概要
群馬県甘楽郡富岡(現富岡市)に明治政府が建設した日本初の本格的な機械製糸工場である。
解説
明治初めの日本の主な輸出産業であった生糸の生産能力を強化することを目的として建設され、1872年(明治5年)に操業を開始した。
その後1893年(明治26年)に三井家(→現在の三井グループ)に払い下げられ、何度かの経営形態変更を経て1939年(昭和14年)からは片倉製糸紡績(現片倉工業)が経営することになった。
第二次世界大戦後には自動繰糸機を導入し生産量を伸ばしたが、日本の産業構造が変化し製糸業が衰退していく中で1987年(昭和62年)に生糸生産を終了し工場を閉鎖するに至った。
工場閉鎖後も片倉工業により維持管理が続けられてきたが、世界遺産登録への動きが始まると2005年(平成17年)に土地建物が富岡市へと譲渡された。同年には史跡指定、さらに2006年に明治初期からの建物が重要文化財に、2014年にはさらにその一部が国宝に指定される。
2007年(平成19年)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界遺産暫定リスト(日本の近代化遺産としては初)に登録され、2014年6月に世界遺産(文化遺産)としての正式登録が決定した。
こぼれ話
製糸場開業当初は募集により集められた女工達が生産業務に従事した。
富岡ではないが諏訪の製糸場を舞台とした「女工哀史」があまりに有名になったためかブラック労働扱いされがちな女工勤務であるが
とむしろそれまでの日本における女性の勤務環境としては抜群にホワイトであった。
…とはいえ大人数が職住一致で暮らす中ではいろいろあったらしく離職率もそれなりに高く、そのことが官営時代の経営がよろしくなかった(最終的に払い下げになった)一因ともなった。
なお三井払い下げ以降は労働時間も延長されたりと条件は悪化したという。