現在の東海道新幹線につながる「東京~大阪間を鉄道により3時間で結ぶ」構想は1957年の鉄道技術研究所(現JR総研)の講演により公にされ、1961年には東海道新幹線が着工されたが、当時の時代風潮としては「鉄道は過去の交通機関で斜陽産業、これからは飛行機と自動車の時代」がほぼ通説といっていい状態下での建設であり、多分に出来ないもの・無用のものといった揶揄をこめて「夢の超特急」と呼ばれだしたのが最初であった。
言ってしまえば
「夢の(ような)超特急」という意味ではなく
「(完成するのが夢のまた)夢の超特急」的な扱いである。
その後、新幹線の建設が進んでいくにつれてその意味は肯定的・前向きなものになっていき、1964年10月1日に開業し現実に新幹線が東京駅~新大阪駅間を3時間10分(開業当初4時間)で結ぶようになると「夢の」という前置詞が使われることもなくなっていった。
月日が流れ、2008年に開業時からの車両であった(ただし開業時に用意された車両は国鉄分割民営化前に廃車済)0系の引退が迫ると、マスコミやさらには0系が最後まで走った山陽新幹線を運営するJR西日本自身が「夢の超特急」のフレーズで引退する同車を惜しみ、再びこの言葉が広く使われるようになった。