概要
名奉行・大岡忠相(大岡越前)の事績を称えた創作『大岡政談』に書かれた裁判の総称。
「子争い」、「徳川天一坊」、「村井長庵」、「越後伝吉」、「畔倉重四郎」、「後藤半四郎」、「小間物屋彦兵衛」、「煙草屋喜八」、「縛られ地蔵」、「五貫裁き」、「三方一両損」、「白子屋お熊事件」などのエピソードがある。
しかし、実際に裁いたのは「白子屋お熊事件」のみで、中山時春や板倉勝重の判例からの流用が多く、「政治家はかくあるべし」という江戸庶民の願望が仮託されたものではないかと見られる。
子(供)争い
ある所に子供がいました。
子供の母親は一人ですが、どういうわけなのか、母親を主張する女子が二人いました。
双方共に「わたしこそがこの子の母親よ」と、頑として引かない様子です。
二人の争いはとうとう収まらず、大岡越前の奉行所でついに白黒付ける事になりました。
大岡越前は二人にこう提案しました
『その子の腕を一本ずつ持ち、それを引っ張り合いなさい。
勝った方を母親と認めよう。』
その言葉に従い、二人の母親は子供を引っ張り合いました。
当然ながら引っ張られた子供はただではすみません。たまらず「痛い、痛い!」と叫びました。
すると、その声を聞いて哀れに思ったのか、片方の母親が手を離してしまいます。
引っ張り合いは終わり、引っ張りきった方の母親は子供を嬉々として連れて行こうとします。
が、大岡越前はこれを制止します。
『ちょっとまて、その子は手を離したこちらの母親のものだ』
引っ張りきった方の母親は納得がいきません。なんせ、自分は引っ張り合いに勝っているのですから。
当然、こちらの親は食い下がりました。しかし大岡越前は
『わたしは「引き寄せた方が勝ち」などとは言っていない。
それに、本当の親なら、子が痛いと叫んでいる行為をどうして続けられようか』
と言いました。
大岡越前は、母の持つ愛情をしっかり見切ったのでした。
これにて一件落着。
原典・ルーツ
また法学者の尾佐竹猛は、旧約聖書の列王記にあるソロモン王の英知として、互いに実子と主張し1人の子を取り合う2人の母親に対する調停の伝承など、聖書などに記される裁判物語がイスラム圏を経由し、北宋の名判官包拯の故事(「縛られ地蔵」と同様の逸話)になった後、エピソードに翻案され含まれたとする説を提唱。永禄3年(1560年)に、豊後でイエズス会の宣教師がクリスマスにソロモン裁判劇を行なったという記録もあり、木村毅は『比較文学新視界』「ソロモン裁判と大岡政談」(昭和50年(1975年))でチベットの伝説や釈尊(釈迦)の伝説が日本のキリシタンの影響で紛れ込んだとする。 中東系(インド系では釈迦前世物語)では、実子を取り合う母親のうち一人は人食い鬼としている。
pixivでは
子争いのように、1人を2人以上が取り合っているようなイラストに付けられている。
しかしその度合いは様々で、
おこさまのじゃれあいのようなものから
三角関係のもつれみたいなものや
超ガチなものまである。