概要
大日本帝国海軍が太平洋戦争の末期に開発した装甲戦闘車両であり、海軍管下の陸戦隊に配備された。
九七式中戦車(47mm砲搭載型、以下チハ改と記述)の主砲を短砲身の120mm砲に換装した車両であり、少なくとも横須賀や佐世保に十数両存在していたことが確認さている。
また、この車両は詳細が不明な点もあり開発経緯や運用法などよく分かってない部分も多く、回収した米軍の推測も混じっていたりする。
主砲
主砲の120mm砲は、商船を転用した輸送船の自衛装備として開発された短十二糎砲を車載向けに改造した物である。
砲は運転手から見て右寄りに搭載され、左側に敵を狙う照準器が付けられ砲の操作員(1名)を配置した。砲を挟んで右側には車長が配置され装塡手と兼任したといわれている。
しかし、砲の尾栓(弾を装填するときに開閉するフタ)は右開きであるため、右側に配置された車長では弾の装塡作業は行いづらく、また狭い車内のため装塡作業は困難であったこと思われる。
(外から装塡したのではないか?という推測もある。)
射撃時の反動を軽減する駐退器は、日本軍には珍しい同芯式を採用しており、砲口には反動を軽減する砲口制退器がつけらられていた。
車体及び砲塔
概ねの構造や装甲はチハ改と同じである。しかし、乗員数及びその配置は不明であり、車体前方機関銃の有無もよく分かっていない。
搭載された砲弾の数は不明だが、車内から発見された砲弾入れには27発の砲弾が収納されており、全て演習用の砲弾だったという。(8発という説がある。)
実戦・運用
十二糎砲戦車は、陸戦隊の戦車部隊である横須賀第十六特別陸戦隊の第一戦車大隊第二中隊に10両配備された。なお他の編成は、同隊第一中隊はチハ改×10両+αである。第二大隊は第一中隊が特二式内火艇×10両+特三式内火艇1両、第二中隊は特二式内火艇×10両+αである。
このことから、十二糎砲戦車は戦車であるが構造上、既存の戦車と比し発射速度が遅く主力戦車のような運用法は難しいと思われるので、同隊第一中隊のチハ改の火力支援を行う砲戦車的な運用法を想定していた…のかもしれない(戦後、本車両を接収したアメリカ軍は歩兵支援用だったのではないかと予想している)。どちらにせよ十二糎砲戦車の具体的な運用法は不明であるのには違いない。
本土決戦に温存されたため実戦経験は無し。終戦直後の飛行部隊の反乱を鎮圧するために投入される予定もあったが中止された。