1929年生まれ。転勤族の父親のもとで地方を転校しながら育ち、高校以降は東京に落ち着く。出版社勤務を経由してラジオ番組「森繁の重役読本」で脚本家デビュー。
ドラマ「寺内貫太郎一家」などの他にエッセイも多数著し、『字のないはがき』はよく教科書にも掲載されている。また妹と小料理屋を経営していた。1980年には、短篇の連作『思いでのトランプ』収録の『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞。1981年に遠東航空機墜落事故に巻き込まれ死去。自ら脚本を手掛けたドラマを小説化した『あ・うん』が唯一の長編小説となった。生涯独身であった。1983年にその功績をたたえ「向田邦子賞」が創設された。
1975年頃から乳がんに罹り、執筆活動にも支障が出ていた。
大変な猫好きで、実家にいるときから猫を飼い続け、特に実家から独立して後タイからわざわざ子猫時代に取り寄せて飼い始めた「マミオ」という名の雄のコラットを大変可愛がっており、度々エッセイに登場させてはべた惚れぶりをアピールしていた。「マミオ」は彼女の死後妹に引き取られて余生を送ったがこのあたりの逸話は妹のインタビューなどで度々ペット雑誌に掲載されている。
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