概要
1955年8月30日生まれ。
島根県立出雲商業高校卒業後、出雲市信用組合(後に島根中央信用金庫に吸収合併されて消滅)に就職した。母子家庭であったことに加え、軟式だったとは言え野球部が存在する地元企業がここしかなかったことが入社のきっかけであったという。
1977年、軟式野球出身という異色の経歴で、広島東洋カープにドラフト外入団を果たした。
1977年から1998年まで、カープにおいて中継ぎ、先発、抑え投手として22年間フル回転し、昭和最後の沢村栄治賞を受賞している。
引退後は、解説者や、コーチを務めた。
逸話
1年目こそ一軍での登板は一度だけではあったのだが、その登板でボコボコに打たれまくり、自責点5を記録してしまう。そしてそのシーズンの防御率は135.00という、大変悲惨なものであった。
だが、この事はむしろ大野にとってはプラスになっていった。理由は、「いくら成績が悪くても、あの頃の防御率下回る事なんてまずないし」と開き直ることが出来る様になったからである。
ちなみに生涯防御率は2.90。よくぞここまで持って行ったものである。