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経歴編集

1971年7月23日生まれ。福岡県出身。

福岡県内でも屈指の進学校である福岡高校に通っていた。高校在学中から漫画家を目指し、卒業後は有名出版社が近い東京の大学への進学を希望していたが、親から「家を出るなら九州大学より上の国立大学でないとダメだ」と言われたため、前期は東京工業大学、後期は一橋大学商学部を受験した。

受験のため上京したが、大学入試の前日まで持ち込み原稿を持参し出版社巡りを行っていた。最後に行った講談社では「まずは受験をしっかりやれ」と担当者から言われたという。結果として、後期で受けた一橋大学に合格した。


大学ではサッカー部の主将に一目惚れしたことからマネージャーとなり、恋愛に夢中になったことで漫画を描くのもおろそかになっていた。また、同じゼミに既にプロの漫画家として活躍していた黒田硫黄がおり、彼との画力の差に衝撃を受け、一時は漫画家になることを諦めていた。

大学卒業を控え就活を始めるも失敗(山一證券の最終面接まで行ったが、「入社を希望した理由は?」と聞かれ「歯医者が近いから」と答えたため落とされた、というエピソードが語られている)してしまう。この時の経験をもとにした漫画を『ヤングマガジン』ギャグ大賞に応募したところ見事大賞を受賞し、大学卒業と共に漫画家デビューを果たした。


デビュー後しばらくはヒット作に恵まれず、雀荘などで働きながら漫画を描いていたが、2000年に週刊誌『SPA!』で連載を開始した『だめんず・うぉ〜か〜』がヒット。その後は漫画家としてだけでなく、テレビ番組へのコメンテーターとしての出演やコラムニストとしての活動が多くなっている。


作風は、作者自身を主人公としてその日常体験を漫画にするのを基本としている。代表作の『だめんず・うぉ〜か〜』では「ダメな男との交際を、ダメだとは思いつつ続けてしまう女」を、一般から募集した体験談を基に倉田が取材し、独自の見解を織り交ぜて描いた作品となっている。

漫画家を目指すきっかけになったのは西原理恵子で、「この程度なら私にも描ける」と思ったからだという。しかし西原からは「あんたいくら走っても前に私いないよ」とコメントされており、実際の作風には大きな違いがある。また、画力に関しても倉田自身が「西原さんのほうが全っ然うまい。私の絵はヘタウマじゃなくて本当にヘタなんです(笑)」「自分の画力では長いストーリーものは無理だと思ったので4コマギャグを描くようになった」と発言しており、美大卒の西原に対し、倉田は「特別絵を習ったことはない」と公言しているという経歴の違いからもわかる。


西原のほか、中村うさぎやコラムニストの深澤真紀(肉食系草食系の提唱者として知られる)、元刑事の作家で漫画やドラマの原案者として活動する北芝健などと仲が良い。

催眠術などスピリチュアルなことに関心があり、2009年から日本催眠術協会の役員となっていた。

28歳の時に一度結婚して長男をもうけたものの離婚。知名度が上がったのちに映画プロデューサーの叶井俊太郎との交際を公にし、2009年に叶井と結婚し本名は叶井姓になっている。

しかし交際時から叶井は自他ともに認める借金まみれであり、叶井の前妻から略奪婚として賠償を求める裁判も起こされている(略奪であることは倉田は否定している)。

その後叶井との間に娘を1人もうけたが、2023年11月に叶井が病没している。


2006年ごろから民主党との関わりを持っており、政治的な発言も増えている。


新型コロナウイルスワクチンに対し懐疑的な見解を示しており、2020年ごろからは特にTwitter上などで積極的に反ワクチン思想に基づく過激な発言を繰り返しているだけでなく、感染対策全般に否定的な論調に傾いている。


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