概要
1505年(永正2年)に牧野古白が築いた「今橋城」が前身とされる。
戸田氏と牧野氏により争奪戦が幾度も繰り広げられ、松平氏も参戦したものの最終的に今川氏が支配することになる。
今川義元の死後、1565年(永禄8年)に松平家康が攻略し、家臣の酒井忠次が城代となった。
1590年(天正18年)に家康が関東に移封されると池田輝政が城主となる。
このとき輝政は城と城下町の大改築を行い、11年かけ近世城郭として整備し直した。
縄張りは戦国期の物をある程度再利用しつつ、名古屋城よりもはるかに広大な敷地面積を誇る平城として改修された。
しかし11年では完成に至らず、輝政は関ヶ原の戦いの翌年の1601年(慶長6年)に姫路へ移封された。
江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たし、譜代大名が次々と城主となったが、頻繁に国替えが行われた。
当時の様子は東海道五十三次などにも描かれている。
1954年(昭和29年)に鉄櫓が再建され、現在、城跡は豊橋公園として整備されている。
2017年には続100名城にも選定された。