プロフィール
人物
ソグド人有力者と思われる父親と突厥(テュルク)人の2大名門氏族の片方「阿史徳」氏族のシャーマンを母親の間に生まれ、中国語以外の言語を6〜9つ使えたと史書には記されている。
楊貴妃に気に入られ、玄宗に仕えるようになる。複数の節度使を兼任するなど出世するが、貴妃の一族・楊国忠と対立。751年、楊一族の排除を理由に挙兵する(安禄山の乱)。
一時は長安を陥れ、「大燕皇帝」になるが、ウイグルの介入などもあり、追い詰められる。最期は息子に裏切られ、殺されたと言う。
反乱は、内訌を絡めながら、部下とその一族に引き継がれたのち、鎮圧される。
しかし、彼の反乱によって国土は荒れ、壊滅的な打撃を受けた唐は、ゆっくりと衰退。同時に「唐宋変革」と呼ばれる、社会制度の変貌を引き起こす結果となった。