ここでは2.について解説する。
概要
元型の素になった言葉・アーキタイプ(Arche-type)はギリシャ語で始まり(根源)の刻印を意味する。
世界の人類が語り継いでいった物語や神話(集合的無意識)の中に共通する様々なシンボルや人物を突き詰めていった像・イメージが元型である。
自己自身のイメージや自分の影のイメージもまた元型であり、自我は意識の中に存在する唯一の元型とユングは説いている。
代表的な元型
社会的な建前として認知された自分が認めたくない、抑圧されたもう一人の自分。本音の一部。
『なりたくない自分』でもあり、『なりたかったけどなれなかった自分』でもある。
自己理解や自己成長のためには、このシャドウを抑圧せずじっくり向き合い、適切に受容することが重要であるとユングは説く。
もともとは仮面の意。いわゆる建前であり、他者や社会との関係に適応するため作り上げられる元型である。
人間が他人から褒められたり、社会に順応するために必要な元型なので、他人の反応を反映させながら複数のペルソナを無意識的に作り上げていくことになる。
このペルソナの意識が強くなりすぎると、ありのままの自分を見失って強いストレスにさらされる。
アニマは男性の、アニムスは女性の中の内的な女性像で、理想の異性としての意味合いがある。
どちらも最初は動物的・性的であるが、洗練されるにつれ理性的・神聖な像となる。
人智を超えた果てしない叡智・勇気・権威・洞察力を持った存在としての元型。鳥や老熟した男性像のイメージとして現れる。
進歩を促す智慧の権化であり、同時に破滅に導く老獪な策士でもある。
フィレモンはユングの心に現れたオールド・ワイズマンの像である。
どこまでも優しく暖かな慈愛をあたえる一方、神秘性と性的な魅力、さらには破壊力も兼ね備えた奥行きの深い元型のイメージ。
愛情豊かで慈悲深く、実りや成長を促す「母親」であるが、他方で威厳と暗黒を携えすべてを飲み込んでしまう「怪物」でもある。
既存の価値観や権力に反抗し、場を引っ掻き回す元型。
ただの破壊者である時もあれば、何かを壊すことで新たなものが生じる余地を作り出す進化や循環、新陳代謝の象徴でもある。
- セルフ(自己)
自我が「思考や判断を行う意識の中心」であるとすれば、自己は「意識と無意識を統合した心全体の中核」である。
ユングは真に幸福な人生を生きていくためには、表層的な自我の満足だけではなく心全体の中心・自己に接近して「意識と無意識の調和と統合」を図っていくべきだと説く。
- 永遠の少年
プエル・エテルヌス。大人へと成長しない子供の元型。ピーターパンはまさにこの元型に近い。
いわゆる「汚い大人」たちで構成される、欲まみれの社会とは無縁な純真さの象徴であるが、成長を拒み逃げ続け、肉体的・精神的大人になろうとしない社会不適合者でもある。
永遠の少年はグレートマザーより生まれ、成長しないまま彼女の母胎へと還り、ふたたび彼女から永遠の少年として生まれてくる。
- 奇跡の子
未来志向の発展性や未知数の可能性そのものの象徴であり、未熟で不完全な状態から永遠に成長を続ける元型。
大成する未来へと向かう無限の可能性を秘める一方、今はまだか弱い子供、つまり周囲の援助や協力が不可欠な成長中の存在でもある。
だがグレートマザーに甘えっぱなしな永遠の少年とは違い、奇跡の子は母の手を離れて英雄・果ては神へと成長していく可能性を内在している。
- 創造者のデーモン
果てない創作欲求・創造への意志を駆り立てる元型。
夢中になってイラストや漫画、小説、彫刻を生み出している最中には、心の中にいるこのデーモンが働きかけている可能性がある。
しかし創造は破壊と表裏一体であり、デーモンは時として創作者の心をずたずたに引き裂くこともある。
哲学者や芸術家の中には心を病んだものやそれ故に自殺したものが少なくないが、それは創造のデーモンの元型が負の側面に働いたものだとユングは解釈する。