概要
プロフィール
登場ナンバリング | 『6』〜 |
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勢力 | 晋 |
所属軍 | 魏軍→司馬懿軍→司馬師軍 |
CV | 置鮎龍太郎 |
身長 | 180cm |
得意武器 | 細剣(6)・迅雷剣(6Empires以降) |
一人称 | 私 |
呼び方 | あなた(目上)、お前(目下、敵)、貴様(敵)、皆(複数人)、〇〇殿(目上)、〇〇(目下、敵)、司馬懿→父上、張春華→母上、司馬昭→昭、王元姫→元姫、曹丕→曹丕様 |
真・三國無双6から弟の司馬昭と共に参戦。(しかし悲しいかな、一般武将としての登場は弟の昭より遅かった)晋のサブリーダー的ポジション。
人物像
容姿
正史で評価されていることをうけてか顔は眉目秀麗で整っている。それと同時に父の司馬懿と何処と無く似ている。
髪型はボブ程度の長さで分け目は司馬師からみて左。左目に傷を負った後は、隠す為に仮面をつけている。
『6』での衣装は全体的に煌びやかで色も他の晋武将と比べると濃い青が使われていたが、『7』で色合いが落ちつき、白基調な服になった。
性格
冷酷で、「頂点」を常に目指し続けている。若さとは裏腹に、物事を見る目は達観しており、司馬懿からも認められている。「フハハハハハ」という独特な高笑いや、「馬鹿め」「凡愚め」といった口癖は親子共通な模様。基本的には冷静沈着な策士家である。
…しかし肉まんが大好物で、肉まんに関することになると異常な程の執着心を見せ、我を忘れて子供っぽくなる…というか一種のキャラ崩壊と化すことが多い(大体司馬昭がとばっちりを受ける)。『6』の骨肉の戦いでは昭に肉まんを盗み食いされたあまりブチ切れて戦争を始めたり、『7』のネタステージ「美味追求戦」ではその肉まんと司馬師のメインステージであり、司馬昭や王元姫に呆れられながら、究極の食材を求める。トリコじゃんとか思っちゃいけない。(しかも、あの鄧艾や賈充さえも乗り気)
『無双OROCHI2』のdlcシナリオでも肉まんの事で大暴れし、五右衛門から「目つきがやべえぞ?」と言われる始末。
活躍
弟とは対照的に軍を束ねる威風を持った有能な権力者。父と同様、トップの器を持たない曹家に変わり、魏をあるべき形へと導こうと企む。
その実力と行動により諸葛誕を初めとした多くの武将からその才能を「統率者に相応しい」と賞賛を受けている反面、その過激すぎるやり方が新たな火種を生み、呉蜀だけではなく魏の内部からも命を狙われる。
交友関係
司馬懿
司馬師の父。偉大な父であり、父の影響や性格を受けて司馬師自身も成長。そのため、口癖や行動など似ている部分が多々ある。司馬懿も司馬師を優秀な息子として誇らしげに思っている。
司馬昭
司馬師の弟にして司馬師の跡を継いだ男。兄弟でありながら性格は対照的。不真面目な司馬昭だが才能があることは司馬師も見抜いている。また、司馬昭は司馬師が死亡した直後は君主の重さに耐えきれなくなる部分もみられた。
張春華
司馬師の母。司馬師が肉まん好きになったのは張春華のお手製の肉まんの影響であることが、彼女の口から語られる時がある。お母さんの味が忘れられない子元殿は、なかなか可愛らしい。
バトルスタイル
『6』武器は短剣(袁紹、劉禅と共有)。フェンシングのように素早くつく攻撃を繰り出す。
『6Empires』以降は迅雷剣を使用。細剣よりも長く、両手で攻撃。高速で敵を突いたり時間を止める攻撃を行う。
固有モーションでは漆黒のエフェクトがつくことが多く。黒柱を無数に立てて攻撃したり、一人の敵に対して一方的に突く攻撃などバリエーションは豊富。
各シリーズの動向
『6』初登場。父から権力を受け継ぐムービー、弟に権力を委ねるムービーがある。退場の仕方まで父親そっくり。
本作では文鴦によって目を矢で射られる(ただし、夏侯惇と違って目の中心を射られたわけではないため眼球はある)、刺客によって油断した隙に目を斬られる、というふうに2回も目を痛めつけられている。
『6Empires』武器が細剣から迅雷剣に変更。それによってEX攻撃も変更となった。
『7』衣装は前作より白が多くなり、全体的に落ち着いた。また、目の仮面が彼のトレードマークだったのだが、本作のストーリーでは目を傷つけられたあとすぐに死亡してしまうため、正史ストーリーでは仮面をつけた司馬師をみることが出来なくなってしまった。
ストーリーモード前作同様最初から登場し、奮戦する蜀軍を家族と共に叩き潰すところからスタート。文欽・毌丘倹の乱では文鴦の奇襲に苦戦しながらも勝利をおさめる。しかし、魏からかなり恨まれていたためか反乱はおさまらず正史ルートでは許昌で最期をむかえる。
一方でIFルートでは文鴦たちの力もあって生存し、主役級に躍り出る。何度も北伐を続ける姜維をことごとく打ち破り、最後は三国の初まりであり、曹操が破れた赤壁の地で呉蜀を完膚無きまでに叩きのめした。
ちなみに偶然か意図的かは分からないが、彼が生まれた208年は赤壁の戦いがおこった年でもある。