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概要

(1948年〈昭和23年〉9月7日 - 2022年〈令和4年〉7月4日)。本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)。作曲や大学で教鞭を執るときは本名で行っていた。


大学在学中からフォーク・グループ「ソルティー・シュガー」のメンバーとして活動。日本におけるコミックソングの代表作の一つともいえる「走れコウタロー」を1970年にリリース。その面白さから第12回日本レコード大賞新人賞を受賞するヒットソングとなった。


1971年、ソルティー・シュガー解散後、高田渡、シバらとともに武蔵野タンポポ団のメンバーとして、第3回全日本フォークジャンボリーに参加。


吉田拓郎の「人間なんて」の長時間演奏ではステージに上がり、バックコーラスを務めた。この頃からなぎらけんいち(現:なぎら健壱)らと親交を持つ。 1972年、一橋大学社会学部卒業。


その後ソロ活動を経て、1974年に森 一美(男性、元・黒崎とかずみ)、板垣秀雄(元・ピピ&コット)とフォークグループ「山本コウタローとウィークエンド(1976年以降はウィークエンドに改称)」を結成。デビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒット。


1971年から1978年までTBSラジオの深夜放送『パック・イン・ミュージック』金曜日の第1部パーソナリティを担当。


その後、単身アメリカに渡り、約2年間生活。その後、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の火曜日と金曜日のレギュラーとテレビ番組の司会(『午後は○○おもいッきりテレビ』初代司会者)、タレント、役者などで活躍。


1989年、第15回参院選比例区に環境政党「ちきゅうクラブ」より立候補するも落選。

1995年、環境学を学ぶため英国に留学。


2005年より、山本コウタローとウィークエンドのオリジナルメンバーである森、山本のマネージャーの見崎孝雄(元・ラニアルズ)、オラン本柳らと共に「山本コウタローとほぼウイークエンド」を結成。


2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。

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