかを選定。選定された財閥は生き残ることが出来るが、選定されなければ容赦なく没落するという過酷な状況下に置かれた。しかし、2010年に入って石油や株式市況の改善、そして何より政府の富豪救済策もあって財閥たちは息を吹き返した。これは専門家の予想を裏切った形となった。ただし、財閥が政府に従順であることが重要なのには変わりはない。
2014年クリミア危機でオリガルヒのアルカディ・ローテンベルクらプーチンに近しい親友や側近が経済制裁を受けた際にはローテンベルク法を通して補償を行い、またしても息を吹き返した。キリル・シャマロフなどプーチンの親族たちが相次いで富豪化するなど政商が実権を取り戻しつつある。2018年4月にアメリカのドナルド・トランプ大統領は「混乱や憎しみの種を撒く勢力」としてプーチンに近しいオリガルヒなどに対する制裁を発表した。
ウクライナのオリガルヒ
ウクライナでもソ連崩壊以降、いくつかのオリガルヒが誕生し、2019年現在においても、ウクライナの政治・軍事・経済に強大な影響力を持っており、不正や腐敗を招いている。親露派のオリガルヒとしては元大統領のヴィクトル・ヤヌコーヴィチが有名であり、一大グループを形成していたものの、2014年の政変後に資産が没収されるなど、影響力を失ったとされる。また、元首相で親欧米派のユーリヤ・ティモシェンコもオリガルヒの一人であり、1995年から1997年まで、ウクライナ統一エネルギーシステムの社長を務めていた。1996年には、ロシアからの天然ガスの主要輸入業者になり「ガスの女王」と呼ばれた他、海賊版ビデオ商品の密輸などの違法な収益で多額の収入を得たとされる。
2014年現在で、ウクライナで最大の富豪はタタール人のリナト・アフメトフで東ウクライナ最大の影響力を持ち、もとはヴィクトル・ヤヌコーヴィチと関係が深かった。しかし、2014年のウクライナ政変後は、その関係は不透明となっている。第二番目の富豪はイスラエル国籍も持つユダヤ人のイホル・コロモイスキーで、アメリカやイギリス、イスラエルといった西側諸国と接点が多く、親欧米派オリガルヒの筆頭格である。また、今回のウクライナ大統領選挙においては、かつて俳優だったヴォロディミール・ゼレンスキーを支援していた。
前大統領のペトロ・ポロシェンコもまた国内有数の大富豪で、ウクライナの大手製菓のロシェンを経営して巨万の富を得たため、「チョコレート王」というあだ名まで付いている。
その他、レオニード・クチマ元大統領の娘婿のヴィクトル・ピンチュクやパーヴェル・ラザレンコなどのオリガルヒがいる。
ウクライナには依然として、オリガルヒに資金が流れる仕組みが根強く残っており、国内経済・政治の停滞の大きな要因となっている。また、それぞれロシアやアメリカ合衆国、イスラエル、イギリスなどの西側諸国とつながりが深く、資金集めを焦点にして、個々の政治的立場に大きく影響している。
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