概要
ドイツの牧師で反ナチスの指導者でもあったマルティン・ニーメラーが語ったスピーチの内容が詩として広まったとされる。
言い回しが様々となっているものの、大体は以下のような内容となっている。
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
……と、短い文章ながらも自身の体験談が端的に書かれている。
ニーメラーは元々アドルフ・ヒトラーの支持者であり、ヒトラーを筆頭としたナチスが最初に共産主義者を迫害したのをキッカケにエスカレートして様々な対象を弾圧し始めた際には危機感を抱かずに無関心を貫いてきたが、迫害が自分の教会にまで及んだ途端に反ナチスへと転じていた。
早い話が「自分には関係ない」と迫害を見て見ぬふりをした自分がいざ迫害対象になったら全員が見て見ぬふりをして(或いはその蛮行を見れるものは全員牢獄に居たせいで)助けてくれる者は誰もいなかったというものであり、「誰かを助けようとしないものは誰からも助けられない」という意味にも通じるし、「将を射んと欲すればまず馬を射よ(護ろうとする人間を刈り取ってから本丸を責める)」という意味にも通じ、見方を変えれば事なかれ主義に対する皮肉ともとれる。
備考
声を上げない姿勢は、ある意味では人間の本質を突いたものでもある。
この「自分さえよければ他人の事なんかどうでもいい」という精神は、(程度の差はあれど)誰にでも確実に存在する。
少なくとも利己的な精神を完全に捨て去ることは不可能であり、ニーメラーの発言に共感できる部分もあると考える者もいれば、表には出さなくても心の中ではこういう態度で他人に接しているという者もいると思われる。